ノスしるべ作文コンクール2019 テーマ【Op.2】
2019年8月22日の感想
〜「viator in vitro」と「minne」に対する個人的な感想〜
以下は当時の感想文を抽出編集した2019年8月22日の個人的な感想文です。
現代の視点では誤った解釈や、偏った視点を含みます。
現代の視点では誤った解釈や、偏った視点を含みます。
2019年8月22日
ノスタルジアOp.2に新たな島とストーリーが追加されました。
始まりは黒背景に広がる波紋とピアノの音。
鼓動の始まりを感じさせるようなそのシーンの次に映し出されるのは、セピア色の世界にポツンと浮かぶ島の上のピアノと、それに触れる白猫。
Op.2の始まりはそんな場面でした。
序盤のOp.2は主人公らしき二人の旅人と白猫が出会い、それぞれの旅路で様々な島をめぐって行き、意味深な「小さな家」で何かを見るシーンまでが稼働時のストーリー。
その後アプデで追加されたのがロボットルート、謎を残したままだった人間二人のルートの謎を謎にしたままでさらにペリカンルートが追加されました。
人間ルートのムービーがやや起承転結が薄かったのに対して、ロボットルートペリカンルートは始まりにも終わりにも、驚きとドラマがあましたね。
少年ルートにこの夏追加された「雨の街」では少年と少女の過去が明かされると共に、アプデによって今まで集めてきたけど並べて眺める事は出来なかったコレクションアイテム「楽譜のかけら」を並べて見れる手段と、その用途が追加されました。(あとなぜか各楽譜のかけらの説明形式がリニューアルされてた)
そんなこんなで、なんとなく「命」がテーマなのかな?「親子」?って雰囲気を感じつつも、それぞれのルートの繋がりが分からなかったのがここまでのノスタルジアでした。
新しい島が追加されたんですが、その島がなんか雰囲気が今までの島とは違ってて、今までの島が主人公+白猫の形式で進行していたのに対して、その島を進むの白猫だけ。
「最果ての研究所」という意味深なその場所は、場所というよりもなにか他とはひとつ次元が違う、世界の在り方にかかわる場所のような気配を漂わせていました。
今まで旅をしてきた島と主人公たちが駒となって並んだそのビジュアル、プレイ中に聴いてきたシステムBGMから展開する「viator in vitro」は「試験管の中の旅行者」的な大きなインパクトのある意味を持つ曲タイトルがTL上でいろんな憶測を呼びましたね。
viator in vitro解禁後は、それまでの旅で集めてきた楽譜のカケラから導き出された音を、自分の指で鍵盤で弾く事で扉を開いて、扉の向こうに見えた景色は、物語の始まりのあの島の、誰もいない草原と一台のピアノでした。
白猫は階段を下り(別の物語で階段を上り続けていた猫とまるで反対ですね)、ピアノの袂に至る……そこで解禁されるのが「minne」、今まで何度も聴いてきた、はじまりにあった懐かしい旋律を携えた曲でした。
その曲の名はスウェーデン語で「記憶」だそうです。
触れた旋律は旅人とピアノの暖かな記憶を呼び覚まし、失われた者の暖かい思い出は光となってピアノに宿る。みたいな感じ…?
(ここまで少し客観気味の概要説明)
「viator in vitro」が「試験管の中の旅行者」って意味だね、って話題になっていて「今まで旅してきたのは試験管の中だったの?何かの実験だったの??これからストーリーで新たな視点が語られるの?!」的にTwitterで騒がれていたのを私は先に見ていたので「はえーーそんな方向にいくのか…」と興味を惹かれていましが、実際プレイしたこの曲はわりと「なんだこれ」という印象でした。
forteのストーリーにおける作曲者空欄楽曲「phantasmagoria」のように、今までプレイヤーが何千回も聴いてきたシステムBGMを使った楽曲は郷愁に響いてとっても美味しいです。
viator in vitroは最高にリッチで、魅力的な音に溢れ、今まで聴いてきた旋律の新たな表情を魅せ、壮大で熱量が在って豊かで、もちろん好きだったんですけど、
だけどでも「なんだこれ」っていう……不思議さを残していた。
その不思議さの答えは自分的には見つかって後々腑に落ちたのですが、minne感想の後で語ります。
forteのストーリーにおける作曲者空欄楽曲「phantasmagoria」のように、今までプレイヤーが何千回も聴いてきたシステムBGMを使った楽曲は郷愁に響いてとっても美味しいです。
viator in vitroは最高にリッチで、魅力的な音に溢れ、今まで聴いてきた旋律の新たな表情を魅せ、壮大で熱量が在って豊かで、もちろん好きだったんですけど、
だけどでも「なんだこれ」っていう……不思議さを残していた。
その不思議さの答えは自分的には見つかって後々腑に落ちたのですが、minne感想の後で語ります。
この島の曲をね、聴きたかったんですよね。
ゲームのプレイを終了した時のプレイ終わり画面に描かれているその島を見るたびに、なんでこの島にはピアノがあるのに音楽が無いんだろうと思っていて、ここぞというときに此処の曲が追加されるのかな、って、楽しみにしてた。
なので更新予告のジャケット見た時から「ついに!」って思って、とても楽しみだったからどうしても更新日の内に解禁して遊びたくて、心待ちにしてたどり着いた、それがはじまりの島でした。
その旋律は期待通りに、物語の始まりで欠片として浮かんでいた音を鍵として組み立てられた、繊細で美しくはかなげな旋律で、至ってシンプルなピアノ一台による素直なメロディで、それはもしかしたら、もしかしたらありふれているとも言える様な、ささやかな音楽でした。
私はこの曲を聴いてOp.2の答えが出たんだなぁって思っちゃった。
演出的にもポジション的にも作曲者名義空欄的にも、思わせぶりで重大で美味しいポジションでもありますが、重責に負けないめちゃくちゃ名曲が生まれたと思います。
綺麗で優しくて、透明で、、、でもどこか少し「無常」を孕んでいて、願いのようでもあるけれど諦めのように透明で、私はあの時、minneという曲の事を「ここにいるよ」と言っているだけの、それだけの曲だと思いました。
例の思い出の旋律の部分、扉を開くために自分で奏でた「ドレソミ」の音が奏でられる度に、傍にいない誰かが「ここにいるよ」と言っているような気がする。
そんな風に感じるのは、どうしようもなくminneのメロディが優しくも悲しみを宿していて、悲しみを許しながら今と過去と未来を包んでいるようだから、かもしれないし、Op.2の物語では命と別れが描かれていたから、かもしれない。
ムービーで描かれた親子の姿のように、折り重なるような温かさと寂しさを一つの旋律にすると、残るのは「ここにいるよ」という想いになる、ような気がする。
居なくなった人は思い出だけを残して、思い出の中でただ「ここにいるよ」の光だけになって、それだけ、なのかなって。
「それだけ」って言うのが、強いんだと思います、ただ真っすぐに向き合ってて、方向性が無くて、それ以上でもそれ以下でも無い事だからこそ、本当の事のように思う。
minneについてそういう想いに至った事で、viator in vitroも、そうなんだなぁと思えた事で自分の中で腑に落ちました。
viator in vitroは旅行者の旅路の曲で、きっとただそれだけの曲なんだろうと。
私がviator in vitroを解禁したとき抱いた不思議は、その意味の無さ……だったのだろう。
この場合「意味」というのは目的や物語や方向性の事で、そういう物が感じられ無かったから不思議さを感じたんだろうなと思った。(間違っても無意味で不要だった、とかは思ってないです)
例えばphantasmagoriaの場合は聴きなれたフレーズを使って今までを振り返りながら、再起して、次のステップに歩き出す、という、方向性、ストーリがあった。
Vide Nostargiaの場合もそう、過去を振り返って包んで、世界に幕を下ろすという役割があり、世界を変える曲だった。
でもviator in vitroは違う、「島選択のBGMの旋律」として聴きなれたフレーズを使っているが、それによって示したい方向が無いよう感じて、ただ聴きなれた旅路の傍にあった旋律を、旅路の傍にあった旋律として、いろんな音で彩っていろんな風に発展させて繰り返している…って印象だった。
繰り返しているというか外には出ないというか、もっと別の展開に進む事もでき得るのかもしれないけれどそうしないで、進路を決める際に傍にあった旋律を、何処かに辿り着かせない旅路のままで発展させてて、その形をそのまま色濃くするような……。
そこには「答え」や「明かされる秘密」や「世界の変化」は無かったんですよね。
最果ての実験室という、知的好奇心をそそられる環境と反して、そこで示されたのは「旅路」でしか無かった。
「旅路」「それだけ」の音楽だったのかなぁと思って、だからこそこれがOp.2のフィナーレなのだとしたら、それは答えになると感じた。
そこにあったのは「旅路」だった。
道を選んで未知を進んで、何かと出会って、何かを失う、何らかの旅路。
それは何が起きるか、何処に行くべきなのか、旅立つべきだったのか、答えが在るのかも、全てがわからない旅路だった。
そこには幾重もの可能性が在って、様々な物に彩られていて、多くの岐路を横切って、とにもかくにも世界を進んで行く、そんな旅路だった。
「そんな旅路」だと、そう縁取るような曲だから、それだけだったのではないだろうか。
旅の結末が明るい物なのか暗い物なのかとか、旅に出るべきなのかとか、未来があるかどうか等は、この曲には無いのではないか?
私が思うに「試験管の中の旅行者」というそのタイトルの示すところは、旅行者の進むそれが井の中の蛙的な限定された疑似世界だ、という意味合いでは無いと思う。
そんな曲のようには全く聴こえなかった。
「試験管」が示しているのは、未知と正解の無さだと思う。
旅路の結果がどんなものだったとしてもそれは優越良否の基準で振り分けられるのではなく、試行の先にその結果が出た、旅路の先でそこに至ったと言うだけでしかない。
だから、旅路の先がBAD ENDでも、悲しい別れだったとしでも、旅に出た目的にたどり着けていないとしても「旅路である」という点では同じもので、一つの物だったんじゃないかな。
そんな公平性を持ったメタ的な上位視点から、実験と称しながらも旅路の事を重視し見つめているような(神様視点なのかプレイヤー視点なのか分からないけど)、不確定な旅路を行く者達と全ての旅への賛歌のような、そんな曲だと解釈しました。
Op.2では様々な事があって、4人の主人公の物語それぞれ色々で、死というごまかせない結末は物語の答えにするには無常すぎて、褄合わせや答えを求めようとするにはバラバラすぎる。
だけど物語の意味を「四人の主人公の旅があった。ただそれだけ」とする時、物語は強固になる。
「旅路である」という事だけがそこにある。
多くの旅人がそれぞれの旅を歩み、それぞれの結末に至る。
きっとそんな命の旅路の集まりによって世界が出来ている、そんな風にも感じさせる。
そしてまた、世界がこの先どのように変わってゆくかも分からない事、それ自体もまた旅のようだったりもするなぁとも思った。
旅人が旅路の果てを知れないように、世界もその行く先を知れずに回っているのでは。
と、なんか色々イメージを受けてたらすごくメタ的で、やや最果ての実験室らしいイメージになってきた。
なんか何を言ってるか良く分からないかもしれないけれど。
とにかく壮大。
ミニマルで壮大なんですよviator in vitroは……!
待ち望んでいたノスタルジアOp.2の世界を表現した曲。
それは答えで、それは意味では無くて、それはただ「ノスタルジアOp.2」で、あまりにも凄味があった。
Op.2世界をこれでもか!という程に煮詰めて作り込んで高らかに掲げているように思う。
もしかしたらノスタルジアの曲の中で一番壮大な曲なのかもしれない。
(補足)
「島選択のBGMの旋律=オープニング画面の曲、「Op.2 overture」でもあります。
「Op.2 overture」は元々私がOp.2で一番好きな曲だったんですよ、だけどviator in vitroは「島選択画面だな」って思う。
島選択画面のBGMは物質的で、Op.2 overtureは概念的で、viator in vitroは物質重視から島選択画面のBGMの発展系だなって解釈がある。
まぁもちろん同じ旋律なんですけど!
minneという曲と出会う前から、私はそれを「呼ぶ声」だと予感していた。
オープニングに描かれているあの音、命の鼓動のような、目覚めを促すような、世界と無の間にある波紋の旋律は、何処かから誰かを呼んでいるのではないか。
それが誰かは分からないし、なぜかも分からないけれども、始まりにある何処からの呼ぶ声によって、世界で目を覚ました誰かは歩き出す。
そんな旋律だと感じていた。
旅の中で何度かその旋律を聴く事で、私にはそれが明確に「呼ぶ声」として聴こえるようになっていた。
「ドレソミ」の旋律と重なって、思い出す度に響いて、そして謎を残していた。
いったい誰に、なぜ呼ばれているのだろうか?
minneという曲となったその旋律をムービーと共に聴いた時、何処かで聞いていた旋律が「呼ぶ声」として私に届いて居た理由が分かったような気がした。
呼ぶ声が聴こえている気がしていたのは、側にいない誰かがそこにいたからだったんだ。
「ここにいるよ」って言ってたんだ、去っていった者が光となって、ずっと側で。
…minneというタイトル、その意味は解禁時には知らなかったんですが、文字の並びと響きのイメージか「埋まっていた物」感と「自分のもの」感と「光」感と「小さな時間の単位」感があるなぁと思っていた。
そしてそれらを総合して「自分自身を見つめた時に一つ芯から伸びる、ささやかな光」みたいだと感じてた。
minneがスウェーデン語で「記憶」である事を後から知って、自分の感じた物がよりはっきりした。
記憶が、私の中にあって、光となって、私を呼んでいたんだ。
いつかどこか聴いた旋律と謎が導いたのはそんな答え。
だから私はノスタルジアOp.2という物語と出会えた事に感謝した。
minne解禁のムービーでは、ピアノを中心に居なくなった者達が描かれていて、だけど暖かい思い出が光となってピアノに宿って居た。
それが「記憶」だったんだ。
主人公(プレイヤー)の旅が始まる時に響いていたその旋律の正体が「記憶」だったと知るまでが、ノスタルジアOp.2のストーリーだったと言えるんじゃないかな。
…そういう物語という事にしたらいいんじゃないかなと思って、私は納得が行ったんですよね。
この場合の「記憶」は、親から受けた愛のような、暖かく自分を支えてくれる思い出というのがまず一つ、直接的にminne ムービーを解釈したもの。
それにプラスして、自分と直接関係あるかどうかを別にして、過去の全てが残した物の続きとして自分は今そこにいるんだ、ということを「世界の記憶」だと位置付けても良い。
それは「命は世界に生まれたから歩んで行く、全ての命の歩みによって世界は育つ」ってな風にviator in vitroを解釈したもの。
両方の意味を「記憶」込めるとOp.2がまとめやすいんじゃないかろうか。
記憶、思い出、そこは、会えなくなった人が居るところ。
失った物のある所、たどり着けない所。
始まりをくれて、歩む力となっていた「過去」は「記憶」として自分の中に宿っている。
失った時間には帰ることができないけれど、たとえ自分では忘れていたとしても、過去は消える事は無くて、今の全てが記憶の証。
命は生まれた理由を分からないまま、旅を始める。
理由の分からない旅の果てで、はじまりの記憶が私を呼んでいたんだと気づいた時、何ができるかというと、どうしようもないんですよね。
そこに辿り着くことはできない。
会えなくなった人は帰ってこない。
ただ記憶は、そこにあるだけ。
だけど、微睡みから目覚めさせるように、私の名前を呼ぶように、記憶の旋律はいつも響いていた。
「ここにいる」と私が気づくために、私を呼んでいた。
…………
母親の為に花を摘みに行って、川に落ちた双子の旅路も、
自分の生まれを知って、自分だったかもしれない者に打たれたロボットの旅路も、
何かを求め旅に出たからこそ、自然の前に敗れた鳥の旅路も、
全ては世界に呼ばれて、その答えを求める者の旅路。
全ての旅人の記憶は世界へと還る。
去っていった者たちが世界に立つ者を呼ぶ、「ここにいるよ」と。
だから命は旅を続ける、辿り着ける場所を知れないまま、意味も持たないまま、それぞれの旅路を命の鼓動が尽きるまで、歩み続ける。
世界は旅人の記憶によって紡がれて行く。
これらはあくまで超主観的で、きわめて個人的な、あの時の私の受け取り方でした。
当時書いていた作文を5周年記念に抜粋抽出したものが今回の文面となり、それは個人的には大切な作文だったんで見てもらいたい気持ちもあったんですが、wikiという場で大っぴらに公開するには余計な文脈が多すぎる個人的すぎる作文だったので、文字数を減らして石ころを除く等の調整を目指してみました。
私はあんまり自分のストーリー解釈はwikiに置かないほうが良いような気もしています。
私の偏った思想で誰かにとってのOp.2のイメージを損なってしまったら申し訳ないなとも思います。
Op.2ストーリーに関してあんまりイメージを持ってない方が視点を増やせるんなら良いなぁと思います。
5年たったから時効ということで。(FORTEストーリー感想編復刻も気が向いたらやるかもしれない)
Op.2ストーリーは、おそらくリアルタイムで追っていた人の実感と、今振り返った時の印象が大きく異なります。
旅する世界が何なのか、何のための旅なのかは曖昧なままで、当時はまだ最高のラスボス達が待っている事も知らず、主人公と謎は増えてゆき、死というごまかせない結末は物語の答えにするには無常すぎていた。
「この話は一体何を意味しているんだ?」「どうやってまとめられるというんだ?」という、ミステリーと共にストーリーを追っていたのが、2019年8月22日までのノスタルジアOp.2でした。
4人の主人公それぞれの旅は、褄合わせや答えを求めようとするにはバラバラな物だった。
だけどその意味を「4人の主人公の旅があった。ただそれだけ」とする時、物語は強固になる。
「旅路だった」という、ただそれだけをテーマとして、重厚に高らかに特別な音楽に仕立てるのなら、もう乾杯だなーって思ったのが「viator in vitro」でした。
不完全も謎も、実験も失敗も挑戦も全部をそのままで、Op.2の旅路だったと掲げるのならば、そんな風に愛してしまいます。
それは私にとって作品のフィナーレとして受け入れられるものであり、Op.2と共に歩んできた旅路を慈しむ理由たりえるものでした。
minneは、私がノスタルジアで一番「この曲を本当にピアノで弾けたなら、どんなにいいだろう」と憧れる曲となりました。
・・・Op.2のストーリーはminne以降も怒涛の展開を見せて、花畑、時の終着駅、孤独の道を進んだ先の4人それぞれのラスボスソング、と盛り上がりを控えていたわけなので「これがOp.2の結末だ、クライマックスだ」という受け取り方をするには、だいぶ早すぎだった。
とはいえあの日の更新と、この二曲が、ノスタルジアOp.2のあり方を定めて、世界とテーマを表現してくれたターニングポイントだった事は、多くの共感を得られる事だと思います。
この先に待つOp.2ストーリーの贅沢クライマックスシリーズは本当に極まってました、素晴らしいラスボス曲4曲に、そしてVoca Nostalgia・・・。
今改めてOp.2ストーリーを解釈しなおすと別の答えを出すべきになるのかもしれませんね。
私はこの時「”試験管”にはあんまり意味は無いように感じた」と言ってますが、結果的には「旅と決断によって試験管の中の世界から逃れられた」という解釈をするのが素直だと思うし。
2019年8月22日の私は大層感動して勝手にクライマックスだと思い込んで感慨深くなってましたが、その先の展開に対しても感激したり驚愕したり陶酔したという事は、言うまでもありません。
あくまでこれは私にとっての、あのとき私はこう感じました、あの記憶は私の宝物です、という旅路の振り帰りでした。
2024/8/22
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