個人的な備忘録。事実と妄想は峻別していきたい。

アレクサンドロス大王の崇拝について

(妄想度0/5)
 アレクサンドロス大王は神として崇拝されていた(神格化)。
 アレクサンドロス崇拝は神殿ではなく、アレクサンドロスの墓廟を中心とした崇拝である。
 アレクサンドロスは生前から自らをヘラクレスの生まれ変わりとみなし、コインにも獅子の皮を被った姿を彫らせている。神話ではヘラクレスは獅子の皮を被っていたからだ。
 ヘラクレス自身は本来英雄であり神ではないのだが、ギリシアでは神としても崇拝されていた。デミゴット、半分だけ神というよりも、英雄としても崇拝され神としても崇拝されるという複雑な形態だったようである。
 軍神であればアレスもいるのだが、ギリシアと敵対していたトラキアの神のようで人気がない。

 アレクサンドロスはまたエジプトにおいては「アメンの子」を名乗っていた。これはエジプトの特殊な事情で、支配者は神の子でなくてはならなかったからである。一説によればこの「アメンの子」という名乗りがアレクサンドロスの神格化に大きな影響を与えているというのだが、父親のピリッポス2世が既に生前から自分の神格化しており、こちらの方の影響が強いと私は考えている。

カルマニアにおけるアレクサンドロス崇拝

(妄想度5/5)
 アレクサンドリア・カルマニアを構築するに際し、最も頭を悩まされたのがこのアレクサンドロス崇拝である。
 恐らく、アレクサンドリア・カルマニアが存在したのであればその主神はアレクサンドロスであろう。

 もともと支配者の神格化はペルシアで始まったものであり、ギリシアの方が遅い。個人崇拝の儀式は、むしろペルシアの方が一日の長がある。
 ただ、ギリシアでは神々に対してそれほど煩瑣な儀式は行われていなかった。
 カルマニアに存在したアレクサンドリアで、あっさりとしたギリシア風の儀式が行われているのか、それともペルシア風の長大な儀式が行われていたのか。
 位置的にも西方、エジプトのアレクサンドリアと東方、後のバクトリアに移り変わっていくアレクサンドリア系諸都市の間にあることから、ギリシア風とペルシア風の折衷案にしようかと考えている。

悪神としてのアレクサンドロス

(妄想度0/5)
 ゾロアスター教では首都パールサ(ペルセポリス)を焼き尽くしたアレクサンドロスは当然悪神扱いになっている。エジプトでは後世アレクサンドロスが実はエジプト人の子孫であるなどという話が広まるが、これはアレクサンドロスがペルシアからの解放者だったからである。対してペルシア人にとってアレクサンドロスは英雄でもなんでもなかった。
 ササン朝以降、アレクサンドロスはゾロアスター教の敵となりダハーク(ザッハーク)、フラースィヤーグ(アフラースィヤーブ)と並ぶ悪の王とされている。
 カルマニアでアレクサンドロスがこのような見方をされていたかが問題である。勝利の神的には「負けた方が悪い」ので、あまり問題視されていなかったのではないだろうか。

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銅鐸時代

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