個人的な備忘録。事実と妄想は峻別していきたい。

 呪禁道=呪いの魔法 と思ってここに来てしまった人たちへ

 ごめんなさい! ここは呪禁道を学術的に取り扱っているサイトなので、あなたたちが期待するようなものは何もありません!
 この膨大な文書を最後まで読んでも、「呪いの藁人形の作り方」とか「犬神(イヌガミ)」とかもったいをつけた「我が一族に伝わる秘密の呪殺儀式」とかの話は一切出てきませんので、諦めて帰ってください!
 少し読んだだけで分かると思いますが、ここはそういう「イタいなりきり系サイト」ではありません!
(「蠱毒」の話は少し出てきますけども、たぶんあなたたちが求めるような形ではありません。)



白鳳に咲き、天平に散った薄幸の白魔術師、咒禁師(じゅごんし)に関する研究。

もともと小説に咒禁師のキャラを出そうとしていたのが発端である。当時は咒禁師ではなく「呪禁道士」と表記していた。調査の過程で「呪禁道士」という表記が間違いであることを知ったが、それに留まらずズブズブと深みに嵌り研究を続けている。

呪禁師(咒禁師)の「呪」という文字のせいで黒魔術的なものと思われがちだが、少なくとも歴史上の咒禁師は白魔術師である。このことを説明するために、迂遠ではあるがまず最初に漢字の話をしていきたい。

また、この論稿で扱うのはあくまで日本の咒禁師である。日本の咒禁師はすぐに廃れたが、本場支那の咒禁科はその後も祝由科と名前を変えて発展していった。支那の咒禁師は日本の咒禁師の説明に必要な分だけ解説する。

どんな研究にも最初の一歩を踏み出した人物がいる。たとえば賀茂在昌研究であれば海老沢有道先生であろう。同じように、日本で咒禁師の研究を始められたのは下出積與先生であった。
(悲惨なことに、Wikipediaでの呪禁師の項目における参考文献では「下"山"積與」という謎の人物にされてしまっている。(2014/3/19))
大学の頃、下出先生の論文を古い書庫から探し出しコピーを取ったその日から、私の咒禁師研究が始まったのである。




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「獲加多支鹵」の読み方について
銅鐸時代

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