個人的な備忘録。事実と妄想は峻別していきたい。

賀茂在昌を主人公にした小説がやっと刊行されました。非常にめでたい!

この小説の中の在昌は、一世代前の賀茂家の人々(在富、在康)とわりと繋がりがあります。『言継卿記』の著者山科言継とも知り合いという形になっています。
あと、戦国時代の僧である「一栢」と在昌を絡ませています。一栢は入明した経歴があると言われており、これにより在昌が「渡明の志」を抱くくだりが心憎い。

一番驚いたのは、在昌が棄教せずキリシタンとして陰陽師をやっているところです。確かに「棄教した」という証拠もありませんから、「こういう手もあったか」と思わされました。

ただ、気になる点もいくつかあります。
パドヴァ大学で法学を学び天文学にはあまり詳しくはないであろうヴァリニャーノが章歳(1太陽年の小数点以下まで含めた詳細な日数)を聞かれたその場で調べもせずにサラサラと書くシーンは「ちょっとどうかな……?」と思いました。むしろ在昌はこの情報を既に豊後時代で手に入れているはずです。

それと関連して、若き日の在昌がわりと気軽に豊後と京都を行き来している点もこの時代の交通を知る人間からすると怒られが発生しそうです。ただ高位の陰陽師は結構「お呼ばれ」があって当時の日本人では例外的に日本中を移動していましたからなくはないかな……?

後半が特にそうなのですが、タイトルにもある「日蝕」の学術的な話に拘りすぎて、私のような在昌研究家には嬉しいですが小説としての面白さは半減してしまっているような気がします。
これはこの本の著者である市原麻里子氏の思惑通りなのか、それとも共著者とも呼べる桐野作人氏のディレクションなのかが気になるところです。

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備忘録本編

「獲加多支鹵」の読み方について
銅鐸時代

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