個人的な備忘録。事実と妄想は峻別していきたい。

 掌決は、正確には掌訣と書く。
 「決」は切れる、「訣」は別れるという意味で、決別とも訣別とも書く。
 ただ、「訣」の字には「決」の字には無い意味がある。
 秘密、奥義という意味である。
 なぜ唐六典で「訣」ではなく「決」と書かれているのだろうか?
 支那の文献でこのようなことがあれば真っ先に疑うべきは避諱であるが、調べた限り「訣」の字を避けた事例はなかった。原因は不明である。

 掌訣とは左手の親指を使って掌に割り振られた十二辰や八卦を押さえる呪術で、例えば八卦であれば左手の人差し指、中指、薬指の腹を使って行う。「乾坤」と示したいなら「乾」を意味する薬指の根本の腹を押さえてから「坤」を意味する指先の腹を押さえるわけである。
 だから「掌訣を組む」という表現はおかしい。「掌訣を押す」というのが正しいだろう。
 なぜ掌訣が必ず左手を使うのかというと、道士は右手に手炉と呼ばれる柄付きの香炉を持つため、開いた左手で掌訣をするようになったのである。

 掌訣の別名は指法といい、前述の手印の別名が指訣なので大変ややこしい。
 この指法(掌訣)は唐代以降手訣(手印)を圧倒していったという。そのわりには日本で余り知られることはなかった。

 この掌決はこれまでの三つの方術と異なり日本で一般的な技法ではなかったせいか、台湾の道士たちによる実例が見られるまでは適当な話が多かった。この章でも大いに参考にしているが現代台湾における道教の話は松本浩一先生の著作に詳しい。
 適当な説の例としては、親指を掌で隠す呪術であるとか、果ては掌底、掌打のような掌を使った攻撃方法であるという説もあった。これなどは「掌」で勝負を「決」するという意味であろうか。
 あとは掌を使ったヒーリングであるというのも見かけた。どちかというとそれは按摩の技法であり、咒禁ではない。

 この掌訣については、次の營目の項で更に詳しく述べていく。





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「獲加多支鹵」の読み方について
銅鐸時代

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