個人的な備忘録。事実と妄想は峻別していきたい。

 ジーロフト(Jiroft)という町は現在も存在しているが、ここで述べるジーロフトとは現在のジーロフト近郊にある古代都市の遺跡のことである。
 地元ではシャハレ・ダキアヌス。ダキアヌスの町と呼ばれている。ダキアヌスと呼ばれている人物は史上何人かいるが、ここでは三世紀半ばにキリスト教の弾圧を行ったダキアヌスのことらしい。

 古代都市というのは言い過ぎか。
 都市というには小さすぎるが、古代という言葉にはピッタリである。なぜならイラン高原にアーリア人の侵攻してきた紀元前1500年代どころか、紀元前2500年代の遺跡だからである。都市というより「遺跡が散らばっている一帯」といった感じであるが、発掘された資料を見ると立派な文明を持っていたことが分かる。

 このジーロフト遺跡をアラッタと呼ばれる古代の王国に比定しようとする動きがあるようだが、それを関連付ける資料はまだ出てきていない。少なくとも現在の所は妄想の類である。ただ、証拠となる資料がとっくの昔に売り飛ばされている可能性も否定できない。現在のイランの国力や情勢から、ジーロフトの資料はかなり盗掘され売り飛ばされている。

 この都市がディアドコイ時代にまで残っていたかというと疑問である。紀元前四世紀頃にはすでに打ち捨てられていた可能性が高い。つまり、「カルマニアの古代都市」とは「古代カルマニアの都市」という意味ではなく、「古代カルマニアよりさらに古代の都市」という意味である。

バム

 このジーロフトの近く、というよりジーロフトに行くためにはバムという街を経由するのが普通であった。ところがこのバムの街は2003年に綺麗さっぱりと地球上から姿を消す。

 Wikipedia−バム

 大規模な地震が起きたのだが、バムの街はアドベと呼ばれる煉瓦の一種でできた街であり、文字通り土くれに帰ったのである。
 バムの街はそれほど古い街ではない。バムの街より古い要塞アルゲ・バムがパルティアまでさかのぼれるかどうかというレベルである。
 ただし、バムの街並みを構成していたアドベという天然の建築素材は四千年ほど前から使用されており、紀元前のカルマニアの街はみなこのアドベで構成されていた可能性が高い。

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銅鐸時代

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