個人的な備忘録。事実と妄想は峻別していきたい。

 カルマニアは傭兵の産地として有名で、通常は歩兵を供給していたが、パラエタケネの戦いではカルマニア騎兵が登場する。

 アッリアノスによればカルマニアの兵装はその暮らし方と同じくペルシア(パールサ)のものと似たり寄ったりであるという。ありがたいことにパールサ兵の資料はそこそこ残っているのでそこからカルマニア兵の兵装を逆算することが可能だろう。基本的にパールサより田舎なので若干くだけた装いになっているはずである。

ペルシア式兵装

 ペルシア兵の基本武装は弓である。これは騎兵、歩兵共に共通する。次いで槍。
 槍はそれほど長いものではない。マケドニア兵はサリッサと呼ばれる強烈に長い槍を用いたが、これは集団で用いることで初めて意味をなし、極めて長期に渡る周到な訓練が必要であった。ペルシア兵は二メートルから三メートル程度の槍を用いていたと思われる。
 騎兵も槍を用いていたが、歩兵のものより短かった。騎兵といえばランスによる突撃をイメージするがそのような戦法は遥か後代のものであり、当時は先端がとがっているだけのランスと異なり刃のついた槍を振り回していたのだろう。
 この当時のレリーフを見ると歩兵の持つ槍は下側のやや膨らんだ葉状の先端と球状の石突を持っている。
 弓はそれほど大きくなく、身長の三分の二ほどの長さ。背中に大きな箙を背負っている。

ペルシア人の戦法

 歩兵が弓で攻撃し、混乱したところを騎兵が弓または槍で攻撃、最後に歩兵が乱戦、というパターンである。
 軽装歩兵と軽装騎兵を組み合わせた形であるが、本来これはマケドニアの主戦力である重装歩兵に対して極めて分のよい戦い方である。軽装歩兵が一斉に攻撃し退却することができれば、だが。残念ながら相手はアレクサンドロス。完璧に規律の整った重装歩兵が相手であった。
 しかもマケドニアには若干不完全であるが重装騎兵に分類されるヘタイロイがいた。軽装歩兵は重装騎兵の一撃で蹂躙されてしまうのである。

 各地で行われたこのような対ペルシア戦争の総決算がイッソスの戦いであるが、カルマニアから離れてしまうのでここまでに留めておきたい。

カルマニア騎兵

 カルマニアで騎兵は珍しい。ストラボンによると「カルマニアでは馬が希少で、一般的にはロバが用いられている」と書かれていることもあり、騎兵はそんなにいなかったのではないだろうか。まさかロバ騎兵というわけにもいくまい。
 この当時ペルシアにいたのは現在「オナガー」と呼ばれる種類の野生ロバだと思われる。家畜ロバは一般的に別種のアフリカロバであるが、シュメール人たちはこのオナガーを家畜化しており、イラン南部もまたオナガーの生息地であることからストラボンの言うカルマニアのロバとはオナガーのことであろう。

Menu

備忘録本編

「獲加多支鹵」の読み方について
銅鐸時代

【メニュー編集】

管理人/副管理人のみ編集できます