最終更新:
arahito_tajima 2011年10月19日(水) 00:31:32履歴
カルマニアは傭兵の産地として有名で、通常は歩兵を供給していたが、パラエタケネの戦いではカルマニア騎兵が登場する。
アッリアノスによればカルマニアの兵装はその暮らし方と同じくペルシア(パールサ)のものと似たり寄ったりであるという。ありがたいことにパールサ兵の資料はそこそこ残っているのでそこからカルマニア兵の兵装を逆算することが可能だろう。基本的にパールサより田舎なので若干くだけた装いになっているはずである。
アッリアノスによればカルマニアの兵装はその暮らし方と同じくペルシア(パールサ)のものと似たり寄ったりであるという。ありがたいことにパールサ兵の資料はそこそこ残っているのでそこからカルマニア兵の兵装を逆算することが可能だろう。基本的にパールサより田舎なので若干くだけた装いになっているはずである。
ペルシア兵の基本武装は弓である。これは騎兵、歩兵共に共通する。次いで槍。
槍はそれほど長いものではない。マケドニア兵はサリッサと呼ばれる強烈に長い槍を用いたが、これは集団で用いることで初めて意味をなし、極めて長期に渡る周到な訓練が必要であった。ペルシア兵は二メートルから三メートル程度の槍を用いていたと思われる。
騎兵も槍を用いていたが、歩兵のものより短かった。騎兵といえばランスによる突撃をイメージするがそのような戦法は遥か後代のものであり、当時は先端がとがっているだけのランスと異なり刃のついた槍を振り回していたのだろう。
この当時のレリーフを見ると歩兵の持つ槍は下側のやや膨らんだ葉状の先端と球状の石突を持っている。
弓はそれほど大きくなく、身長の三分の二ほどの長さ。背中に大きな箙を背負っている。
槍はそれほど長いものではない。マケドニア兵はサリッサと呼ばれる強烈に長い槍を用いたが、これは集団で用いることで初めて意味をなし、極めて長期に渡る周到な訓練が必要であった。ペルシア兵は二メートルから三メートル程度の槍を用いていたと思われる。
騎兵も槍を用いていたが、歩兵のものより短かった。騎兵といえばランスによる突撃をイメージするがそのような戦法は遥か後代のものであり、当時は先端がとがっているだけのランスと異なり刃のついた槍を振り回していたのだろう。
この当時のレリーフを見ると歩兵の持つ槍は下側のやや膨らんだ葉状の先端と球状の石突を持っている。
弓はそれほど大きくなく、身長の三分の二ほどの長さ。背中に大きな箙を背負っている。
歩兵が弓で攻撃し、混乱したところを騎兵が弓または槍で攻撃、最後に歩兵が乱戦、というパターンである。
軽装歩兵と軽装騎兵を組み合わせた形であるが、本来これはマケドニアの主戦力である重装歩兵に対して極めて分のよい戦い方である。軽装歩兵が一斉に攻撃し退却することができれば、だが。残念ながら相手はアレクサンドロス。完璧に規律の整った重装歩兵が相手であった。
しかもマケドニアには若干不完全であるが重装騎兵に分類されるヘタイロイがいた。軽装歩兵は重装騎兵の一撃で蹂躙されてしまうのである。
各地で行われたこのような対ペルシア戦争の総決算がイッソスの戦いであるが、カルマニアから離れてしまうのでここまでに留めておきたい。
軽装歩兵と軽装騎兵を組み合わせた形であるが、本来これはマケドニアの主戦力である重装歩兵に対して極めて分のよい戦い方である。軽装歩兵が一斉に攻撃し退却することができれば、だが。残念ながら相手はアレクサンドロス。完璧に規律の整った重装歩兵が相手であった。
しかもマケドニアには若干不完全であるが重装騎兵に分類されるヘタイロイがいた。軽装歩兵は重装騎兵の一撃で蹂躙されてしまうのである。
各地で行われたこのような対ペルシア戦争の総決算がイッソスの戦いであるが、カルマニアから離れてしまうのでここまでに留めておきたい。
最新コメント
2022-07-19
2022-06-17
2020-11-24
2020-08-02
2020-05-09
2018-10-11
2018-10-09
2018-04-24
2017-11-29
2017-08-23