個人的な備忘録。事実と妄想は峻別していきたい。

 古代ペルシア多神教の女神で最も有名なものといえばアナーヒターである。ミスラが弥勒であれば、アナーヒターは観音菩薩とかかわりが深いという。

 アナーヒターはヴェレスラグナと同じくサーサーン朝ペルシアで最も栄えた。アナーヒター女神はペルシアの様々な河川の女神や、沼沢の女神を融合していったものと考えられている。つまり、本来は各地に同様の機能を持った水の女神が存在したのである。

 パールサ(ペルセポリス)の廃墟に隣接して建てられた都市スタフルにはアナーヒター神殿があったという。スタフルはササン朝直前に確認される都市なので、果たしてディアドコイ時代に存在したかどうかは不明である。

 古代カルマニア南部、現在のイランだとスィースターン・バルーチェスターン州になるのだが、ここにジャズ・ムーリアーンという低地がある。かつては湿地だったようだが、現在はワジによって季節的にしか水が流れないようである。
 ただ、古代、古代までいかなくとも中世まではここまで乾燥していなかったようで、「シトロ・メーヤーン」と呼ばれる湖や沼のようなものがあったらしい。
 古代カルマニアにおける沼沢の女神は、おそらくこのシトロ・メーヤーンの女神であっただろう。

 同様に、ハリル川という川がこの地を流れており、地誌のジーロフトはこのハリル川の氾濫によって見つかったのである。この川にも女神信仰があっただろう。

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備忘録本編

「獲加多支鹵」の読み方について
銅鐸時代

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