個人的な備忘録。事実と妄想は峻別していきたい。

 現在、日本の古代史は考古学的な区分により旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代と分けられています。
 このうち、弥生時代は紀元前9世紀頃から3世紀頃までとされていますが、

「紀元前2世紀から2世紀までを銅鐸時代として別に扱った方がよいのではないか」

 というのが本論です。

 考古学的に言うと3世紀半ばからの「古墳」に対抗する存在は「弥生式土器」というよりも「銅鐸」なのです。ちょうど「倭国大乱」から卑弥呼の登場あたりで銅鐸の時代が終焉を迎えており、考古学的には紀年銘鏡の時代があって古墳時代へと至ります。3世紀前半から後半までの「紀年銘鏡の時代」は古墳時代とやや被っているところがあり、別の時代と言うにはそぐわないのですが、「古墳」と「銅鐸」は見事な対比関係を為しています。「古墳時代」の前に「卑弥呼の時代」があり、そしてその前には「銅鐸の時代」があったわけです。「卑弥呼の時代」というのは「紀年銘鏡の時代」の時代から「古墳時代」と被っている後半部分を削いだ時代のことです。
 「銅鐸の時代」の終焉は、「倭国大乱」と重なります。近年、「倭国大乱」の実存を示す考古学的資料、というより大量の人骨が続々と発掘されています。発掘されたそれらの人骨の悲惨な状況から、弥生時代の研究者に対する精神的なケアが要求されているようです。

 というわけで、当サイトは日本書記をかなり無視していることもあり、古代の歴史に対しては、
・銅鐸時代(紀元前2世紀〜2世紀)
・卑弥呼時代(3世紀初頭〜中葉)
・古墳時代(3世紀中葉〜7世紀)
 というような区分で臨んでいきます。

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備忘録本編

「獲加多支鹵」の読み方について
銅鐸時代

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