個人的な備忘録。事実と妄想は峻別していきたい。

(実は枠組みを大幅に変更したせいで概論になっていない。いつかは綺麗にまとめたい。)

 カルマニアは古代イーラーンの地名である。現在その名を継いでいるケルマーン州とは若干位置が違うので注意が必要だ。
 ハカーマニシュ(アケメネス)朝のダフユ(属州)表に載っていないこの地方は、極めて資料が少ない。しかしながら新しい地方というわけではなく、それこそメソポタミアに匹敵する時代から都邑的な営みが行われていた。

 アレクサンドロス大王が東方遠征の帰りにこの地を通ったため、歴史に名を残すことになる。
 アレクサンドロス大王関係の書物で一番手に入りやすいと思われるのは岩波文庫版『アレクサンドロス大王東征記 付インド誌』であろう。このアッリアノスの書は元の書名が『アレクサンドルー・アナバシス』であり、直訳すると『アレクサンドロスによる征服』という意味である。「大王」や「東征」という意味はどこにもない。翻訳者がわざわざ「文庫編集部の意向を受けて『アレクサンドロス東征記』を『アレクサンドロス大王東征記』に変えました」と解説の中で述べているのはそういう背景があるからだろう。




Menu

備忘録本編

「獲加多支鹵」の読み方について
銅鐸時代

【メニュー編集】

管理人/副管理人のみ編集できます