個人的な備忘録。事実と妄想は峻別していきたい。

 この節では、主に二つの問題点を取り上げる。
 ひとつは隋唐以前の支那と朝鮮三国時代における仏教と道教の関係、そしてもう一つは敏達期に百済から来た咒禁師についてである。
 前者は当時の支那及び朝鮮の仏教及び道教がいかに絡み合っていたかを知ってほしいということであり、実はそれを踏まえてでないと後者の百済から来た咒禁師のことがよく理解できないのだ。

 余談であるが、このような研究に際し道教研究家と仏教研究家の論文を読み比べてみるとやはり自分の研究している分野の方が優勢であったと言い張るところが面白い。
 例えば仏教研究家は通説では道教が優勢であったとされている唐代に仏教側も十分優勢であったという論を張る。逆に道教研究家は仏教が優勢であるとされる則天武后の周代にいかに則天武后が道教の儀式も執り行っていたかということを高々と示すのである。





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備忘録本編

「獲加多支鹵」の読み方について
銅鐸時代

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