個人的な備忘録。事実と妄想は峻別していきたい。

カルマニアのゾロアスター教の下にゾロアスター教を配当するのもどうかと思うが、備忘録の類であるから問題はあるまい。

ここではカルマニアとほとんど関係なくなるのだが、『アヴェスタ』最古層の「ガーサー」について主に取り扱う。

ガーサー

 ヤスナの第28章から第34章、第43章から第51章、そして第57章を「ガーサー」と呼び、これが『アヴェスタ』の最古層とされる。
 と、いう表記はよく見かけるのだが、では実際どのようにしてこれを見分けていったのか、というところも少しは追っておきたい。

 ガーサーを読んで思うのは、「牛の魂」という言葉の意味である。キリスト教では信徒の事を「神の子羊」と呼ぶことから、ガーサーにおける「牛」も同様に信徒の事を意味しているのかと思ったのだが、どう考えても実際の牛を意味しているとしか思えないところもある。
 また、そこにあるのはひたすら圧倒的な牛至上主義の遊牧生活である。村や町といった都市生活の話はほぼ描かれていない。

 伊藤義教氏訳では後世で六大天使の一つとなっているクシャスラが全て「王国」になっている。文意からしてここは「天使の一種」ではなく「概念」とみなして間違いないのだが、「王国」という訳語はあまりよろしくないと思われる。ようは主権、権利を有する領域、領地という意味で、家<村<郷<邦などと組み合わせて使うのだが、これでいくと「家」の「王国」、「村」の「王国」などと笑える訳になってしまうのである。訳語としては「領域」の方がまだふさわしいが、ピッタリな日本語がなかなかない。
 逆なのが「スラオシャ」で、「高諾」という言葉であったり、その擬人化であったりと使い分けておられる。この「高諾」という言葉がよく分からないのだが、「クシャスラ」と違って既にかなり擬人化されているとして全て「スラオシャ」という存在であるとみなして読んだ方が文意が通りやすい。
 イランはもともと抽象神格が多いからねぇ。ローマでは「調和(コンコルディア)」を女神と見なしていたから、ああいう風に概念と神格を徹頭徹尾まぜこぜにしていると理解しなくては。難しいなあ。
 あれだ、和風に「王国(クシャスラ)」みたいな感じで漢字の上にルビを振るんだ。日本限定の技だが、こうすれば概念と神格が同時に表記できるし理解しやすい。
 あと「談合」。「ウォフ・マナフと談合して」などと言う表記を見ると「ウォフ・マナフ、そちも悪よのう……」という言葉が頭をよぎるので、これも現代風に「相談」などにした方が良いと思われる。これは伊藤氏が訳されていた頃は「談合」にそれほど悪い意味がなかったためである。

第28章

 ここに出てくるのはスプンタ・マンユ、アフラマズダー、ウォフ・マナフ、アールマティ、そして人間のザラスシュトラとウィーシュタースパ、フラシャオシュトラである。ウィーシュタースパはザラスシュトラに帰依した王様で、フラシャオシュトラはその部下である。
 天使、という言葉はあまりよろしくない。ウォフ・マナフはさほど擬人化されていない。ウォフ・マナフは「善思」という意味であり、それを通じて神から啓示を受けるものである。対してアールマティは与える者である。この章では王国を栄えさせ、ザラスシュトラとウィーシュタースパに頑健を授ける者である。
 有象の[世界]、心霊の[世界]という言葉が出てきているが、これはゲーティーグとメーノーグの訳なのであろうか。原文の読みが知りたい。

第29章

 アエーシュマ、そして不義者の話が出てくる。ここに牛の魂が出てくるのだが、牛と乳牛とは男女のことか?牛の魂がアフラ・マズダーに話しかけるというのは相当シュールな図である。

第30章

 ダエーワが出てくる。ダエーワがアカ・マナフを選択してアエーシュマに集うとある。ザラスシュトラは不義者たちへの懲罰を願う。

第31章

 クシャスラとはアフラ・マズダーのものであり、ザラスシュトラはそれを求める。
 「完璧」と「不死」が現れる。それぞれハルワタートとアムルタートである。
 「ダエーワ」とややこしい「ダエーナー(自我)」が出てくる。

第32章

 ダエーワに対する説教。ウィーワウワントの子イマの話が出てくる。カラパン僧、カウィ王族も登場。ドゥーラオシャなる存在。

第33章

 ザラスシュトラが自身を「ザオタル」であると呼ぶシーン。
 アムルタートやハルワタートはやはり授ける者のイメージ。
 ウォフ・マナフ、クシャスラ、そしてアシャはやはり通じるもの、通路のイメージが強い。
 アフラマズダー、アールマティ、アシャ、ウォフ・マナフ、そしてクシャスラに呼びかけるシーン。

第34章

 サオシュヤント、という言葉が出てくる。

第43章

 ザラスシュトラとアフラ・マズダーの出会いについて。

第44章

 ザラスシュトラによる問い。太陽と星辰、月、大地、天空、水、草木、風、雲、光、闇。
 アールマティがクシャスラと共に創造されたという記述。
 しかし、「完璧」と「不死」よりも、「健康」と「長寿」に読み替えた方がしっくりくるような気がするな。
 カラパン僧とウシグ僧がアエーシュマに牛を捧げているシーン。

第45章

 邪師との対決。アフラ・マズダーがウォフ・マナフの父、アールマティがアフラ・マズダーの娘とされる。
 アールマティの性別が女性であるのに対し、ウォフ・マナフははっきりしていないことに注意。

第46章

 布教すべき場所を問うザラスシュトラ。
 チンワントの橋に関する記述。
 トゥランびとフルヤーナ。
 ハエーチャス・アスパの子孫でスピターマ家のものたち。
 フラシャオシュトラ・フウォーグワ。
 ジャーマースパ・フウォーグワ。
 この二人は兄弟であり、特にジャーマースパは初期教団の後継者になったようである。

第47章

 スプンタ・マンユとは聖なる霊のことであり、スプンタ・アールマティは聖アールマティと訳される。
 アフラ・マズダーはアシャの父でもある。

第48章

 ここにもサオシュヤントが出てくる。サオシュヤントという言葉をザラスシュトラ自身が使っていたということが重要である。
 サオシュヤントとは一人ではなく、天則とともなる行動をもってアフラ・マズダーに従うものがサオシュヤントであり、アエーシュマの打倒者であるとしている。

第49章

 ブーンドワという人物が登場する。どうやらザラスシュトラの敵のようで、ウォフ・マナフを通じて死をくだすよう祈っている。
 ダエーナー(自我)はウォフ・マナフと交わるものである。
 アールマティと並置されるイージャー(乳、乳酪)。

第50章

 アフラ・マズダーの助けをあてにするザラスシュトラ。優れて他力本願的である。
 要求するのは再び招福の牛。一貫して牛こそが財産である。

第51章

 金属の話が出てこないのに熔鉱という言葉を用いて良いものか。
 ワエープヤという人物の登場。二頭の馬と冬の橋の物語。
 従兄で最初の弟子のマドヨーイモーンハもここで登場。ウィーシュタースパ、フラシャオシュトラ、ジャーマースパと、人名がかなり多い。

第53章

 ザラスシュトラの末娘ポルチスターとジャーマースパとの結婚の話。
 悪行者たちへの呪い。

ズルワーン

 エミール・バンヴェニストはガーサーにアフラ・マズダーとアーリマンを生み出したズルワーン神話の枠組が残っており、ズルワーン崇拝がガーサーに遡るとしている。
 これは少々卑怯なやり方で、ガーサーにある「双子の神」という枠組みをもってその証拠としているのである。
 だが、ガーサーは一貫してアフラ・マズダーを「はじめなき」「はじめにしておわりにまします」存在であるとしている。ここにズルワーン信仰の形跡は見られない。

Menu

備忘録本編

「獲加多支鹵」の読み方について
銅鐸時代

【メニュー編集】

管理人/副管理人のみ編集できます