個人的な備忘録。事実と妄想は峻別していきたい。

 さて、それでは咒禁師たちはいったいどのような呪術を用いたのであろうか?
 序論では「呪禁道」なる魔術体系はないと述べた。日本における官制の咒禁師の所掌はあくまで治療魔術である咒禁だが、やはりこれは名称に「咒(呪)」という文字が入っているためであろうか、フィクションの咒禁は厭魅蠱毒を初めとする「呪い」を重視しがちである。
 隋代の太医巣元方の書いた大著『諸病源候論』には蠱毒の話はあるが各種咒禁の話は載っていない。本論は呪殺としての咒禁ではなくあくまで治療魔術としての咒禁を追っていることからこういった蠱毒については省くものとする。
 また、辟穀、服餌、調息、導引、房中術といった養生法もまた省く。これらはそもそも呪術ではなく、技法としてはむしろ按摩に関係していたようである。

 官制の咒禁師が何を学んでいたかを調べるために、まず養老律令の医疾令を見てみよう。

養老律令医疾令

 日本の律令のうち、飛鳥浄御原令及び大宝律令は原文が残っていない。だが、大宝律令の次に編纂された養老律令のうち、令に関してはほとんどが残っている。
 今回問題となるのは医疾令である。医疾令は倉庫令と共に平安前期に編纂された『令義解』及び『令集解』に残されていない。
 『令義解』に残されていないはずなのに時々「『令義解』医疾令」などと表記されていることがある。これは『政事要略』など別の文献からほぼ全文が復元されているためである。混乱するので「『令義解』(復元)医疾令」とでもしたほうが分かりやすい気がするのだが、あまり拘られていないようである。
 この復元された医疾令に、以下のような文言がある。

按摩呪禁生学習条
呪禁生。学呪禁解忤持禁之法。
 謂。持禁者。持杖刀読呪文。作法禁気。為猛獣虎狼毒虫精魅賊盗五兵。不被侵害。又以呪禁固身体。不傷湯火刀刃。故曰持禁也。解忤者。以呪禁法解衆邪驚忤。故曰解忤也。

 この「謂」以降の文章で呪禁について詳しく書かれているのだが、他の令と比較していくと原文の養老律令医疾令にはこの文書はなくただ「呪禁生。学呪禁解忤持禁之法。」とのみ書かれていたことが分かる。後段の文書は『令義解』、正確に言うと『政事要略』にのみ書かれているのだ。いってみれば『令義解』や『政事要略』が書かれた当時の咒禁についての解説、注釈である。
 『令義解』が完成したのは天長10年(833)。『政事要略』に至っては長保4年(1002)である。この部分が養老律令、そして更にそれ以前に制定された大宝律令施行当時の咒禁を本当に説明しているのかは相当に怪しい。
 例を挙げてみると、医疾令において医生が学ぶべきとされている『本草』という書物について、『令義解』(復元)医疾令では「『新修本草』二十巻のことである」とされているが、発掘された木簡や続日本紀の記述から養老律令施行当時使われていたのが実際は陶弘景の『本草経集注』であることが分かっている。
 『新修本草』の方が『本草経集注』より内容が勝っているため『令義解』が書かれた時代には『新修本草』が使われていたのだが、養老律令制定時には『本草経集注』を用いていたのだ。
 このように平安時代に書かれた『令義解』や『令集解』での解説が天平時代の認識と一致しているかというとかなり心許ないものがある。

 ありがたいことに、咒禁を解説したもっと近い時代の文書があった。ただし、支那の書物であるが。
 それが(大)唐六典である。

大唐六典


 一般的には唐六典として知られる大唐六典は唐代の官制・法制について記した書であり、全三〇巻。現在はインターネットで全文を読むことや、果ては写真撮影された現物を見ることすら可能である。

 参考:Wikisource上の唐六典

 唐の玄宗の勅撰であり、李林甫(りりんぽ)らの注とされている。
 勅撰とは皇帝が作れと命じたもので、私撰に対する言葉である。日本で言うと『令義解』が勅撰、『令集解』が私撰である。
 李林甫は玄宗期に長く宰相を務めた人物である。李林甫の権力闘争話もかなり面白いのであるが、話がずれるのでここでは置く。
 大唐六典の成立は738年。ありがたいことに、日本において咒禁師の記録が途絶える767年以前の書物である。国は違うが『政事要略』より遙かに近い時代となっている。

 唐六典巻十四に曰く、

 咒禁博士一人,從九品下。(隋太醫有咒禁博士一人,皇朝因之,又置咒禁師、咒禁工以佐之,教咒禁生也。)咒禁博士掌教咒禁生以咒禁祓除邪魅之為●(がんだれ萬)者。(有道禁,出於山居方術之士;有禁咒,出於釋氏。以五法神之:一曰存思,二曰禹歩。三曰營目,四曰掌決,五曰手印;皆先禁食葷血,齋戒於壇場以受焉。)

 とある。
 ここには五法神という存思、禹歩、營目、掌決、手印の五種の方術が見られる。
 この章ではこの記述に基づき、一つ一つの方術について解説していく。
 本来であれば順番通り存思、禹歩、營目、掌決、手印と解説していくべきなのだが、ここでは思惑があるので存思、禹歩、手印、掌決、營目の順番で解説していきたい。




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