個人的な備忘録。事実と妄想は峻別していきたい。

 南京でおきた大虐殺は、日中合作のコラボレーションであった。
 それは、二人の愚将が意図せずして共同歩調をとったことによる空前絶後の悲劇である。
 日本側の愚将は上海派遣軍司令官、松井石根。暴走する日本軍を止められず、早期南京入城に拘り虐殺を加速させた「中国通」である。
 中華民国側の愚将は国民革命軍一級上将、唐生智。南京周辺の青壮年男性を兵隊として掻き集め、清野戦術で南京周辺の食料を亡失させたあと、「彼らを南京に残して逃げ出した」南京防衛戦の総指揮官。
 この二人の愚将にはもう一つ共通点がある……彼らは熱心な仏教徒だったのだ。
 上海での勝利に酔い驀進した日本軍が南京で見つけたものは、兵隊として集められた大量の中華民国人青壮年男性。そして日本軍は予定無き進軍で食料を欠き、中華民国側も清野戦術で自らの口を満たす糧を失っていた。
 結果として始まったのは……食糧不足による不慮の暴発を恐れた日本軍による中華民国人青壮年男性の大虐殺であった。

 ここまでが「南京大虐殺」の事実である。
 だが、2016年現在、この事実を中心に二つの対立する派閥が存在する。
 一つは「便衣兵南京事件派」。「兵隊として集められた中華民国人青壮年男性は便衣兵なので、いくらそれを殺しても虐殺にはあたらない」という詭弁を弄する派である。彼らは「南京大虐殺」と呼ばず「南京事件」と呼ぶ。
 もう一つは「レイプ・オブ・南京派」である。「大虐殺」という語感を利用して、「南京では女子供を中心に大量の無辜の市民が犯され、殺された」と主張する派閥である。彼らは全く関係のない写真ですら「南京大虐殺のものである」と主張する。

 事実は一つだが、「立場によってものの見方はこれほどまでに捻じ曲げることができる」という見本のようだ。

 この問題は非常にセンシティヴなのでこの備忘録に掲載することは躊躇された。だが、一定の資料が集まり、見通しが立った以上、掲載しないわけにはいかない。
 このため、このコンテンツはメニューには掲示するもののトップページには記載せず、あくまでいつでも削除できる裏コンテンツ扱いとして掲載する。

 南京事件はそれだけで一つの巨大な学問である。無数の学説、資料、偽書、陰謀論が錯綜する混沌の極みなのだ。
 本稿は無謀にもこの混沌の核の中へ今から突入しようとする人々への道標になれば良いと考えている。

 なお、本稿ではあえて「南京事件」という一般的な名称にせず、「上海南京戦争」という聞きなれない名前にしてある。
 これは、本稿が南京事件は上海戦と不可分であるということと、日中双方が他者に戦争状態であると認識されたくなかったため"事件"や"事変"と表記していたが、"戦争"以外の何ものでもないという視点のもとで作成されているからだ。

 戦争は感情の産物である。
 戦争は決して論理的な帰結から引き起こされたものではない。感情によってのみ引き起こされるのだ。
 論理的な視点で見たところでなぜこのような戦争が発生し経過していったかは理解できない。
 だが、それでも私はこの上海南京戦争というものの概観を示したいのだ。何が起こったのか、どう推移していったのかを冷静に書き留めていきたい。
 判断はその時代、その時代の価値観に任せるとしよう。

 今回の章立ては以下のとおりとする。
第一章 時代背景
第二章 戦史
 第一節 中支那方面軍
 第二節 南京防衛軍
第三章 登場人物
 第一節 中支那方面軍
 第二節 南京防衛軍
 第三節 その他




Menu

備忘録本編

「獲加多支鹵」の読み方について
銅鐸時代

【メニュー編集】

管理人/副管理人のみ編集できます