個人的な備忘録。事実と妄想は峻別していきたい。

隋唐の医学書

 隋代の医師である巣元方の書いた『諸病源候論』は隋唐の戦乱に巻き込まれたため成立した隋代には世に出なかった。その後唐代に価値が見直されたものの出版はされず、手に入るようになったのは宋代である。
 むしろ682年に完成された『千金翼方』の方が時代的には重要である。唐代の名医孫思バクによって『千金要方』の次に作られたこの三十巻の医学書では、禁経という呪術的治療法が最後の二巻を与えられている。
 孫思バクはなぜ禁経という一種医学的ではないものを入れたのかということについて「だって効くから」と答えており、あくまで禁呪を医療の一種として捉えていたことが分かる。
 孫思バクは後世に大唐薬王と呼ばれ、中国三代医師の一人にも選ばれているぐらいだからマイナーな存在ではない。

 このことから唐代において咒禁というのは宗教行為というよりも一種の医療として捉えられていたことが分かるのである。後述するが、唐官制の咒禁師は医療官僚であり、道教教団から出向してくるわけではなかった。むしろ道士は医療行為を厳禁されていたのである。

 ただ、一説によると『千金要方』と『千金翼方』は別物で、特に『千金翼方』は孫思バクの書ではないという説もある。
 『千金翼方』の禁経については、第五章「方術としての『咒禁』」で詳しく扱う。





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「獲加多支鹵」の読み方について
銅鐸時代

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