個人的な備忘録。事実と妄想は峻別していきたい。

まだまだ中支那方面軍の話が書き終わっていないが、こちらもそろそろ手を入れていく。

1937年7月19日

蒋介石による徹底抗戦を訴えた「廬山声明」

上海防衛軍

蒋介石はこの上海防衛軍に国民政府の精鋭部隊をほとんど放り込んだ。このため上海戦は日本の予想を遥かに超える激戦となる。ところが上海戦で負けてしまうともう蒋介石にはタマが無かった。そのため蒋介石は南京を早々に脱出するのである。

1937年11月13日

 上海の中国軍壊滅。撤退、というか潰走の開始。

中国政府は南京を脱出後、武漢に移り、その後更に重慶に向かう。

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備忘録本編

「獲加多支鹵」の読み方について
銅鐸時代

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