個人的な備忘録。事実と妄想は峻別していきたい。

 古代日本の医学といっているが、別段宗教における神道のように日本独自の医学があったわけではなく、それらはすべて支那医学の受け売りである。
 第四章「官制としての咒禁師」で触れるが、日本では医と針が別格で、按摩と咒禁は一段落ちるものとされた。
 『続日本紀』では医生や針生が学ぶべき書物が記されており、医生は『大素』『甲乙』『脈経』『本草』。針生は『素問』『針経』『明堂』『脈経決』とされている。
 どれも見慣れない書物であろうから、ここでは一つ一つの書物について短い解説をつけておこう。

医生が学ぶべき書物 

大素

 続日本紀では大素となっているが太素が正しく、正式名称は『黄帝内経太素』である。
 七世紀ころの写本で、唐代の楊上善が『素問』と『霊枢』を合わせて編纂したものである。後述するが、ここでいう『霊枢』とはほぼ針生の所に出てくる『針経』のことである。
 完全に散逸したと考えられていたが京都の仁和寺で発見され、むしろ支那の研究家が狂喜乱舞したことで有名である。

甲乙

 『黄帝内経』の『甲乙経』。唐初に『素問』、『霊枢』、『明堂』を纏めた書物であるが、この三書が全て後の針生が学ぶべき書物に入っているのが面白い。

脈経

 晋代の王叔和による脈診書。針生は『脈経決』という脈診書を最初に読むよう指示されているが、医生はこちらを最後に読むように指定されている。

本草

 先述のとおり陶弘景の『本草経集注』だったのだが、その後『新修本草』となっている。
 医生が最初に読む本とされた。このことからも医生はまず薬のことを知るように期待されていたことが分かる。そもそも医生の所属する官庁の名前が典薬寮であるのだから当然であろう。

針生が学ぶべき書物

素問

 黄帝内経『素問』。黄帝内経系医書の中では最も古いものとされる。陰陽五行説を中心とするも、医学全般のことについて述べられている。

針経

 『隋書』等に現れる『黄帝針経』のこと。『霊枢』とも呼ばれる。先述の『太素』や『甲乙経』では『霊枢』と書かれていた。もともと『針経』と呼ばれていたのか『霊枢』が針を重視していたため『針経』と呼ばれるようになったのかは現在でも分かっていない。

明堂

 黄帝内経『明堂』のこと。一巻だけだが『太素』と同じく仁和寺で発見された。先述の『甲乙経』は『素問』、『霊枢』、『明堂』を参考にしているとあり、『甲乙経』から『素問』と『霊枢』部分を抜けば『明堂』が残るためいくつか復元案がある。

脈経決

 ややこしいが医生の『脈経』とは別物である。『脈決』とも書かれる。
 こちらは『明堂』と同じく針生が最初に読む本とされた。

咒禁生が学ぶべき書物

 残念ながら『続日本紀』に咒禁生が学ぶべき書物は書かれていない。というか、そもそもそのような書物があったのかという方が疑問である。

番外:陰陽生が学ぶべき書物

 ちなみに陰陽生は『周易』『新撰陰陽書』『黄帝金匱』『五行大義』を学ぶこととなっており、どう見ても陰陽家の書物しかない。中国側の資料が手に入るまでの長い間、陰陽道が陰陽家による魔術体系の発展系であると勘違いされてきた理由もここにある。





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