個人的な備忘録。事実と妄想は峻別していきたい。

白鳳に咲き、天平に散った薄幸の白魔道士、咒禁師(じゅごんし)に関する研究。

もともと小説に咒禁師のキャラを出そうとしていたのが発端である。当時は咒禁師ではなく「呪禁道士」と表記していた。調査の過程で「呪禁道士」という表記が間違いであることを知ったが、それに留まらずズブズブと深みに嵌り研究を続けている。

呪禁師(咒禁師)の「呪」という文字のせいで黒魔術的なものと思われがちだが、少なくとも歴史上の咒禁師は白魔術師である。このことを説明するために、迂遠ではあるがまず最初に漢字の話をしていきたい。

また、この論考で扱うのはあくまで日本の咒禁師である。日本の咒禁師はすぐに廃れたが、本場支那の咒禁科はその後も祝由科と名前を変えて発展していった。支那の咒禁師は日本の咒禁師の説明に必要な分だけ解説する。

どんな研究にも最初の一歩を踏み出した人物がいる。たとえば賀茂在昌研究であれば海老沢有道先生であろう。同じように、日本で咒禁師の研究を始められたのは下出積與先生であった。
大学の頃、下出先生の論文を古い書庫から探し出しコピーを取ったその日から、私の咒禁師研究が始まったのである。




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銅鐸時代

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