経済・経済学に関するメモ。

供給ショック

ミルトン・フリードマン
仮にケインズ政策を採ったとすると、景気が拡大するので失業率が下がる。失業率が下がると人々はインフレ期待を強めて、結果的に賃金が上昇し、結局のところ実質GDP成長率が低下して、失業率が再び上昇してしまうというのである。(中略)GDPはほとんど変わらずに物価だけが上昇することになるというわけである(竹中平蔵 『経済古典は役に立つ』 光文社〈光文社新書〉、2010年、200-201頁)。
野口旭、田中秀臣
六〇年代末から八〇年代前半を通じて、先進国の多くは、インフレーションそしてスタグフレーション(不況のなかでのインフレ)という現象に悩まされることになった。それは、ケインズ政策の名のものとにマクロ政策を乱用し続けたことが原因である。供給側の制約を十分に考慮せず、拡張的なマクロ政策を続ければいけば、やがてインフレとなり、それを引き締めようとすれば今度はスタグフレーションになる。それは、あまりにも当然である。(中略)こうしたインフレーションあるいはスタグフレーションに陥った経済においては、拡張的マクロ政策はまったく意味を持たない。それは単に、状況をより悪化させるにすぎない。そこでは、一時的な苦境を覚悟のうえで、緊縮的なマクロ政策を発動するしかない。しかし、もう一つの可能性がある。それが、構造改革である(野口旭・田中秀臣 『構造改革論の誤解』 東洋経済新報社、2001年、62-63頁)。

物価賃金スパイラル

岩田規久男
スタグフレーションがなぜ起こるかという点については、次のような考え方が一つの定説となっている。すなわち、景気の拡大が続くと、労働市場では労働不足が発生するため、名目賃金率が上昇していく。名目賃金率が上昇していくと、労働時間が増えたり、パートタイム労働者が増えたりすることによって、経済全体の労働供給量は増加していく。これが生産の拡大を可能にし、経済は緩やかな物価上昇を伴いながら拡大していく。ところが、総需要の増大が総供給の増大を上回るようになるにつれて、インフレ率は上昇していく。そのため、やがて労働者は名目賃金は上昇したが、インフレ率も上昇したため、名目賃金を物価で割り引いた実質賃金(これが賃金の購買力を決める)はむしろ下がってしまったことに気づく。そこで労働組合は将来のインフレ率を織り込んで賃金を引き上げようとする。企業も物価が上昇している過程では賃金の上昇を物価に転嫁しやすいので、労働者の賃上げを受け入れるようになる。このようにしてインフレ率が上昇すると、名目賃金率も上昇するという一種の悪循環が始まる。名目賃金率とインフレ率が同時に同じスピードで上昇するようになると、もはや実質賃金率が上昇しなくなるため、いったん増加した労働供給量は減少に転じ、統計的には失業率が上昇する。かくて、失業率が上昇しているのにインフレ率も上昇しているというスタグフレーションが発生する。結局、金融緩和政策が続け、総需要を拡大させていっても、失業率をある水準以下に引き下げることはできなくなる(岩田規久男 『マクロ経済学を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、1996年、166-167頁)。

歴史

岩田規久男
七〇年代に入って、インフレ率は日本でもアメリカでも二桁台に上昇し、失業率もインフレ率も高まるというスタグフレーションと呼ばれる状況が生じた(岩田規久男 『マクロ経済学を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、1996年、166頁)。
内田勝晴
一九八〇年にアメリカのレーガン大統領、イギリスのサッチャー首相らがマネタリズムを採用し、スタグフレーションを抑え込むことに成功した(内田勝晴 『家康くんの経済学入門-おカネと貯蓄の神秘をさぐる』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2001年、211頁)。

イギリス

橘木俊詔
深刻な問題は、1960年代末期から70年代におけるイギリス経済の不振であった。(中略)インフレと失業も深刻であった。ケインズ経済学の世界ではインフレと失業は同時に発生しないのが普通であるが、この双方が同時に発生するという新しい局面に入った(橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、186頁)。

アメリカ

三菱総合研究所
米国では七九年の第二次オイルショックにより、インフレと景気停滞が共存するスタグフレーションがさらに深刻化した(三菱総合研究所編 『最新キーワードでわかる!日本経済入門』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2008年、163頁)。
三菱総合研究所
八〇年代は八一年に就任したレーガン大統領により、減税や規制緩和を柱とするレーガノミクスと呼ばれる経済の活性化策がとられた。七九年にFRB(連邦準備制度理事会)議長に就任したポール・ボルカーの強力な金融引き締め策が奏功し八〇年代初めにインフレはようやく終息した(三菱総合研究所編著 『最新キーワードでわかる!日本経済入門』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2008年、163頁)。
田中秀臣
ボルカーの行った「ディスインフレ」(高いインフレ率を抑えて低インフレにすること)政策が積極的な名目利子率と実質利子率の引き上げによって実行されたこと。そして、それが80年代にインフレ率を劇的に低下させる一方で、10%に迫る高い失業率を生み出してしまったことである(田中秀臣 『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』 講談社〈講談社BIZ〉、2006年、181-182頁)。
ベン・バーナンキ
バーナンキはこの70年代の状況を「ビッグ・インフレーション」と表現して、「民間の経済主体の高いインフレ期待がビッグ・インフレーションをもたらした」と主張している(田中秀臣 『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』 講談社〈講談社BIZ〉、2006年、93頁)。
ベン・バーナンキ
バーナンキは、この70年代のインフレ予想形成の失敗がいかに社会的コスト(失業)を生み出したのかを説明し、今後このような失敗をしないためにも、経済主体の予想形成が金融政策の欠かせない要素になる--と力説している(田中秀臣 『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』 講談社〈講談社BIZ〉、2006年、182頁)。

日本

昭和初期
田中秀臣
総辞職した憲政会の若槻礼次郎内閣に代わって政権をとった政友会の田中義一内閣は、モラトリアム(銀行に対する支払い猶予令)を配布し、その間に各銀行に対し、日本銀行から巨額の救済融資を行って、なんとか取り付け騒ぎを鎮めることに成功しました。しかし再三の日銀特融による日本銀行券の増発で、市中には過剰な通貨があふれ、不況の中でインフレが発生するという、スタグフレーションに陥ります(田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、113頁)。
狂乱物価

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