経済・経済学に関するメモ。

統計

伊藤修
総合卸売物価は七三年一五・六%、七四年三一・四%上昇、消費者物価は七三年一一・七%、七四年二三・二%上昇、当時の実質GNPは七四年にマイナス〇・二%を記録した(伊藤修 『日本の経済-歴史・現状・論点』 中央公論新社〈中公新書〉、2007年、90頁)。
伊藤修
春闘での賃上げ率は七三年二〇%、七四年で三三%を記録した(伊藤修 『日本の経済-歴史・現状・論点』 中央公論新社〈中公新書〉、2007年、102頁)。

原因

日本銀行
一九七〇年代に入っての貨幣の増加の原因について、「日本銀行調査月報」(一九七三年六月)は「金融機関の貸し進みによるものであった」と簡単に片づけています。ひらたくいえば、「日本銀行と関係なく、銀行がどんどん貸し込んだから」ということになります(田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、142頁)。
小宮隆太郎
しかし小宮隆太郎は「昭和47、48年のインフレーションの原因」の中で日本銀行の石油ショック前の行き過ぎた金融緩和政策とその後の引き締めの遅れが、この「狂乱物価」の犯人であり、日銀の遅れがが(小宮はバーナンキのように期待の経路は明示していないが)企業や労働組合などに製品価格上昇や賃上げに走らせた、と述べている(田中秀臣 『経済政策に歴史を学ぶ』 ソフトバンク クリエイティブ〈ソフトバンク新書〉、2006年、190頁)。
日本銀行
「狂乱物価は日本銀行がマネーサプライ(貨幣供給量)を増やしすぎたために起きた」と批判する東京大学の小宮隆太郎教授に対し、日本銀行側は「マネーサプライは金融政策によって操作できない」と主張、「インフレは日本銀行の責任ではない」としらをきったのです(田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、24頁)。
新保生二
1970年代の長期停滞(スタグフレーション)は、経済政策の失敗が招いたものであること、その主因は日本銀行の政策のミスであることを明確に指摘した。特に1973、74年のいわゆる「狂乱インフレ」は日本銀行が過大な貨幣供給を行ったことにあるとした。なんで過大な貨幣供給を行なってしまったのか?それは簡単に言えば、日本銀行が人々の期待のあり方を無視しているからだ、というのが新保氏の説明の核心だ(田中秀臣 『増税亡者を名指しで糺す!』 悟空出版、2018年、170頁)。
新保生二
経済活動が停滞しているので、貨幣供給で刺激する。ところが、人々がすでに貨幣不足の状況から抜け出しても、まだ同じように貨幣供給を続けてしまう。そのような日本銀行の姿勢が変化しないことを「期待」してしまった人々は、インフレ期待を形成し、さらに物価は上昇していく。このような累積的な物価上昇は、日本銀行が期待を無視したことによると新保氏は断じている(田中秀臣 『増税亡者を名指しで糺す!』 悟空出版、2018年、170頁)。
滝田洋一
狂乱物価を招いた田中政権のカジ取りは褒められたものではないが、日米の力関係を無視した金融政策の記述はおとぎ話だろう(滝田洋一 『今そこにあるバブル』 日本経済新聞出版、2017年、143頁)。

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