経済・経済学に関するメモ。

松原聡
ゼロ金利政策は、日銀の公開市場操作の一つで、不況対策のために実施されてきた金融政策です(松原聡編著 『日本の経済のしくみ (図解雑学)』 ナツメ社、2008年、170頁)。

経緯

松原聡
日銀は無担保コール翌日物金利を積極的に引き下げていき、1999年にはほぼゼロ%にまで引き下げました。これが「ゼロ金利政策」と呼ばれるものでした(松原聡編著 『日本の経済のしくみ (図解雑学)』 ナツメ社、2008年、170頁)。
田中秀臣
このゼロ金利政策は、実際に導入されるまで、前述の中原委員によって政策決定会合で何度も提案されながら、反対多数で否決されています。日本銀行内で大きな抵抗を受けた末の導入でした。日本銀行がそれまで反対していたゼロ金利政策を採用することになったのは、この少し前に、大蔵省が資金運用部による長期国債の買い入れを中止すると発表し、その結果、国債金利が跳ね上がってしまったためといわれています(田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、162頁)。
速水優
講演や記者会見のたびに繰り返しその弊害を数え上げていました。「ゼロ金利政策は非常事態における緊急避難的な政策であり、いつまでも続ける性質のものではない。機会があり次第、なるべく早い段階で金利を『正常化』していく」と、政策採用直後から、早期の解除を明言していたのです(田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、163頁)。

日銀銀行の見解

速水優
ゼロ金利や量的緩和は企業経営の危機感を失わせ構造改革を阻害する(田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、165頁)
福井俊彦
仮に低金利が経済・物価情勢と離れて長く継続するという期待が定着するような場合には、行き過ぎた金融・経済活動を通じて資金の流れや資源配分に歪みが生じ、息の長い成長が阻害される可能性があると断定されます(田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、197頁)。
白川方明
日銀の白川方明理事(現総裁)が国会に出て発言したことは、「ゼロ金利が続くと、金利生活者が困ってしまう。今までの損失額は何十兆円にも及ぶ」ということだったんです(田中秀臣・上念司 『震災恐慌!〜経済無策で恐慌がくる!』 宝島社、2011年、108頁)。

副作用

竹中平蔵
ゼロ金利政策はいくつかの重要な欠陥を持っていた。第一に、この政策は大きな額の所得移転をもたらす。つまり、利益を得るものと失うものの間に、極端な不公平が生じてしまうのである(中略)第二に、ゼロ金利は結果的に社会の非効率を温存することになる(竹中平蔵 『竹中平蔵の「日本が生きる」経済学』 ぎょうせい・第2版、2001年、181頁)。
白石誠司
超低金利政策はバブル崩壊後に率先してリストラを進めるべきだったゼネコン(総合建設会社)や不動産などの企業の対応を遅らせ、延命の片棒を担いだともいえるのです(日本経済新聞社編著 『日本経済の小さな大ギモン - エコノ探偵団・最新レポート』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2000年、95頁)
白石誠司
企業(金融を除く)の借入金の利子負担は九二年度(三十九兆円)から九七年度(二十三兆円)にかけ、十六兆円減少。一方、個人の財産所得は四十一兆円から二十八兆円と十三兆円減少している(日本経済新聞社編著 『日本経済の小さな大ギモン - エコノ探偵団・最新レポート』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2000年、95-96頁)。
白石誠司
超低金利政策が企業に恩恵をもたらした半面、個人財産所得の目減りは少なくとも十兆円はあると推定できます(日本経済新聞社編著 『日本経済の小さな大ギモン - エコノ探偵団・最新レポート』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2000年、96頁)
ニューズウィーク日本版編集部
金利の低い先進国の通貨を借りて金利の高い新興国に投資する動きが激しく、新興国のバブルをあおっているとの指摘もある(ニューズウィーク日本版編集部編著 『経済超入門 ゼロからわかる経済学&世界経済の未来』 CCCメディアハウス、2017年、147頁)。

反論

岩田規久男
「日本銀行のゼロ金利政策がモラル・ハザードを起こしている」という主張がある。しかし、それは誤った主張で、注意する必要がある。なぜならば、ゼロ金利とは需要と供給の関係で金利がゼロになっているのであって、他人に金利負担のツケを回して金利がゼロになっているわけではないからである(岩田規久男 『スッキリ!日本経済入門-現代社会を読み解く15の法則』 日本経済新聞社、2003年、38頁)。
田中秀臣
いわゆる「ゼロ金利政策」という状況にある。これは、日本銀行が果敢に金融緩和を継続した結果、現出した状況ではない。簡単にいえば、デフレ期待の進展による実質利子率の上昇、それによる投資の低下、さらなるデフレの進展という事態を前に、日銀がつねに「後追い」的に不十分な金融緩和措置をつづけていた帰結として現出したにすぎない(田中秀臣 『日本型サラリーマンは復活する』 日本放送出版協会〈NHKブックス〉、2002年、220頁)。
伊藤修
超低金利が利子所得を減らすと批判されたが、金利を上げたら不況がもっとひどくなり失業もふえ、国民の所得をより大きく減らしたはずだから、この批判は当たらない。超低金利は銀行に所得を移転して支えた、というのはそのとおりである。ただ、どんな経路によってであれ、銀行が立ち直って機能するようになることは、大停滞を脱するために不可欠であった(伊藤修 『日本の経済-歴史・現状・論点』 中央公論新社〈中公新書〉、2007年、291頁)。
田中秀臣
さすがに一億円も預金を持っていれば、一%の違いは大きいかもしれません。しかしそんな額の預金を持っている人の生活を脅かさないために、利上げする必要などありません。それよりも職を失って預金も底を尽き、明日の生活の見通しも立たない人たちのことを考えるのが政治の役目でしょう(田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、164頁)。

解除

2000年の一時解除

第一勧銀総合研究所
日銀がデフレ懸念は払拭されたとしていたのに対し、政府をはじめや日銀の外では時期尚早という見解が大勢であった。その結果、金融政策決定会合で政府代表が議会の延期を求める事態になり、解除を前に市場が混乱する場面もありました(第一勧銀総合研究所編著 『基本用語からはじめる日本経済』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、130頁)。
松原聡
政府の反対を押し切って、当時実施していたゼロ金利政策を2000年8月に解除したのですが、半年後には再びゼロ金利状態に戻したのです(松原聡編著 『日本の経済のしくみ (図解雑学)』 ナツメ社、2008年、174頁)。
岩田規久男
ゼロ金利政策の解除は、人々に、日銀はデフレ脱却にコミットしていないと受け取られ、デフレ予想の定着に一役買ったと思われるからです(岩田規久男 『日本経済を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2005年、251頁)。

2006年の解除

松原聡
日本経済が最悪の時期を脱し、景気が本格的に拡大し始めたと判断した日銀は、2006年7月にゼロ金利政策を解除し、金利を0.25%に引き上げました(松原聡編著 『日本の経済のしくみ (図解雑学)』 ナツメ社、2008年、170頁)。

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