経済・経済学に関するメモ。

概要

丸尾直美
ノーベル経済学賞といえば、今や物理学賞や文学賞など他の賞と遜色ないほど一般に知られるようになったが、授賞が始まったのは六九年と比較的最近のことである(日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、142頁)。
トーマス・カリアー
ノーベル財団も正式な委員会のメンバーも、経済学賞に言及するとき「ノーベル賞」という部分を省くのが一般的である。ノーベル財団の公式ウェブサイトでは「ノーベル物理学賞」「ノーベル化学賞」などと紹介されるが、最後の部門は「経済学賞」とのみ記される。そしてほかの五つの部門の受賞者は「ノーベル賞受賞記念講演」を行うが、経済学賞の受賞者の講演は単に「記念講演」と呼ばれる。対照的に報道関係者の間では微妙なニュアンスは無視され、ノーベル経済学賞という表現が定着している(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、26頁)。
矢沢潔
スウェーデン科学アカデミーは新しいノーベル賞の設置を承認はしたものの、当初はあまり積極的ではなかったとされています。現在でも、アルフレッド・ノーベルの子孫や文学賞の選考を行うスウェーデン・アカデミーは賛成していないと見られています(矢沢サイエンスオフィス編著 『21世紀の知を読みとく ノーベル賞の科学 【経済学賞編】』 技術評論社、2010年、5頁)。

選考方法

ハインツ・ホライス
通常、受賞者の選考は次のような順序で行われる。まずその年のはじめにノーベル委員会はおもに世界各国の第一級の学術機関から推薦と報告を集め、春までに最初の候補者リストを作成する。そして夏の終わりまでに経済学委員とスウェーデンのその他の社会科学学術機関が候補者を絞り込む。そして発表の午前10時からアカデミーの委員が集まって受賞決定者の業績について説明を受け、さらに候補者についての投票を行う。この最後の投票は型通りのものであり、通常はノーベル委員の提示した受賞者がそのまま承認される(矢沢サイエンスオフィス編著 『21世紀の知を読みとく ノーベル賞の科学 【経済学賞編】』 技術評論社、2010年、156頁)。

選考基準

論文・業績

田中秀臣
この受賞予測において中核を占めるのは、受賞業績が先駆的な内容であることは当然だが、その論文ないし著作が、その後の論文や著作にどれだけ多く引用されているかで、ほぼ客観的に推測が可能である(田中秀臣 『経済政策を歴史に学ぶ』 ソフトバンククリエイティブ〈ソフトバンク新書〉、2006年、77頁)。
田中秀臣
さて単純な引用数(あるいは今回は参照しないが上級ジャーナルへの掲載論文数や頁数)がすべてを決めるわけでないのはもちろんである(田中秀臣 『経済政策を歴史に学ぶ』 ソフトバンククリエイティブ〈ソフトバンク新書〉、2006年、80頁)。
アサール・リンドベック
ノーベル経済学賞の展望を書いたアサール・リンドベックは、選考委員会はこの種の指標に重きを置いているわけではない、と注意を促している。しかし他方で、リンドベックもいままでの受賞者が引用数においても最上位にランクしているメンバーであることを認めている(田中秀臣 『経済政策を歴史に学ぶ』 ソフトバンククリエイティブ〈ソフトバンク新書〉、2006年、80-81頁)。
トーマス・カリアー
全盛期をとっくに過ぎてから受賞するケースが実に多い(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、119頁)。
トーマス・カリアー
ノーベル経済学賞は、新しい理論が発表されて何年も経過してから授与されるケースが多く、そんな姿勢を非難されてきた。(中略)理論の評判や影響力を判断するためには長い時間が必要だという理由はよく指摘される。理論が新しい研究を促し、経済学に新たな分野を創造し、経済政策に影響をおよぼすようになってはじめて、ノーベル賞に値するというのだ(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、36頁)。
伊藤隆敏
ノーベル賞というのは四〇歳ぐらいまでに、新しい分野を切り開くような核心的な業績を出さないと。やっぱり一番勢いがあるのは三〇歳代ですよ。その頃までに歴史に残る論文を書いておかないと。もちろん努力があって、才能があって、いい先生といいトピックに巡り合って、さっき言ったコンピュータの発達とか、あるいは現実がこうガラッと変わる時、たとえばソ連の崩壊とか、そういったいろいろな偶然が重なって、ノーベル賞というのは生まれるんですよ。(中略)これはどうかという人が受賞したことも稀にあるけど、九〇%はこの人なら当然という人が貰っていますよ。(中略)自然科学ではないので“完全な真理”はあり得ないし、自然科学だって“完全な真理”だと考えられていたことが後で覆ることもある(斎藤貴男 『経済学は人間を幸せにできるのか』 平凡社、2010年、177-178頁)。

非経済学者への授賞

トーマス・カリアー
ノーベル経済学賞受賞者には経済学の教育をきちんと受けていない学者が何人もいるが、オーマンの場合は極端で、ほとんどゼロに近い(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、105頁)。

特徴

トーマス・カリアー
ノーベル経済学賞の受賞者予測は的中率が一〇〇パーセントというわけではないが、人気の高い人物は最終的に受賞するケースが多い(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、38頁)。
トーマス・カリアー
たとえばノーベル賞受賞者の多くは、合理的な行動にもとづいた理論が評価されている(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、258頁)。
小泉祐一郎
ワルラス「ノーベル経済学賞は、僕が確立した<一般均衡理論>の研究者に、多く受賞されているみたいですね」(小泉祐一郎 『図解経済学者バトルロワイヤル』 ナツメ社、2011年、38頁)。
矢沢潔
近年のノーベル経済学賞はしばしば、ゲーム理論、実験経済学、行動経済学などの一般社会がいまだ身近には感じにくい分野の研究に対しても贈られている(矢沢サイエンスオフィス編著 『21世紀の知を読みとく ノーベル賞の科学 【経済学賞編】』 技術評論社、2010年、81頁)。
矢沢潔
出身大学もごく少数の世界的エリート校に限られています。シカゴ、ハーバード、ケンブリッジ、MIT(マサチューセッツ工科大学)、イェール、ストックホルムおよびオスロ、プリンストン、スタンフォード、バークレー(カリフォルニア大学)といったように(矢沢サイエンスオフィス編著 『21世紀の知を読みとく ノーベル賞の科学 【経済学賞編】』 技術評論社、2010年、3頁)。
矢沢潔
受賞者の圧倒的多数が“新古典派”または“新ケインズ派”と呼ばれる人々であり、それ以外の学派の人々は両手の指で数えられるほどしか選ばれていないところも象徴的です(矢沢サイエンスオフィス編著 『21世紀の知を読みとく ノーベル賞の科学 【経済学賞編】』 技術評論社、2010年、4頁)。
トーマス・カリアー
コウルズ委員会は多くのノーベル経済学賞受賞者を輩出したが、そもそもは現実的な目的のために始められた(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、72頁)。
マリル・ハートマッカーティ
経済学の発展に対するノーベル賞経済学者の貢献を理解することは、二〇世紀後半に生まれた経済思想の理解につながる。ただしこれは、ノーベル賞経済学者だけが近代の経済思想に貢献してきたということでもないし、彼らの偉業が他の学者の功績と無関係ということでもない。(中略)人間社会の最も基本的な制度(=経済システム)をより深く理解するために、大勢の学者たちは日々奮闘しながら、無限に変化する状態を作り出すことに大きく貢献している。その構造の中心にいるのがノーベル賞経済学者なのである(マリル・ハートマッカーティ 『ノーベル賞経済学者に学ぶ現代経済思想』 田中浩子訳、日経BP社、2002年、20頁)。
マリル・ハートマッカーティ
ノーベル賞経済学者は、その一人ひとりが全く新しい世界を切り開いたという意味で、知的で才能溢れ、鋭い感覚を持つ経済学者たちの頂点に立つ。彼らはそれぞれが自らの経験から情報を抽出し、新しい考え方や後に続く経済学者の好奇心を刺激する新たな焦点を提示した。彼らは先達の理論や研究を無にすることなく、人々が生活の中で日々直面する重大な問題に新たな光を当てるのだ。このことは、ノーベル賞経済学者たちが広く共有するもう一つの特徴--人々の福祉について深く真摯に追求する姿勢--を示す(マリル・ハートマッカーティ 『ノーベル賞経済学者に学ぶ現代経済思想』 田中浩子訳、日経BP社、2002年、531頁)。
マリル・ハートマッカーティ
個人主義が利己的な行動に向かう傾向を抑制しながら、人間社会が個人の自由とイニシアチブの一定水準を確保する方法を探究すること。これがノーベル賞経済学者たちの壮大な目標である(マリル・ハートマッカーティ 『ノーベル賞経済学者に学ぶ現代経済思想』 田中浩子訳、日経BP社、2002年、536頁)。
トーマス・カリアー
ノーベル委員会は罪作りなもので、受賞者の貢献をしばしば誇張して紹介する(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、21頁)。

受賞者の特徴

トーマス・カリアー
本書で紹介する経済学賞受賞のほとんど、特に有名人というわけではない。ミルトン・フリードマン、ポール・クルーグマン、ポール・サミュエルソンのように、専門書のほかに一般書を執筆している受賞者は例外的である。多くは、賞が発表される当日に名声が頂点に達する(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、36頁)。
根井雅弘
受賞者の一覧をみれば一目瞭然のように、過去の受賞者たちのなかには一時代を画した優れた経済学者たちの名前が並んでいる(根井雅弘 『物語 現代経済学-多様な経済思想の世界へ』 中央公論新社〈中公新書〉、2006年、152頁)。
マリル・ハートマッカーティ
ノーベル賞経済学者の多くは、幼い頃の貧困や経済的困難、戦争による破壊や組織的迫害の恐怖、戦後の不誠実な見通しや競争の激しい困難な社会という形で二〇世紀のトラウマをじかに経験している。世界の崩壊の目撃者として、その時代を生きた当事者として、彼らは否が応でもその復興に参加せざるを得ないと悟った。目撃者の中には失望して首を横に振る者もいたが、ノーベル賞経済学者の多くは真剣に答えを模索した。彼らが関心を寄せた社会のトラウマは研究者の「知」に大きな課題を与え、確立された経済理論と実体経済の間に生じる明らかな矛盾に対処するべく「政治経済学」を生み出した(マリル・ハートマッカーティ 『ノーベル賞経済学者に学ぶ現代経済思想』 田中浩子訳、日経BP社、2002年、534頁)。
数学的アプローチ
トーマス・カリアー
もともと経済学は数学的な厳密さを重視する方向に進んでいたが、ノーベル経済学賞は確実にその傾向を強めた。(中略)数学的な表現で科学としての側面を強調すれば、ノーベル賞選考委員会に好印象を与えるのは間違いない(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、28-29頁)。
マリル・ハートマッカーティ
数学に対する彼らの興味は数学的なプロセスにあるのではなかった。それよりもむしろ、人々の行動方法や、インセンティブや人間をとりまく状況の変化に対する感応性に関する情報のような、複雑で膨大な情報を整理し、簡便化するために数学を生かすことに関心を寄せたのである。彼らが科学に興味を持ったのは、自然現象の中にある因果関係を説明する法則に惹き付けられたからだ。(中略)数学や自然科学に対する適正は、ノーベル賞経済学者に論理と確証のない見解を識別する目を与えることになったと同時に、彼らの社会科学への興味を補完したことは言うまでもない。社会科学に科学的分析を使うことは、自然科学に用いるのと全く同じように不可欠なことだと彼らは考えた(マリル・ハートマッカーティ 『ノーベル賞経済学者に学ぶ現代経済思想』 田中浩子訳、日経BP社、2002年、532頁)。
トーマス・カリアー
ゲーム理論のパイオニアたちは様々な分野への理論の応用を高く評価されている。しかし実際のところ、ほとんどはノーベル賞受賞者にふさわしい高尚な数学的証明とは呼べない代物である。(中略)ノーベル賞は与えられてはいるが、実際の貢献は、「人類のための最大の貢献」とはほど遠いケースが多い(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、122頁)。
トーマス・カリアー
いまだにノーベル経済学賞は、経済学を自然科学の一種にすること、つまり経済学者は科学者と同等であると証明することにこだわっている。(中略)実際、特に新しい洞察を得たわけでもないのに、経済でよく知られた考え方や行動を数学モデルに置き換えただけで、ノーベル賞に選ばれた学者が多すぎる(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、260頁)。
シカゴ学派
トーマス・カリアー
一九九〇年、九一年、九二年、九三年と、シカゴ学派の経済学者が立て続けにノーベル賞を受賞したのだ(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、17頁)。
トーマス・カリアー
最初の四〇年間、経済学賞選考委員会はシカゴ大学経済学部を不当なまでに優遇してきた。科学に対する客観的な判断というよりは、シカゴ学派の経済学者が提唱する自由市場が好まれたのだろう(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、264頁)。
トーマス・カリアー
ノーベル賞を受賞したすべてのミクロ経済学者がシカゴ学派に属するわけではないし、株式市場を専門に研究したわけでもない(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、142頁)。
猪木武徳
ベッカー(一九三〇-)は一九九二年度にノーベル経済学賞を受賞した。その折、彼の業績や学風が紹介されたが、ほとんど常に「保守的なシカゴ学派の旗頭」、といった言葉が紋切型の言葉に用いられていた。たしかにシカゴ大学は、政治学や社会学で幾人もの巨人を世に送り出しただけでなく、経済学でも重要な人材と学説を生み出してきた。しかし、経済学に限っても、シカゴ・スクール(学派)は決して均質な一枚岩を形づくってきたわけではない。実に様々な思想傾向と研究スタイルを持つ研究者を輩出してきたのである(日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、271頁)。

偏向性

佐和隆光
この佐和の著作で、当時日本の一般の読者にも広く知られていたガルブレイスやサローといった経済学者がノーベル経済学賞を受賞できないのは、彼等の著作がジャーナル・アカデミズム的(専門誌の掲載論文数の多寡で業績をはかる)ではなく、「政治経済学的」だからだと述べている(小泉祐一郎 『図解経済学者バトルロワイヤル』 ナツメ社、2011年、37頁)。
石井信彦
文学賞や平和賞と同様、政治的に偏向しており、「政治経済学的」であったり、主流派に反抗したり、主流派の手法を無視したりすれば授賞されないことは経験的に実証されている(小泉祐一郎 『図解経済学者バトルロワイヤル』 ナツメ社、2011年、37頁)。
トーマス・カリアー
ロビンソン教授は一四年間にわたって何度か候補に挙がりながら、栄冠を得ることなく一九八三年にこの世を去った。現在のルールでは、本人が生存していなければ受賞は認められない。ジョーン・ロビンソンは政治色が強つぎたから、あるいはせっかくの賞を辞退する恐れがあったために、経済学賞を逃したのではないかと一部では憶測された。選考委員会の委員長を務めたアサール・リンドベックはロビンソンが除外された理由をつぎのように打ち明けた。「賞を辞退する恐れもあったし、脚光を浴びる機会に乗じて主流派経済学を非難する可能性も考えられたからだ」(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、23-24頁)。
トーマス・カリアー
偏見の強いノーベル賞選考委員会は、知名度も人気も抜群の二十世紀の経済学者をもうひとり、賞の対象から外してしまった。ハーバード大学で教鞭をとり、ケネディ大統領の顧問やアメリカ経済学会の会長を務め、二十世紀を代表する経済学者のひとりに数えられるジョン・ケネス・ガルブレイスである。(中略)選考委員会のメンバーにとって、ガルブレイスはリベラルすぎて、数学的でない、ということだろう。理由はどうあれ、巨匠ガルブレイスの名がないことは、受賞者の名簿の不備をはっきりと際立たせるもうひとつの例である(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、24-25頁)。
根井雅弘
経済学賞の受賞者たちが、きわめて有能な研究者であることは間違いない。私はその点に疑問を抱いているのではなく、経済学賞が広い意味での主流派経済学者(とくに、理論と実証に携わる研究者)に偏って授与されており、いわゆる「異端派」がほとんど排除されていることを第一に問題にしたいのである(根井雅弘 『物語 現代経済学-多様な経済思想の世界へ』 中央公論新社〈中公新書〉、2006年、156頁)。
根井雅弘
第二に問題なのは、経済学賞の選考委員会は、左翼系の学者を排除しているのではないかとかねてより憶測されていることである。もちろん、これには確固たる証拠はないけれども、実際の受賞した顔ぶれを見ると、そのような憶測を招きかねない状況にあることだけは確かである。(中略)第三に問題なのは、相対立する理論が存在する場合、どちらか一方にだけ経済学賞を与えるのは余計な誤解を招きやすいことである(根井雅弘 『物語 現代経済学-多様な経済思想の世界へ』 中央公論新社〈中公新書〉、2006年、158-159頁)。
根井雅弘
私は、経済学賞をただちに廃止すべきとは主張しないが、かつてある論文に書いたように、もっと多様な経済思想に寛容な人選になったほうが望ましいと思っている。(中略)社会科学の一分野である限り、経済学は価値観やイデオロギーから全く無縁ではあり得ない(根井雅弘 『物語 現代経済学-多様な経済思想の世界へ』 中央公論新社〈中公新書〉、2006年、147-148頁)。
マリル・ハートマッカーティ
ノーベル経済学賞はとにかく政治的である、とよくいわれるが、ぼくはこの生臭さを否定的に見ているわけではない。(中略)そもそもそんなことをいい出したら、ノーベル平和賞の方がずっと政治的である(マリル・ハートマッカーティ 『ノーベル賞経済学者に学ぶ現代経済思想』 田中浩子訳、日経BP社、2002年、547頁)。
マリル・ハートマッカーティ
ノーベル賞選考委員会は当初ミュルダールに経済学賞を贈るつもりだったが、経済に対する政府の幅広い干渉を容認する彼の立場とバランスをとるべきという声に押されてハイエクとの共同受賞が決まったというのだ(マリル・ハートマッカーティ 『ノーベル賞経済学者に学ぶ現代経済思想』 田中浩子訳、日経BP社、2002年、354頁)。
アマルティア・センへの授賞
トーマス・カリアー
しかしアマルティア・センと彼の人道的な理論なら、同じ不祥事に巻き込まれる心配がなかった。メダルの失われた威信を取り戻すため、委員会はあえてセンを選んだという憶測にはそんな背景があったのである(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、152頁)。
ロバート・ポロック
「愚かな左翼的見解を表明する以外に能のない人物」のセンを選ぶとは何事かと非難したのである。(中略)センは「難癖つけて何でも『問題にする』ことだけは得意だが、それをあまりにも多くの学生が真に受けて、博士論文のテーマにしている」といって嘆いた(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、159頁)。

影響

社会への影響

トーマス・カリアー
経済学賞受賞者のアイデアは、私たちの考え方に変化をもたらすばかりか、政府の政策にきわめて重大な影響をおよぼす可能性もある。賞の対象になった豊かな発想は知的資本の充実につながり、そこから私たちは政治や社会に関する政策のヒントを引き出す(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、37頁)。
トーマス・カリアー
イーベイのオークションや二酸化炭素排出権取引の仕組みにも、ノーベル賞の受賞理由となった理論は応用されている(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、38頁)。
トーマス・カリアー
ノーベル財団は経済学者に名声と金銭的な報酬を与えているだけではない。優れた経済学者はどんな人物かという、重要なシグナルを発信している。そのシグナルは、大学院生が専門分野を選ぶ際にも、経済学者が研究テーマを選ぶ際にも大きな影響を与える。さらに、政治指導者や一般国民は、ノーベル賞を受賞した経済学者の見解に素直に耳を傾けるものだ。その意味でもノーベル賞は重要である。ノーベル賞に伴う名声や権威を考えれば、選考委員会は重要なアイデアを一貫して認めなければならない(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、264頁)。
矢沢潔
経済学賞に限らず自然科学の3賞でも同様ですが、そうした疑問や批判は理論やモデルというものの意義を過剰に平たく言えば大げさに考えすぎるところから生じているからです(矢沢サイエンスオフィス編著 『21世紀の知を読みとく ノーベル賞の科学 【経済学賞編】』 技術評論社、2010年、6頁)。
ミルトン・フリードマンへの授賞
ジョージ・ワルド、デイヴィッド・ボルティモア、S・E・ルリア
一九六七年に医学賞を受賞したジョージ・ワルドは、一九五四年の化学賞ならびに一九六三年の平和賞を受賞者であるライナス・ポーリングとの連名で、フリードマンの受賞に反対する投書を送った。一九七〇年代はじめ、チリの軍事政権と密接な関係にあったことを問題視したのである。同じく、デイヴィッド・ボルティモア(一九七五年医学賞)S・E・ルリア(一九六九年医学賞)のふたりも、フリードマンの受賞に反対した(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、57頁)。
トーマス・カリアー
チリの軍事政権と関わりを持つフリードマンの受賞に抗議して、スウェーデンでは数千人規模のデモ行進が行われた。事態の制圧に三〇〇人の警察官が動員されたが、大した成果はあがらなかった(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、58頁)。
トーマス・カリアー
フリードマンはチリ政府の顧問を務めた経験はないと否定しておきながら、一九七五年にチリを六日間訪れたのを最後に「いっさいの接触を断った」と付け足した(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、58頁)。
ミルトン・フリードマン
せっかくの授賞式に汚点をつけたデモ参加者に腹を立て、まるでドイツのナチスのような「ごろつき」だと非難した。そして「空気中にナチズムの臭いが漂っている。鼻が腐りそうだ。言論の自由は聞く自由を伴わなければならない。言論の自由において、都合の悪い発言を無理やり押さえ込むような行為は許されない」と語ったとされる(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、59-60頁)。
ゲーム理論と戦争
トーマス・カリアー
二〇〇五年のノーベル経済学賞を発表した選考委員会は、ゲーム理論の冷戦への応用を評価したが、アラブ・イスラエル紛争については言及しなかった。しかしその年の受賞者のひとり、イスラエルの数学者ロバート・オーマンは、この紛争にゲーム理論を応用したことで有名だった。しかもその目的は、戦争の終結や平和の実現ではない。ここでゲーム理論は、イスラエルが中東紛争で勝者となるために応用された(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、99-100頁)。
トーマス・カリアー
オーマンを批判するグループは一〇〇〇人ちかくの署名を集めてスウェーデン王立科学アカデミーに嘆願書を提出し、オーマンならびに共同受賞者トーマス・シェリングへの授賞を取り消すよう求めた(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、103頁)。
タマラ・レフコート・ルビー
オーマンのノーベル賞受賞は、イスラエルで大きな誇りとして歓迎された。同僚で数学者タマラ・レフコート・ルビーはオーマンの受賞について、イスラエルの数学教育の基準や評価を引き上げる良い機会だといって喜び、「オーマンの受賞は子どもたちを励まし教育するための絶好のチャンスだ」と語った(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、105頁)。

批判

スウェーデン・アカデミーからの批判

朝日新聞
十年近く前、文学賞を選考しているスウェーデン・アカデミーが、ノーベル財団に対して経済学賞の廃止を求めているという事実が明らかになった(『朝日新聞』 一九九七年十月十二日朝刊)(根井雅弘 『物語 現代経済学-多様な経済思想の世界へ』 中央公論新社〈中公新書〉、2006年、147頁)

受賞者からの批判

マレー・ゲルマン
最初の経済学賞が贈られたその年と同じ年に「クォーク理論」で物理学賞を受賞することを知らされた高名な物理学者マレー・ゲルマンは、「彼らと一緒に授賞式に並べということか?」と不満を漏らしたとされています(矢沢サイエンスオフィス編著 『21世紀の知を読みとく ノーベル賞の科学 【経済学賞編】』 技術評論社、2010年、5頁)。
ゲイリー・S・ベッカー
ベッカーは自分の科学的かつ客観的である点を強調し、ノーベル賞を政治的に利用しようと目論む受賞者を批判した。(中略)たとえば彼は、他分野のノーベル賞受賞者が経済について不適切な発言をすることに不快感を隠さなかった。「物理や化学といった分野でノーベル賞をもらった連中ともずいぶん付き合った。みんな経済問題にずいぶんうるさいけれど、ろくなものじゃない」(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、88-89頁)。

授賞への批判

LTCMの破綻
高増明、平野嘉孝
ショールズ、マートンという二人のノーベル賞受賞者を役員とし、その金融理論を実践するために設立させたLTCM(ロングターム・キャピタルマネージメント)は、一時期、年率40%もの利益をあげていましたが、98年のロシア経済危機を読み違え、多額の損失を出して、破綻に追い込まれましたた。(中略)ノーベル経済学賞を受賞した経済理論だって、現実には通用しないことも覚えておいてください。その理由は、前にも説明したように、人々の予測形成を正しく説明できる経済理論が存在しないからなのです(高増明・竹治康公編著 『経済学者に騙されないための経済学入門』 ナカニシヤ出版、2004年、163-164頁)。
マリル・ハートマッカーティ
マートンとショルーズは受賞の対象となった自らの金融工学の理論を実践し、大規模な投機を行った。しかし、ロシアに起きたデフォルト(債務不履行)のあおりをうけて、巨額な損失を出した。金融機関の破綻というのは社会的に大きな問題であり、それにノーベル賞受賞者が関わっていた、というのは世界中に衝撃を与えた。しかも、自らの理論を金儲けに利用しての失敗なのである。これが契機になって、経済学賞のあり方への批判が噴出したのであるとすれば、それは当然のことと思える。ノーベル賞から経済学賞をはずすべき、という議論もきっとその一端に違いない(マリル・ハートマッカーティ 『ノーベル賞経済学者に学ぶ現代経済思想』 田中浩子訳、日経BP社、2002年、546頁)。
トーマス・カリアー
ノーベル賞で一躍有名になってからわずか一年足らず……今度は衝撃的な倒産劇との関りで悪名を轟かせてしまった(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、116-117頁)。

受賞者に関するエピソード

ポール・サミュエルソン

佐和隆光
六九年にノーベル経済学賞が設けられたのはサムエルソンにノーベル賞を与えるため、とさえいわれたこともある。(中略)こんな一般的な理由でノーベル賞を受けた人は後にも先にもサムエルソンしかない。それだけ近代経済学への貢献が大きかったことを物語っている(日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、58-59頁)。
佐和隆光
二十世紀後半の経済学は善きにつけ悪しきにつけ、サムエルソンの描いたシナリオ通りに展開を遂げてきた。であるからこそ、経済学のノーベル賞も成り立ち得たし、サムエルソンがノーベル経済学賞受賞の栄誉に輝いたのも故なしとしないのである(日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、64頁)。

ジョン・ヒックス

根岸隆
七二年秋、当時、二度目の滞在中だった彼は大阪のテレビ局で日本人経済学者との対談を収録中、楽屋からノーベル賞受賞のニュースが飛び込んできた。最初、半信半疑だった彼は「Is it true?(それは本当か)」と二度聞き直し、それが事実と分かると顔がみるみる紅潮していった。だが、その次に「アロー教授と同時受賞です」との答えが返ってくれると、今度は一気に落胆した様子を見せたという(日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、88-89頁)。
ジョン・ヒックス
しかも彼は「一般均衡と厚生経済学」に対して、七二年ノーベル経済学賞受賞を受けたときの感想に関して、「すでに脱却した仕事に対する栄誉であり、そのことについては複雑な気持ち」(『経済学の思考法』)と語った。その一方、『経済史の思想』をめぐっては「ノーベル賞がこの仕事に対して与えられていた方がうれしかった」と述べている(日本経済新聞社編著 『世界を変えた経済学の名著』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2013年、51-52頁)。

ケネス・アロー

中谷巌
これらの一連の業績だけをとってみても、アローがノーベル賞受賞に値することは明白である。事実、五〇年代から六〇年代の理論経済学界は、これらのアローの業績を軸にして動いていた、といっても決して過言ではない(日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、134頁)。

ワシリー・レオンチェフ

新飯田宏
レオンチェフはニューヨークのエレベーターの中で、「ロシア名のハーバードの経済学者が受賞した」と話しているのを耳にした。興奮で顔を紅潮させた彼は、急ぎ新聞を買いに走ったが、そこに見たのは同僚クズネッツの名前だったという(日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、243頁)。

グンナー・ミュルダール

丸尾直美
この賞を創設する際に力を尽くした一人がミュルダールである。スウェーデン国立銀行が創立三百年を迎えた六八年、それを記念する経済学賞の創設を考えていた時、ミュルダールはそれを積極的に後押しした一人といわれる。その後、選考委員も務め、自らも受賞し経済学者としては最高の最高の栄誉を手にしたミュルダールだが、彼らしいのは受賞後、「なぜ、もらったのか」と後悔したことである。「経済学は決して科学とはいえない」との年来の持論をさらに強く抱くようになったためだといわれる(日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、142-143頁)。
K・グンナー・ミュルダール
だからノーベル賞に選ばれても複雑な気持ちで、ある記者につぎのように語っている。「ノーベル賞を受理してしまったのは、スウェーデン王立科学アカデミーから連絡を受けた運命の日の朝、寝ぼけていたからだ。」。しかしべつの記者によれば、ミュルダールは受賞を喜び「ようやく肩の荷がおりた」と語ったという(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、284-285頁)。

フリードリッヒ・ハイエク

ミルトン・フリードマン
「経済自由主義」の論陣を共同で張ったミルトン・フリードマンは、一九七四年のノーベル経済学賞受賞が「ハイエクの命を救った」と回顧録に記す。(中略)これまでと同様に自由に使ってよいという破格の条件を出したザルツブルク大学の教職を拒めないほど経済的に困窮していた(日本経済新聞社編著 『世界を変えた経済学の名著』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2013年、84頁)。
竹森俊平
ノーベル賞が転換点となり、死後も評価は上がり続ける。「時流」も変わった。それだけでなく、広い領域にまたがる壮大な思想がようやく理解され始めたのである(日本経済新聞社編著 『世界を変えた経済学の名著』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2013年、85頁)。
佐伯啓思
ウィーンで活躍した当時のハイエクをしのぶよすがは今ではこの街にはほとんどないが、あえていえばウィーン商工会議所であろう。彼がかつて経済顧問を務め、私的ゼミナールを開いたこともあるこの建物の中には、ノーベル経済学賞受賞を顕彰して設けた「ハイエク・ツィマー(部屋)」と書かれたプレートのかかった一室がある(日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、43頁)。

ミルトン・フリードマン

ミルトン・フリードマン
ノーベル賞の受賞を知らされたとき、フリードマンは驚くほど冷淡で、「これは私のキャリアの頂点ではない」と発言した。さらに「七人のメンバーから成る委員会は、私が科学的な研究の評価を委ねる陪審員としてふさわしいとは思わない」といって受け入れようとしなかった。しかし、すぎ考え直し、一六万ドルの小切手を受け取った後は受賞を喜んだようである(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、65頁)。

ジェイムズ・ミード

本間正明
ジェームス・E・ミード(一九〇七-)の名前が一般的に認知されるようになったのは、一九七七年のノーベル経済学賞の受賞がその直接的なきっかけあろう(日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、187頁)。

ジェームズ・M・ブキャナン

石弘光
この受賞はそれまでどちらかといえば正統派経済学から見て異端と見なされがちであった公共選択論に、学問上の市民権を与えるものであった(日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、202頁)。
トーマス・カリアー
ノーベル賞が発表されるまでは、やたら愚痴っぽい変人というのが経済学者のブキャナン評だった。(中略)ノーベル賞はブキャナンを日陰の定位置からひきずり出し、主流派経済学のなかで日のあたる場所を新たに確保してくれた(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、70-71頁)。

モーリス・アレ

マージョリー・ヘクト
ノーベル経済学賞受賞はアレの思想を英語を介して世界に知らしめる転機となったのではなかろうか(矢沢サイエンスオフィス編著 『21世紀の知を読みとく ノーベル賞の科学 【経済学賞編】』 技術評論社、2010年、128頁)。

ラインハルト・ゼルテン

トーマス・カリアー
一九九四年のノーベル経済学賞を報じた新聞記事は、ゲーム理論やゼルテンの発見が実際にどんな意味を持つのか説明に苦慮した(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、95頁)。

ジョン・ナッシュ

ハインツ・ホライス
ジョン・ナッシュの名は一般社会ではゲーム理論と直結しているが、それは彼がこの分野への貢献によってノーベル賞を受賞したからである(矢沢サイエンスオフィス編著 『21世紀の知を読みとく ノーベル賞の科学 【経済学賞編】』 技術評論社、2010年、148-149頁)。
ハインツ・ホライス
ノーベル賞受賞は彼によい結果をもたらした。その前までナッシュはどこにも雇われておらず経済的に窮していたが、受賞はまずこの状況を改善したのだ(矢沢サイエンスオフィス編著 『21世紀の知を読みとく ノーベル賞の科学 【経済学賞編】』 技術評論社、2010年、157頁)。

ロバート・ルーカス

マリル・ハートマッカーティ
自身の理論が経済思想に大きく貢献し、ノーベル賞に値するはずだという強い自信を持っていたルーカスは、離婚の条件の中に、ノーベル賞受賞から期待される賞金を、まもなく前妻となる配偶者と分け合う約束を含めていたと言われる(マリル・ハートマッカーティ 『ノーベル賞経済学者に学ぶ現代経済思想』 田中浩子訳、日経BP社、2002年、238頁)。
トーマス・カリアー
この条項の有効期限は一九九五年十月三十一日(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、17頁)。
ロバート・ルーカス
「約束は約束だからね」と説明したうえで「こんなすごい賞をもらったんだ。これくらいでいやな気分にならないさ」と言った(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、17頁)。

アマルティア・セン

アマルティア・セン
ノーベル賞でういただいた賞金を使って、一九九八年にインドとバングラデシュに基礎教育と社会的な男女平等達成を目的とした「プラティチ財団」を設立したのです(アマルティア・セン 『人間の安全保障』 東郷えりか訳、集英社〈集英社新書〉、2006年、11頁)

ジェームズ・J・ヘックマン

ジェームズ・ヘックマン
そして二〇〇〇年にようやくノーベル賞を受賞したときには「心からほっとした」という(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、219頁)。

ダニエル・カーネマン

ダニエル・カーネマン
心理学者はノーベル賞受賞を喜びはするでしょう、しかしそれが私を特別な存在にするとは思いません(矢沢サイエンスオフィス編著 『21世紀の知を読みとく ノーベル賞の科学 【経済学賞編】』 技術評論社、2010年、26頁)。

エドワード・プレスコット/フィン・キドランド

ロバート・ルーカス
まだ興奮している。すごい快挙だ。ふたりとも実に素晴らしい経済学者だよ(トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 小坂恵理訳、筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、37頁)

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