経済・経済学に関するメモ。

飯田泰之、岡田靖
消費税の影響を除去したGDPデフレータの持続的な下落で見ると、デフレは1994年の第3四半期から今日まで、実に9年も続いている。ところが、このような本格的なデフレ現象が現実に起こった国は、第二次世界大戦後においては、1990年代以降の日本以外にない(岩田規久男編著 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社、2004年、190頁)。
田中秀臣
デフレを容認することは、被災した東北の人たちを見捨てるということです。数百万人の失業者を放置し、あなたも失業の恐怖におびえ続けなければいけないということです。財政赤字の悪化を容認するということです。未来ある多くの若者から夢を奪うということです(田中秀臣・上念司 『震災恐慌!〜経済無策で恐慌がくる!』 宝島社、2011年、221頁)。

世界恐慌期のデフレ不況の原因

若田部昌澄
大恐慌の原因は各国が金本位制への復帰に固執したことにある。ことに日本の場合、旧平価による復帰に固執したことによって、デフレ政策を意図的に選択した(岩田規久男編著 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社、2004年、66頁)。
田中秀臣
当初は、金本位制への復帰は為替レートの安定を目的とするものであったが、次第に金本位制復帰によるデフレ圧力によって非効率部門を清算するという、本来の金本位制の目的とは異なるイデオロギーに取って代わられた(田中秀臣 『経済政策を歴史に学ぶ』 ソフトバンククリエイティブ〈ソフトバンク新書〉、2006年、55頁)。

平成のデフレ不況の原因

ニューズウィーク日本版編集部
日本ではモノやサービスを提供できる総量(供給)に対して買いたいと思う総量(需要)が少ない。この差が30兆円もある(ニューズウィーク日本版編集部編著 『経済超入門 ゼロからわかる経済学&世界経済の未来』 CCCメディアハウス、2017年、141頁)。
岡部直明
ではデフレはなぜ起きるのでしょうか。大きく3つの要因に分けられます。第1に需要要因です。これは、需要が不足することによって値段が下がるという要因です。第2に供給要因です。こちらは供給の仕組みの変化による供給増で物価が下がるという要因です。それから第3が貨幣要因あるいは金融要因といわれるものです。「天下の回りもの」であるはずのおカネのめぐりが悪いから、値段が下がるという考え方です。(中略)日本のデフレは以上の要因のどれに当てはまるかというと、すべてが絡んだものと考えられます。つまり、需要要因、供給要因、貨幣要因のすべてが複合的に絡み合って、デフレが起きているということです。その意味で、日本のデフレはやっかいな「複合デフレ」といえます(岡部直明 『ベーシック日本経済入門』 日本経済新聞社・第4版〈日経文庫〉、2009年、39-41頁)。
田中秀臣
ちなみに0・1%や0・2%程度のデフレなんか大したことがない、という人がいるが、とんでもない主張だと言っていい。問題はデフレが長期停滞をもたらしていることにあるからだ(田中秀臣 『増税亡者を名指しで糺す!』 悟空出版、2018年、169頁)。
大和総研
物価下落の遠因としては、80年代後半以降、長期間に続く円高傾向も指摘できます(大和総研 『最新版 入門の入門 経済のしくみ-見る・読む・わかる』 日本実業出版社・第4版、2002年、105頁)。
FRB
FRBは2002年に、「デフレを防ぐ」という論文を出しているんだけど、これは日本がなぜ1997年以降デフレに陥ってしまったかを克明に研究しているものなんです。(中略)そしてこのFRBの論文で語られているのは、この猛烈な円高が起こっているにもかかわらず、日銀はその円高を放置したと。すなわち、金融引き締めスタンスを変えなかったと。それが、当時から現在まで続く日本経済の長い停滞の引き金を引いたと、そうFRBのエコノミストたちは断言しているんです(田中秀臣・上念司 『震災恐慌!〜経済無策で恐慌がくる!』 宝島社、2011年、61-62頁)。

日本銀行の見解

白川方明
白川総裁はデフレの原因を三つ挙げています。(1)規制緩和などによって、内外価格差が縮小した。 (2)労使が雇用確保を重視し、サービス産業などの賃金低下を許容した。 (3)バブル崩壊後の国民の自信の喪失が需要不足を生み出した。 というものです(田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、22頁)。
白川方明
物価下落が起点となって景気を下押しする可能性は小さい(田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、28頁)
反論
飯田泰之
日銀はこれまで自分でゼロ金利政策や量的緩和政策を実施しながら、その効果に疑問を呈するような発言をかさねてきたという過去もある(飯田泰之 『世界一わかりやすい 経済の教室』 中経出版〈中経の文庫〉、2013年、236頁)。
田中秀臣
「日銀理論」とはつまり「日本銀行はデフレに何もできない」という理論なのです(田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、24頁)。

日本銀行の責任について

岡田靖、飯田泰之
九一年七月以降の日銀の金融緩和策政策が極めて不十分な緩和だったことが、長期にわたる債務デフレとデフレ予想の定着をもたらした(岩田規久男 『日本経済を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2005年、79頁)。
中野剛志
「物価の安定」や「安定的な金融環境」とは、まさにデフレ・レジームにおける中央銀行の政策目標なのであって、デフレに悩んでいる国が掲げるべきものではありません。むしろ、日本だけでデフレだったのですから、日本は世界各国の中央銀行と同じ目標を掲げていてはいけないのです。要するに、日銀も完全にデフレ・レジームに嵌っているのです(中野剛志 『レジーム・チェンジ-恐慌を突破する逆転の発想』 NHK出版〈NHK出版新書〉、2012年、117頁)。
田中秀臣
そして将来にわたってお金の不足を解消する責任は、究極的には中央銀行、つまり日本銀行にある。だが、官僚組織の常というべきか、日銀もまたそのデフレ不況を解消する責任を20年以上、一貫して拒否してきた(田中秀臣 『脱GHQ史観の経済学 エコノミストはいまでもマッカーサーに支配されている』 PHP研究所〈PHP新書〉、2021年、60-61頁)。

緊縮財政

岩田規久男
例えばデフレ下で、政府が財政支出の大幅カットや増税によって、本格的に財政構造改革を進めれば一層のデフレになり、失業率も大きく上昇して、マクロ経済は不安定になります。(中略)九七年の橋本内閣の財政構造改革(消費税増税など)の失敗はその典型的な例です(岩田規久男 『日本経済を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2005年、229頁)。

バランスシート不況論

岩田規久男
九〇年代初めに、資産デフレをきっかけにして、債務デフレによるGDPギャップ(需要不足)の拡大が起きたため、景気が悪くなるとともに、その後の長期経済停滞をもたらしたという「デフレ説」です(岩田規久男 『日本経済を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2005年、227頁)。
円居総一
日本のデフレは、バブル崩壊による資産価格の暴落による資産デフレを主因に引き起こされたと見なされるが、その是正を図る政策ではなく、的外れな金融・財政政策と構造改革によってデフレが進行・長期化して、未だにその構図を脱して得ていない(円居総一 『原発に頼らなくても日本は成長できる』 ダイヤモンド社、2011年、149頁)。
伊藤元重
その原因としては、バブル崩壊によって株価や地価が下落したこと、それに伴って銀行の不良債権が増えたこと、その中で多くの企業が倒産したことなどが考えられます(伊藤元重 『はじめての経済学〈上〉』 日本経済新聞出版社〈日経文庫〉、2004年、17頁)。
反論
岩田規久男
そこで話した限りでの債務デフレだけでは、経済は長期にわたって停滞しないでしょう。長期経済停滞をもたらしたのは、デフレは将来も続くという、「デフレ予想の定着」だと考えられます(岩田規久男 『日本経済を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2005年、227頁)。

構造デフレ論

竹中平蔵
グローバリゼーションや技術革新によって、これまで高すぎたものが相対的に安くなることはもちろんよいことです。(中略)ただ、物価全体が下がり続けるという状況は避けたい、ということです(竹中平蔵 『あしたの経済学』 幻冬舎、2003年、79頁)。
反論
原田泰
アメリカでもヨーロッパでも、魅力的な商品の分量は日本と変わらないが、90年代は、日本はデフレで、欧米ではマイルドなインフレが続いていた(原田泰 『コンパクト日本経済論(コンパクト経済学ライブラリ)』 新世社、2009年、114頁)。

構造改革

円居総一
日本経済は、バブル崩壊による大幅な需要減少の最中に試みられた方向違いの構造改革でデフレが深まり、構造化して、今日に至る(円居総一 『原発に頼らなくても日本は成長できる』 ダイヤモンド社、2011年、142頁)。
円居総一
小泉構造改革で需要の落ち込みを促進して、デフレ期待を根付かせてきてしまった日本の場合、この可能性に陥って、デフレを長期構造化させてきたとみるのが妥当だろう(円居総一 『原発に頼らなくても日本は成長できる』 ダイヤモンド社、2011年、153頁)。

輸入デフレ論

主張
ニューズウィーク日本版編集部
90年代以降、中国などの新興国が発展して安い工業製品が大量に輸入されるようになった。すると、競合する国産品の値段も下がりやすい。一方、企業は新興国と競争するために賃金を抑えてきた(ニューズウィーク日本版編集部編著 『経済超入門 ゼロからわかる経済学&世界経済の未来』 CCCメディアハウス、2017年、142頁)。
黒田東彦
元が安くなりすぎれば、日本の輸出業者は儲けが出ないし、輸入した商品は極端に安く、日本国内のデフレに拍車をかける(上念司 『デフレと円高の何が「悪」か』 光文社〈光文社新書〉、2010年、58頁)。
日本政府の見解
日本銀行
アジア経済からの安価な輸入品は、消費者物価下落の直接的な要因となったほか、国内輸入競合品の価格を引下げることによって、物価下落の間接的な要因としても作用したと考えられる(上念司 『デフレと円高の何が「悪」か』 光文社〈光文社新書〉、2010年、59頁)。
内閣府
中国デフレ輸出論の考え方については、そうした経済効果が働いている可能性は否定できないものの、日本のデフレに対する影響度は小さいと判断できよう(上念司 『デフレと円高の何が「悪」か』 光文社〈光文社新書〉、2010年、63-64頁)。
反論
岩田規久男
日本で最近起こっていることいは、中国からの輸入製品だけでなく、国内の非輸入競争財の価格までもが軒並み下がっているのです。非輸入競争財とは、輸入されるモノと競争関係にないモノをいいます。たとえば、散髪サービスのようなサービスは、外国から輸入することはできませんから、輸入されるものと競争関係にはありません。ですから、安値輸入品のおかげでおカネに余裕ができると、これらのサービスに対する需要は、増える可能性があります。少なくとも、減る可能性はありませんから、価格は変わらないか、上がるかのどちらかです(岩田規久男 『日本経済にいま何が起きているのか』 東洋経済新報社、2005年、158頁)。
田中秀臣
日本経済にわずか数%しかウェイトを占めない中国からの輸入がデフレをもたらすわけはないし、また、著者が強調する中国、インドはそもそもインフレである。原因とする国がデフレでないのに、なぜ日本はデフレなのだろうか? それは、日本のデフレが著者のいう「構造的」なものではなく、ごく当たり前の総需要の不足によるものであって、正体はそれ以上でも以下でもないからである(田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社現代新書〉、2004年、31頁)。
田中秀臣
中国を含む諸外国からの輸入財の価格下落が一般物価水準に影響を与えたとしても、野口自身が試算しているものを採用したところで、年間たかだか〇・二五%である。マイナス一%のデフレがあるとしても、残りの物価下落の七割以上はなぜ生じたのかという点を考察する方がより重要であろう(田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社現代新書〉、2004年、139頁)。
田中秀臣
しかし安くなった貿易財(一時期話題になったユニクロ製品など)を買えることは日本国民の購買力を増やすことになるからデフレにはまったくつながらない。もし所得が同じであればより安い製品を多く買えるか、あるいは他の財やサービスを購入する余地が増えるだけである(田中秀臣・野口旭・若田部昌澄編著 『エコノミスト・ミシュラン』 太田出版、2003年、190頁)。
田中秀臣
1930年代の昭和恐慌のときも中国資本がデフレの原因だといった人がたくさんいました。なぜそんなに、自分の国の政策のミスを他国のせいにしたがるんでしょう(田中秀臣・野口旭・若田部昌澄編著 『エコノミスト・ミシュラン』 太田出版、2003年、44頁)。
若田部昌澄
実際には、輸入するもの価格が安くなると物価もそれに引きずられて安くなるという関係が見られないわけではないが、それは短期的にしか起きない(若田部昌澄・栗原裕一郎 『本当の経済の話をしよう』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2012年、167頁)。

人口減少デフレ論

伊東光晴
日本のデフレを伴った長期停滞は日本銀行の政策スタンスとは関係がなく、労働人口減少によるものである(田中秀臣 『増税亡者を名指しで糺す!』 悟空出版、2018年、220頁)。
白川方明
いまも日銀内部では人気の白川方明前日銀総裁は、日本経済の低迷とデフレを人口減少に求めている。簡単にいえば、働く人の数が減少することで生産性が低下していき、購買力も失われてしまった。日本銀行は人口減少をふせぐ力はないので、日本経済の低迷に責任はない、というのが白川の立場だろう(田中秀臣 『脱GHQ史観の経済学 エコノミストはいまでもマッカーサーに支配されている』 PHP研究所〈PHP新書〉、2021年、61頁)。
反論
田中秀臣
そもそも藻谷氏の人口減少デフレ説の「デフレ」は、一般的な意味での物価水準の下落をさしているのではない。藻谷デフレ論の「デフレ」は単なるひとつひとつの「モノ」の価格の低下にすぎない。これは個別価格といっていて、通常のデフレが一般物価の継続的な下落、すなわち平均的な価格の低下を意味するのとはまったく異なる。実際に藻谷氏の『デフレの正体』(角川新書)の中には、クロマや家電、冷蔵庫など個々の耐久消費財の低下を扱っているだけである(田中秀臣 『増税亡者を名指しで糺す!』 悟空出版、2018年、221頁)。
田中秀臣
また人口減少とデフレは現実の統計を見ても、関係はない。現在の人口減少率はマイナス2・1%だが、物価は上昇していて前年比1%である(田中秀臣 『増税亡者を名指しで糺す!』 悟空出版、2018年、222頁)。
原田泰
ジンバブエの人口増加率は一%に満たなかったが、一兆倍のインフレが起きた(田中秀臣編著 『日本経済は復活するか』 藤原書店、2013年、106頁)。
田中秀臣
日本の人口減少率は、2019年でマイナス0・22%(前年比)だ。対して、全国消費者物価指数(生鮮食品は除く)はプラス0・6%である。消費増税の影響がなかった8年は0・9%だ(田中秀臣 『脱GHQ史観の経済学 エコノミストはいまでもマッカーサーに支配されている』 PHP研究所〈PHP新書〉、2021年、61頁)。

賃金の下落

三和総合研究所
不況が深刻になれば、企業は賃金カットといった人件費抑制に手をつけざるをえなくなるから、デフレは一段と進みやすくなる(三和総合研究所編著 『30語でわかる日本経済』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2000年、29頁)。

将来不安

ニューズウィーク日本版編集部
そこへ年金など将来不安が重なり、消費者が財布のひもを締めるようになった(ニューズウィーク日本版編集部編著 『経済超入門 ゼロからわかる経済学&世界経済の未来』 CCCメディアハウス、2017年、142頁)。

平成デフレと経済活動停滞の因果関係

田中秀臣
またデフレによる長期停滞は、失業者の増加、非正規雇用の増大などの低所得者層を生み出しつづけてきた(飯田泰之・田中秀臣・麻木久仁子 『「30万人都市」が日本を救う! 〔中国版「ブラックマンデー」と日本経済〕』 藤原書店、2015年、33頁)。

デフレスパイラル化について

スパイラル化しているとする見解
田中秀臣
けれども実際にはデフレは、わずかなものであっても、経済に深刻な悪影響をもたらします(田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、42頁)。

デフレ下での成長

田中秀臣
日本の景気は、二〇〇三-〇六年末まで回復基調だったといわれています。しかし、その水準はずっと低いままでした。偽物の景気回復でしかなかったのです。なぜなら、外需によって輸出産業を中心に企業収益は改善しましたが、名目賃金はまったく伸びなかった。つまり所得は頭打ちだったからです。ふつう、景気がよくなるには、企業収益がよくなり、さらに人々の所得水準が上がらなければいけません。ところが、それが起こらなかった。これは日本社会が特殊なわけではなく、中途半端な景気回復の当然の帰結です。まずは名目成長率が伸びない限り、所得水準も上がらないのです(田中秀臣 『雇用大崩壊 失業率10%時代の到来』 NHK出版〈生活人新書〉、2009年、18-19頁)。
タイラー・コーエン
25年も続く停滞が貨幣的要因によるものとは思えない、19世紀末を例にデフレでも経済成長はありうるという回答だった(若田部昌澄・栗原裕一郎 『本当の経済の話をしよう』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2012年、135頁)。
田中秀臣、安達誠司
いいかえればデフレからの脱却は、日本経済の停滞を打破する必要最低限の条件にしかすぎない。そしてこの最低限の条件を満たさない限り、日本経済の低迷は基本的に解消されることはないだろう。それほどデフレは国民の生活を窮地に追い込むものなのである(田中秀臣・安達誠司 『平成大停滞と昭和恐慌〜プラクティカル経済学入門』NHK出版〈NHKブックス〉、2003年、183頁)。

指標とする物価指数について

大和総研
どのような物価指数に着目するかによって結論が異なることなどもあって、インフレやデフレをめぐる議論はしばしば複雑なものになります(大和総研 『最新版 入門の入門 経済のしくみ-見る・読む・わかる』 日本実業出版社・第4版、2002年、94頁)。
田中秀臣
石油関連価格が含まれている普通のCPIやコアCPIだけを見ると、インフレ傾向に傾いているように見えていただけだった。ところが、生鮮食品と石油価格を抜いた実体的な物価を表すコアコアCPIを見ると、実際の日本はまだデフレの真っただ中にいた(田中秀臣・上念司 『震災恐慌!〜経済無策で恐慌がくる!』 宝島社、2011年、109頁)。
飯田泰之
正しい物価の動きはコアコアCPIとGDPデフレーターの間あたりでしょうね(勝間和代・宮崎哲弥・飯田泰之 『日本経済復活 一番かんたんな方法』 光文社〈光文社新書〉、2010年、160頁)。
高橋洋一
デフレの判断は、本来であればGDPデフレーターの動きで見て、持続的な下落がある場合に言うのだが、GDPデフレーターは四半期ごとにしか計算できず、しかも公表が遅れるために、実務上は毎月公表される消費者物価指数で見ている(高橋洋一 『高橋教授の経済超入門』 アスペクト、2011年、32頁)。

日本経済への影響

田中秀臣
デフレの長期化によって、非正規雇用者は拡大し、また十分な老後の蓄えを持たない高齢者世帯を増幅させた(田中秀臣 『増税亡者を名指しで糺す!』 悟空出版、2018年、16-17頁)。
日本経済新聞社
今後もデフレが続けば、ベアゼロが定着し、定昇を見直したり、廃止する動きが加速しそうだ(日本経済新聞社編著 『いやでもわかる日本経済』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2003年、96頁)。
田中秀臣
アベノミクス以前は、20年にわたるデフレを伴った大停滞だった。このとき新規企業の立ち上げよりも企業の倒産件数のほうが、はるかに多かった。要するに、新しいイノベーションは生まれなかったのだ。このデフレ経済の持つイノベーション殺しは、既得権を持つ大企業に有利だった(田中秀臣 『増税亡者を名指しで糺す!』 悟空出版、2018年、88頁)。
田中秀臣
一九九〇年代後半に始まるデフレ不況においては数々のアイドルの誕生と並行して若い男性たちの「草食」化が話題になりましたが、これは決して偶然ではありません。可処分所得の減少が男性のガールハント行動を抑制し、代替材としてのアイドル消費に導いたと経済学的には解釈できるのです(田中秀臣 『ご当地アイドルの経済学』 イースト・プレス〈イースト新書〉、2016年、232頁)。
中野剛志
若者の自動車離れということがよく話題になりますが、それは最近の若者の性格が内向きになって、クルマで遠出しなくなったからというよりは、単純にデフレなので、ローンを組んで自動車を買うことができなくなったからでしょう(中野剛志 『レジーム・チェンジ-恐慌を突破する逆転の発想』 NHK出版〈NHK出版新書〉、2012年、35頁)。

対策についての議論

岡部直明
また脱デフレのためには、名目成長率目標をもつべきです(岡部直明 『ベーシック日本経済入門』 日本経済新聞社・第4版〈日経文庫〉、2009年、31頁)。
日本経済新聞社
併せ技を試みるしかないね。まず、減税や金融緩和による需要面からの景気テコ入れは欠かせない。同時に、企業が抱えた過剰債務、言い換えれば銀行の不良債権をきちんと整理する必要がある。さらに、新しいビジネス分野を切り開くための企業努力を、政府も後押しすることが大切だ(日本経済新聞社編著 『いやでもわかる日本経済』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2003年、68頁)。
田中秀臣
将来にわたってお金が不足することを人々が予想していることが、日本のデフレを考える上で最も重要だ(田中秀臣 『脱GHQ史観の経済学 エコノミストはいまでもマッカーサーに支配されている』 PHP研究所〈PHP新書〉、2021年、60頁)。

金融政策

ニューズウィーク日本版編集部
デフレは世の中に出回るお金の量が少ないために起きる、だから日銀がもっとお金を回せばいいという専門家もいる。だが超低金利なのに、企業が事業を拡大するために借り入れを増やそうとする動きが鈍い。このため日銀にできることはあまりないとの反論もある(ニューズウィーク日本版編編著集部 『経済超入門 ゼロからわかる経済学&世界経済の未来』 CCCメディアハウス、2017年、142頁)。
小林慶一郎
最近のデフレ脱却論は、「適切な政策をとれば、日銀は国民のインフレ期待をコントロールできるはずだ。したがって、金融政策でデフレから脱却できるはずだ」というものだが、これは、後述するように、ともすると設計主義と非常に高い親和性を持つ(ダイヤモンド社編著 『日本経済の論点いま何が問題なのか』 ダイヤモンド社、2004年、51-52頁)。
小林慶一郎
「大胆な金融緩和だけでデフレ脱却できる」とは、専門的研究者の立場からは、必ずしも言い切れないはずである。問題は、こうした論理の飛躍が見過ごされたまま、「金融緩和のみによるデフレ脱却」という議論が、非専門家の論壇で強い支持を集めていることだ。それも、保守系の論者も革新系の論者もこぞって支持している点が興味深い。これは、経済の閉塞感の中で、市場ルールから逃れたい、原初的で整然とした組織秩序に身を置きたい、という設計主義の幻想が広く日本の論壇に広がっていることを示しているのではないか(ダイヤモンド社編著 『日本経済の論点いま何が問題なのか』 ダイヤモンド社、2004年、67頁)。

財政政策

中野剛志
九〇年代半ばまで民間負債は横ばいであり、公共投資がデフレを抑止していたことが分かります。当時の公共投資は無駄ではなかったのです。ところが、九六年以降、公共投資が減額されたため、それに伴って民間負債も激減しました。デフレに突入したのです(中野剛志 『レジーム・チェンジ-恐慌を突破する逆転の発想』 NHK出版〈NHK出版新書〉、2012年、161頁)。
田中秀臣
財政政策には二つの問題点があります。第一に、最大で四〇兆円近く、最小でもおそらく二〇兆円以上にも達すると見られる総需要の不足に対して、通常の財政政策では力不足だということです。第二に、日本の場合、バーナンキも指摘するように、いわゆる「リカードの等価命題」が働いて財政政策の乗数(波及)効果が下がってしまい、政策効果が限定されてしまうことです。(中略)また財政支出を拡大することで、経済に占める政府部門の割合が高まると、経済全体の非効率性をもたらすという問題もあります。ですから財政政策だけではだめで、必ず金融政策と組み合わせてデフレ対策、不況対策をやっていかねばならないのです(田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、241-242頁)。
増税
日本経済新聞社
安全資産に課税すれば、資金が株式などリスクを伴う資産や消費、投資に回るというのは、なぜ人々が安全資産に引きこもっているのかという肝心な点を見逃している。銀行や企業の信用が落ち、政府が大丈夫か疑問を感じているのが、最大の原因さ。世の中がデフレになっているのも、そのためだ。人々の不安心理を無視して物価下落分だけ課税したからといって、人々がリスク資産におカネを移すとは思えない。このケースでも、人々は日銀券を見限って、ドル札に資金を移すことになるだろう(日本経済新聞社編著 『いやでもわかる日本経済』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2003年、67-68頁)。

グローバル・インバランスの是正

若田部昌澄
デフレ、インフレと、経常収支の黒字・赤字は関係ない。日本でも80年代はインフレだったけど経常収支は黒字で、アメリカとの貿易摩擦が話題になったりしたでしょ。じゃあ、インフレ、デフレを決めるのは何か。需要は関係するけど、内需にこだわる必要はない(若田部昌澄・栗原裕一郎 『本当の経済の話をしよう』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2012年、164頁)。

構造改革

野口旭
構造改革の目的とは経済の効率化であり、マクロ経済政策の目的とはマクロ経済の安定化であるということです。この政府による政策の目的と手段の割り当てを、取り違えてはならないのです(野口旭 『ゼロからわかる経済の基礎』 講談社〈講談社現代新書〉、2002年、189頁)。

政府紙幣の発行

日本経済新聞社
今の日本では政府の借金の残高が、毎年のGDPの一・四倍にものぼるので、国民が国債の元本や金利の支払いに疑問を持ち出したらアウトさ。政府紙幣が信用できないと思った国民は、普通のお札である日銀券も信用しなくなるだろうから、毎日の生活にドル札を使うようになるかもしれない(日本経済新聞社編著 『いやでもわかる日本経済』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2003年、67頁)。

日本のデフレの歴史

田中秀臣
第一次世界大戦後の日本は、現在と同じく、日本全体の物価が下落し、失業率が上昇するデフレ不況の最中にありました(田中秀臣・上念司 『震災恐慌!〜経済無策で恐慌がくる!』 宝島社、2011年、28頁)。
田中秀臣
1930年には10%、翌1931年には11.5%も物価が下落してしまうという信じられないほどのデフレ、すなわち昭和恐慌を起こしてしまったわけです(田中秀臣・上念司 『震災恐慌!〜経済無策で恐慌がくる!』 宝島社、2011年、39頁)。
岩田規久男
一九二〇年(大正九)-三一年(昭和六)の一二年間は、二〇、二四、二五年をのぞくと、消費者物価指数が対前年比マイナスになる長期のデフレであり、業績不振による企業の人員整理がすすんだ時代である(田中秀臣 『日本型サラリーマンは復活する』 日本放送出版協会〈NHKブックス〉、2002年、42頁)。
田中秀臣
また消費者物価指数も同様な動きを示し、二四年にわずかに上昇したが、二五年以降はデフレ型経済に傾斜していき、二四年一・二%、二五年マイナス四・五%、二六年マイナス一・五%、二七年マイナス三・八%、二九年マイナス二・三%などとなっていた(麻木久仁子・田村秀男・田中秀臣 『日本建替論 〔100兆円の余剰資金を動員せよ!〕』 藤原書店、2012年、228頁)。
岩田規久男
一九二六年(昭和元年)から一九三一年(昭和六年)までの六年間デフレが続いた(岩田規久男 『スッキリ!日本経済入門-現代社会を読み解く15の法則』 日本経済新聞社、2003年、213頁)。
田中秀臣
一九二〇年(大正九)から一九三二年(昭和六)まで、の消費者物価の対前年比はマイナス三・二%であった(田中秀臣 『日本型サラリーマンは復活する』 日本放送出版協会〈NHKブックス〉、2002年、222頁)。
岩田規久男
日本は企業物価指数で見ると1991年11月以降、GDPデフレーターで見ると94年第4半期以降、消費者物価指数で見ると98年9月以降、デフレになった(岩田規久男 『「不安」を「希望」に変える経済学』 PHP研究所、2010年、78-79頁)。
第一勧銀総合研究所
政府は二〇〇一年三月、日本経済が「緩やかなデフレ」状態にあることを公式に認めました(第一勧銀総合研究所編著 『基本用語からはじめる日本経済』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、99頁)。
田中秀臣
2008年9月からのコアコアCPIを見ると、またインフレ率が0%を下回り、つまりデフレに陥り、その後ドーンと下がったまま、いまだに戻っていない(田中秀臣・上念司 『震災恐慌!〜経済無策で恐慌がくる!』 宝島社、2011年、113頁)。
田中秀臣
日本は公式統計をみても、国内総生産(GDP)の物価であるGDPデフレーターでみると94年から2014年まで長期のマイナス(デフレ)であった(田中秀臣 『脱GHQ史観の経済学 エコノミストはいまでもマッカーサーに支配されている』 PHP研究所〈PHP新書〉、2021年、90頁)。

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