経済・経済学に関するメモ。

経緯

安達誠司
世界大恐慌期に米国大統領としてリフレーション政策を主導したルーズベルト大統領は、大統領就任前の大統領選のラジオ演説で「自らが大統領に就任した場合、大恐慌以前の平均的な物価水準に一年以内に戻す」と宣言し、大統領就任後、リフレーション政策に消極的だった財務省やFRB幹部を更迭し、自らが主張したリフレーション政策を推進した(田中秀臣編著 『日本経済は復活するか』 藤原書店、2013年、119-120頁)。
池田信夫
ルーズベルトが1933年に大統領に就任して、ただちに大胆な金融緩和を進めたため信用収縮は止まり、次ページの図表6-1のようにマイナス成長は止まった(池田信夫 『希望を捨てる勇気-停滞と成長の経済学』 ダイヤモンド社、2009年、141頁)。

政策に対する評価

田中秀臣
かつて一九三三年にアメリカのルーズヴェルト大統領は、ニューディール政策の一貫として、この政府紙幣の発行を決め、それがニューディール政策の成功に貢献したと評価されています(田中秀臣 『雇用大崩壊 失業率10%時代の到来』 NHK出版〈生活人新書〉、2009年、170頁)。
中野剛志
フーヴァーを引き継いだルーズヴェルト大統領は「ニューディール政策」という一連の新しい経済政策をを実行し、デフレ脱却に向けた政策レジームへの大転換を行いました。その結果、人々は、ニューディールの政策に反応し、インフレを期待し行動するようになり、アメリカ経済は恐慌からの脱出に成功したのです(中野剛志 『レジーム・チェンジ-恐慌を突破する逆転の発想』 NHK出版〈NHK出版新書〉、2012年、21頁)。
ミルトン・フリードマン
私たちが著書の中で述べているのは、大恐慌ではなくて、大収縮です。大収縮を終わらせたのは、銀行休日、金本位制からの離脱、金購入計画、銀購入計画など、ルーズベルトのとった一連の金融政策であるのは間違いありません。これらのことが大収縮を終わらせました。1929-1933年の期間と1933-1941年を同じように考えるのはよくありません。(中略)「大恐慌を終わらせたのは何か」という質問に対する通常の答えは、第二次世界大戦と軍事支出です(R.E.パーカー 『大恐慌を見た経済学者11人はどう生きたか』 宮川重義訳、中央経済社、2005年、60-61頁)。
宇沢弘文
結局、ニューディール政策がどういう結果・成果をもたらしたかが十分にわかる前に戦争に突入してしまった(宇沢弘文・内橋克人 『始まっている未来 新しい経済学は可能か』 岩波書店、2009年、5頁)。
宇沢弘文
フリードマンが中心になって、ニューディール政策のすべてを否定するという運動を巧みに展開した。(中略)レーガン政権の時にニューディール政策はほぼ完全に否定されます(宇沢弘文・内橋克人 『始まっている未来 新しい経済学は可能か』 岩波書店、2009年、24-25頁)。
小室直樹
ルーズベルトのニューディール政策は中途半端であり、ロイド・ジョージ〔英国首相。一八五六-一九二四〕の絶賛する処となったヒトラーを除いてケインズの政策をほぼ完璧に実行した政治家は皆無であった(小室直樹 『経済学をめぐる巨匠たち』 ダイヤモンド社〈Kei BOOKS〉、2003年、67頁)。

金融政策

クリスティーナ・ローマー、ベン・バーナンキ
ローマー女史は、大恐慌期のGDPの回復のほとんどが金融緩和によってもたらされたとする論文を発表していたし、バーナンキ氏は、「謎」とされていた大恐慌からの回復メカニズムを国際比較の観点から分析し、金本位制の停止による量的緩和の実現可能性がデフレ解消に大きく寄与したことを発見した(田中秀臣編著 『日本経済は復活するか』 藤原書店、2013年、121頁)。

財政政策

田中秀臣、安達誠司
ルーズベル大統領による財政出動である「ニューディール政策」だが、実は財政支出の規模は対GDP比で五%前後とフーバー大統領のときとそれほど変わっていなかった(田中秀臣・安達誠司 『平成大停滞と昭和恐慌〜プラクティカル経済学入門』NHK出版〈NHKブックス〉、2003年、66頁)。
クリスティーナ・ローマー
クリスティーナ・ローマーの経済史的な研究でも、ニューディールの財政政策の効果はなかったと結論している(池田信夫 『希望を捨てる勇気-停滞と成長の経済学』 ダイヤモンド社、2009年、145頁)。

ケインズとの関係

小室直樹
ケインズ理論の真価を実地に証明したのは、ヒトラー政権下のドイツ経済であり、ニューディール政策で脱不況を模索したルーズベルトである(小室直樹 『経済学をめぐる巨匠たち』 ダイヤモンド社〈Kei BOOKS〉、2003年、100頁)。
池田信夫
1930年代にアメリカで実施された「ニューディール」がケインズ政策の成功例といわれるが、実際にはフランクリン・ルーズベルト大統領はケインズ理論を知らなかったし、ニューディールで失業は減らなかった(ニューズウィーク日本版編集部編著 『経済超入門 ゼロからわかる経済学&世界経済の未来』 CCCメディアハウス、2017年、198-199頁)。
池田信夫
ルーズベルト自身が否定している。彼は財政均衡主義者で、赤字財政は好ましくないと考えていた。彼は1934年にケインズと一度だけ会っているが、「統計の数字ばかりで理解できなかった」と語っている。1936年に出版された『一般理論』が、1933年から始まったニューディールに影響を与えた形跡はなく、図表6-1のようにニューディールが実施されたあとも2桁の失業率が続いた(池田信夫 『希望を捨てる勇気-停滞と成長の経済学』 ダイヤモンド社、2009年、143頁)。
高哲男
F.D.ローズヴェルト(Franklin D.Roosevelt, 1882-1945)大統領がケインズ(John Maynard Keynes, 1883-1946)と直接対話する機会をもったものの、赤字国債発行による景気刺激政策の効果を力説するケインズの話を「途方もないほら話」と切り捨てた事実がある一方で、実際には、ニュー・ディール政策の一環として政府によるさまざまな雇用創出の試みがなされていたからである(高哲男 『暮らしのなかの経済思想-進化論的経済学入門-』 知新出版研究所・ 初版、2007年、81頁)。

日本

田中秀臣
戦後の日本人の常識のひとつに、アメリカのウォール街から始まった大恐慌は、ルーズベルト大統領によるケインズ型の財政政策によって回復した、というものがある(田中秀臣 『経済政策を歴史に学ぶ』 ソフトバンククリエイティブ〈ソフトバンク新書〉、2006年、102頁)。
田中秀臣
ところで今日のケインズ政策の理解の原型(ニューディール型の政策による大恐慌脱出というシナリオと金融政策の事実上の無視)を広めることに都留の業績が貢献したのではないか、と指摘した(田中秀臣 『経済政策を歴史に学ぶ』 ソフトバンククリエイティブ〈ソフトバンク新書〉、2006年、109頁)。
都留重人
彼は戦争中に東大で講義をやっているんですが、そこではアメリカがなぜ今回日本と戦争になったかというと、それはニューディール政策の帰結であると言っています。つまり、ニューディールが軍備拡張をもたらした、と(麻木久仁子・田村秀男・田中秀臣 『日本建替論 〔100兆円の余剰資金を動員せよ!〕』 藤原書店、2012年、77頁)。
都留重人
「国民的利益」概念の二つの具体的内容をなしている「国防」と「全的就業」とが同時に満足される機会が与えられたのであるから、大東亜戦争開始にいたるまでの好戦的態度には十分の根拠があつたと云はねばならぬ。「ニューディール」政策は、このような形で戦争につながっていたのである(田中秀臣 『経済政策を歴史に学ぶ』 ソフトバンククリエイティブ〈ソフトバンク新書〉、2006年、108頁)
田中秀臣
政府のケインズ型財政政策が結局は戦争を招いてしまい、戦争の中でこそ大恐慌の諸問題が解決された、という今日でもしばしば散見される主張の起源をこの都留の発言に確認することができる(田中秀臣 『経済政策を歴史に学ぶ』 ソフトバンククリエイティブ〈ソフトバンク新書〉、2006年、108頁)。

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