経済・経済学に関するメモ。

日本

田中秀臣、安達誠司
日本では、経済学が長く「近代経済学」と「マルクス経済学」に分かれ、歴史的には後者の影響が強いという側面がある(田中秀臣・安達誠司 『平成大停滞と昭和恐慌〜プラクティカル経済学入門』NHK出版〈NHKブックス〉、2003年、10頁)。
橘木俊詔
マルクス主義が主流とならなかった慶応義塾や東京商大と比較すると、東京・京都の両帝国大学の経済学ではむしろマルクス主義の経済学がかなりのウエートを占めるようになった(橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、216頁)。
橘木俊詔
戦前の東大・京大経済学部にあっては数の上では必ずしもマルクス主義者が多数派ではなかった。戦前にあっては、マルクス派、皇国経済学派、リベラル派の三つ巴と言ってよかった。戦後になってマルクス派が主流となる人事が実行された。その理由は、戦前の右翼系であった経済学者が戦争責任者のような形で大学を追放となり、その後任に左翼系の人が選ばれることとなったからである(橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、221頁)。
橘木俊詔
社会主義国の消滅を目の当たりにし、大学でマルクス経済学を学ぼうとする学生が減少し、旧帝大系の経済学部においてマルクス経済学から近代経済学への移行がみられた。マルクス経済学の間でも、教える科目を「マルクス経済学」と称することをやめて、社会経済学、政治経済学という名に替えて、退潮をなんとか阻止しようとしている(橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、227頁)。

近代経済学

田中秀臣、野口旭、若田部昌澄
近代経済学という用語じたいは日本に特有なもので、日本ではマルクス経済学との対比において、欧米の自由主義的風土のなかで展開された経済学一般を指すときに用いられることが多い。具体的には、1870年代の限界革命以降に形成された非マルクス経済学のほぼ全体を指すために用いられる(田中秀臣・野口旭・若田部昌澄編著 『エコノミスト・ミシュラン』 太田出版、2003年、101頁)。
橘木俊詔
世界において社会主義国の多くが消滅して自然とマルクス経済学は退潮することになり、近代経済学が主流となっていった。それとともに近代経済学という言葉はわが国においてさほど使われなくなり、現在では新古典派経済学、あるいは正統派経済学と呼ばれるようになっている(橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、228頁)。

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