経済・経済学に関するメモ。

特徴

池田信夫
商品の価値が、その生産に要した費用ではなく市場の需要によって決まるという「限界効用理論」を独自に発表したのが、ウィリアム・ジェボンズとレオン・ワルラスとカール・メンガーでこれ以後の経済学を「新古典派」と呼ぶ(ニューズウィーク日本版編集部編著 『経済超入門 ゼロからわかる経済学&世界経済の未来』 CCCメディアハウス、2017年、196頁)。
池田信夫
新古典派 Neoclassicai Economics ・市場に任せれば需要と供給が自動的に一致するため、政府が介入する必要がない ・好況時にあてはまりやすい ・主にミクロ経済学を対象とする(ニューズウィーク日本版編集部編著 『経済超入門 ゼロからわかる経済学&世界経済の未来』 CCCメディアハウス、2017年、39頁)。
田中秀臣
新古典派経済学の立場からすると、価格の調整によって需要と供給が一致するので、供給されたものは必ず需要されることになる(セイの法則)(田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社新書〉、2004年、42頁)。
弘兼憲史、高木勝
新古典派経済学の源泉は、道徳哲学の延長にあったのだ(弘兼憲史・高木勝 『知識ゼロからの経済学入門』 幻冬舎、2008年、48頁)。
田中秀臣
新古典派経済学などの伝統的経済学は、高田やフクヤマのように社会的・文化的要素を基本的には重視していない(田中秀臣 『日本型サラリーマンは復活する』 日本放送出版協会〈NHKブックス〉、2002年、80頁)。
森永卓郎
新古典派の経済学とは、先にも触れたように、経済の規模はどれだけの生産要素を投入したかで決まるという考え方です。(中略)彼らの理論では、資本の量を増やすために、まず勤倹節約をして、資本蓄積を進める。また労働の量を増やすため、女性と高齢者を活用して労働力を増やし、必要とあらば外国人労働力も取り入れる。なおかつ生産性を高めるため、それぞれの企業は資本と労働を切り詰める。こうしていけば、国全体としてみた場合、生産がいちばん大きくなり、そして生産されたモノは自動的に売れて、経済は大きくなる、というのです(森永卓郎 『日本経済50の大疑問』 講談社〈講談社現代新書〉、2002年、124-125頁)。
森永卓郎
新古典派経済学というのは、すべての人が自分の利益を最大化することを目的に行動するという強い仮定にもとづいた思考実験であるにもかかわらず、その部分を端折って、現実にそのままあてはめてしまったのです(森永卓郎 『「騙されない!」ための経済学 モリタク流・経済ニュースのウラ読み術』 PHP研究所〈PHPビジネス新書〉、2008年、197頁)。
森永卓郎
「他人のしあわせなどいっさい考えず、自分の利益だけを優先する」という人を想定し、「そういう人たちだけで社会をつくったらいったいどうなるか」という極端な仮定を立て、あくまで仮定の中だけで成立する理論を構築したもの、それが本当の意味での新古典派経済学のはずなのです(森永卓郎 『「騙されない!」ための経済学 モリタク流・経済ニュースのウラ読み術』 PHP研究所〈PHPビジネス新書〉、2008年、198頁)。

失業に関する理論

小野善康
新古典派の経済では、賃金や物価に対応して労働や財の需給が決まる。各市場ではそれぞれ需給が一致するように価格が調整される。そのため、市場の調整機能さえ完全なら、労働市場でも財市場でも、失業や売れ残りはないはずである(日本経済新聞社編著 『世界を変えた経済学の名著』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2013年、216頁)。
小野善康
労働市場では、賃金が高ければ、企業は雇用を減らし、労働者は供給を増やす。新古典派は、賃金がこうした労働の需給を一致させるように決まると考える。このとき企業は雇いたいだけ雇い、労働者は働きたいだけ働けるから、非自発的な失業はない。(中略)名目賃金の低下は、労働の供給が需要を超えているときに起きる(日本経済新聞社編著 『世界を変えた経済学の名著』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2013年、217頁)。
田中秀臣
いわゆる新古典派経済学は、この市場の法則があらゆる市場で機能していると考える傾向を持っている。たとえば労働市場でも「賃金(労働の価格)が伸縮的に調整されることによって、労働の供給(働き手)と労働の需要(雇い手)が必ず一致し、そこには働きたくても働けないような失業は存在しない」と考えている。 もちろん、このような市場の法則が成立するには、さまざまな仮定が必要となる。たとえば、この新古典派的な市場では完全競争が前提とされているので、「モノやサービスの売り手や買い手が多数いて、それぞれが勝手には価格を操作することはできない」という仮定が設けられている。市場で決まる価格に応じて需給が調整されていく、という図式である。しかし現実には、価格決定に影響力を持つ独占的・寡占的企業といった存在は、広汎に確認できる現象であろう。労働市場でも失業者がもちろん存在する。また、新古典派的な市場では、「買い手も売り手もともに同じ情報を有し、提供できるモノやサービスの質も同一」という前提となっているが、これも現実社会の常識に照らすと、人々に大いに違和感を覚えさせるだろう。そして実際に、そのような世間の常識や智恵を反映した形で、市場の法則にはさまざまな修正が施されてきた。「情報の非対称性」や「労働市場・資本市場の硬直性」の導入、「独占的競争」の前提など、その経済モデルの多様性には驚くべきものがある(田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社新書〉、2004年、24-25頁)。
田中秀臣
この新古典派経済学の立場に立てば、政府の積極的な財政・金融政策はこの失業の解消の役には立たず、むしろ政府による資源の浪費をもたらしてしまう結果となる(田中秀臣 『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』 講談社〈講談社BIZ〉、2006年、31頁)。
伊藤元重
フリードマンの考え方に大きな影響を受けた新古典派のマクロ経済学者たちは、伝統的なケインジアンが提案するようなファイン・チューニング型のマクロ経済政策の効果に疑問を提示します。彼らによれば、景気の状況によって金融政策や財政政策を頻繁に動かすのはかえって経済の不安定を招く結果になります(伊藤元重 『マクロ経済学』 日本評論社、2002年、167頁)。

ケインズ経済学との違い

池田信夫
経済学は、学派によっても分類できる。経済学者によっては主張・理論は異なるが、対立軸が最もはっきりしている二学派が「新古典派」と「ケインズ派」だ。新古典派は(18-19世紀の古い経済学)の流れをくむ学派。一方、ケインズは1930年代の大恐慌を説明できなかった新古典派を批判し、新たな理論を打ち出した。それぞれの学派は進化しており、二つを組み合わせたような考え方も生まれたが、基本的な対立軸は残っている。二つの違いは、つきつめると、不況時に政府が景気対策を打つべきかどうかという政策論争につながる。新古典派が不況時の大量失業を説明できない一方、ケインズ派の景気対策に効果があるとは限らないため、論争に決着がついていない(ニューズウィーク日本版編集部編著 『経済超入門 ゼロからわかる経済学&世界経済の未来』 CCCメディアハウス、2017年、38頁)。
小林慶一郎
新古典派では自由主義的な傾向が強く、一方でケインズ経済学は、やや設計主義的なおもむきを持つと言えるかもしれない(ダイヤモンド社編著 『日本経済の論点いま何が問題なのか』 ダイヤモンド社、2004年、52頁)。
小野善康
ケインズ政策とは、失業者救済のための社会政策でもなければ、景気回復の呼び水でもない。純粋に効率化政策である。需要不足を認めるか否かでやり方が違うだけで、目的は新古典派と同じなのである(日本経済新聞社編著 『世界を変えた経済学の名著』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2013年、228頁)。
飯田泰之
主流派経済学=新古典派には需要不足による不況の視点がないかのように記述されているが、現在の理論研究の中心である、最適化行動にもとづく動学一般均衡理論からも十分需要不足による停滞やマクロ政策の効果を導くことができる。情報の経済学を応用したモデルなどが、その例である。新古典派であるからいつでも適切な均衡にあるというのは、学部教育での便宜的な単純化にすぎない(田中秀臣・野口旭・若田部昌澄編著 『エコノミスト・ミシュラン』 太田出版、2003年、216頁)。

新古典派総合

佐和隆光
二十世紀の経済学に関していえば、市場メカニズムを基本とする新古典派、政府の役割を深不可欠とするケインズ学派、そしてこの両者を融合した新古典派総合学派(市場機能を重視し裁量的な財政・金融政策の有効性をも認める)などがある(日本経済新聞社編著 『世界を変えた経済学の名著』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2013年、66-67頁)。
池田信夫
GDPギャップを埋める短期のメカニズムと潜在成長率を高める長期のメカニズムがまったく別だと考えられている。これはサミュエルソンの有名な教科書で初期に提唱された「新古典派総合」という考え方である。それによれば、不完全雇用のときは価格が硬直的なのでケインズ政策が有効だが、完全雇用になると価格が伸縮的に動くので、新古典派経済学が有効だという(池田信夫 『希望を捨てる勇気-停滞と成長の経済学』 ダイヤモンド社、2009年、131頁)。

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