ある日の夕方、かずさはイブの番組の打ち合わせのために『エコーズ』で理奈を待っていた。
最近はかずさもここがお気に入りになっていた。
なんといっても客が少ないのがいい。
しかも大半はテレビ局の関係者だからまわりの視線を気にしなくていいし。
もはや有名人のかずさは最近はどこへ行っても注目された。
もとより抜群のスタイルに美貌。すぐに注目され、直後には「あっ、冬馬かずさだ」となり、さらに注目の的になる始末だった。
学園時代、唯一人を除いて誰も相手にしてくれなかった頃が懐かしく思えた。

「冬馬さん、おまたせ」
気がつくと横に待ち合わせの相手が立っていた。
「ああ、忙しいところを済みません。」
「そんなに忙しくないわよ。新人の頃と違って結構融通利くし、私のやりたいようにしちゃうから」
「今日はどうしたんですか?突然打ち合わせがしたいって聞いたんですが、なにか問題でも?」
かずさの問いに、理奈はくすっと笑って答えた。
「ごめんなさいね、すっごく私的な興味なんだけど、あなたたちの『届かない恋』に対する想いをもっと知りたくて。
何て言うか、あなたの北原さんに対する想いは永遠に届かない想いなのにどうして辛さを感じさせないのか。
だって、ずっと好きだったんでしょ?」
理奈の問いかけは、かずさにとっては、いつか聞かれるだろうと予想していたものだった。
自分自身、春希への想いを隠しているつもりは無い。
「でも、それは理奈さんも同じですよね?あなたの藤井さんに対する想いもあたしと同じだって思うんですけど」
かずさは理奈の目を真正面から見つめて言った。
「そうよ、私と同じものを感じるから…だからこの歌を歌いたいって思った。あなたの気持ちとシンクロしたいって思ったの」
理奈も真剣な表情で見つめ返した。
かずさはそっと目を瞑ると軽く息を吐いた。そしてゆっくりと息を吸い込むと目を開け、理奈と視線を合わせた。
「あたしと春希が出会ったのは…」
学園で最後の、そして、最高に幸せで、最高に不幸だった一年のことから話し始めた。
「あたしは、春希に永遠の別れを告げたんだ。ウィーンに行って、もう日本に帰るつもりは無かった。もう会うはずも無かった。
あたしとのことなんて、すぐにではなくてもだんだんと忘れて…雪菜と幸せになって欲しい、そう思ってたんだ。
一年では無理でも、二年、三年と経てばそんなこともあったっけなって笑って受け流せるようになるって、お互いに…」
かずさの口元には僅かな笑みが見て取れたが、その瞳は悲しみの色をいっそう深めた。

「三年目の冬に、母さんのコンサートを聞く為に日本に初めて帰国したんだ。その頃のあたしは、もうヨーロッパで少し実績もあったし、
あっちが自分の居場所だって自分自身納得して、その気持ちに確信を持つ為に母さんに説得されての一時帰国だった。
もちろん、あたし程度のピアニストなんか向こうでは掃いて捨てるほどいるし、気楽に帰って来てみたらいきなり空港で声を掛けられるし…」
「それは、あなたが理解していなかっただけで、日本ではかなり話題になっていたのよ」
理奈も当時のことは知っていた。クラッシク界に久々に登場したシンデレラ。
「そう、あたしを無理やりシンデレラにしたやつがいたんだ。ただ単にヨーロッパのコンクールで入賞しただけなら話題もすぐに尽きただろう。
それを、あたしの生い立ちから母さんとの関係、学園時代の素行、そしてあいつ以外誰にも話したことの無かった母さんへの想い…
面白おかしく、説教交じりに、春希が特集記事を書いていたんだ。その内容のせいさ…あいつ…全部覚えていたんだ」
理奈を見つめるかずさの瞳が少し潤んでいた。
「帰りの空港で美代子さん…ああ、母さんの事務所で働いている人なんだけど、その人があたしにその記事の載った雑誌をくれたんだ。
今日は持ってきているよ、ほら…」
そこまで言って、かずさは自分の口調が変わっていることに気がついた。
「あ…すみません、なんか生意気な言い方になってしまって…」
理奈はくすっと笑うと言った。
「いいえ、いいのよ。やっとあなたらしさが感じられたわ。実はね、ずっとあなたの言葉に違和感があったのよ。
今初めて分かったわ。やっと私に対して心の壁を取り払ってくれたってね。だから、今後はそのほうが嬉しいわ。
でも、その雑誌。話からすると、もっと大切にしまってあると思ったんだけど…」
かずさの出した雑誌は、くしゃくしゃで端のほうは破れたり擦れていたりしていた。
「…もらってから暫くは、毎日のように読んで…、涙で濡らして、時には抱きしめて眠ったりしてたから…」
恥ずかしそうにかずさは言った。
「ある日、ウィーンの街を歩いていたら、あいつらの演奏が聞こえた気がしたんだ。びっくりして周りに耳を澄ましたけど、もう聞こえなかった。
そんなことが何回か繰り返して分かったんだ。あたしの耳が、雪菜の歌声や春希の演奏に近い音に敏感になって無意識に拾っていたんだ。
だから、それが聞こえるのは街の喧騒とかの騒がしいところ。雑多な音が多いほどよく聞こえた。」
かずさは懐かしそうに微笑んだ。
「だから、ハンガリーの空港で雪菜の声が聞こえてきても、ああ…また聞こえるって、でも、その歌声はそのままずっと消えなかった。
暫くしてあたしはそれが本当に雪菜の歌声だって気がついたんだ。耳を澄ますとそれはすぐ後ろから聞こえてきていた。
振り向くとあたしの座っている席のすぐ後ろに東洋人のビジネスマンが座って音楽を聴いているようだった。
間違いなくそこから雪菜の歌とアコースティックギターの伴奏が、『届かない恋』が聞こえてきていたんだ」
かずさの瞳は少し潤んできていた。
「でも、その男に声をかけた時に席を外していた母さん戻ってくる足音が聞こえて…あたしは母さんに気づかれるのが嫌でその後彼を無視してしまった。
でもそいつは去り際にあたしに名詞をくれた。無視しているあたしに『用があるなら連絡くれ』ってね。出張でハンガリー支社に暫く居るからって」
理奈はいたずらっぽく微笑んで
「で、連絡をして、無理に頼み込んでそれを買い取っちゃったとか?」
「そうしようとした。でも、断られた。すごく大切なものだからって。だからその場で聞かせてもらったんだ」
「その人はこの歌とどういう関係の人だったの?」
「春希や雪菜の大学のゼミ仲間って言ってた。聞いていたのは3年の時のバレンタインコンサートの演奏だって。あの曲は大学ですごく人気があったらしい。
学内放送で冬の定番だったって。でも音源管理が厳しくて放送専用でCD化も絶対にしなくて、どれだけ頼んでも無理だったらしい。
でも、バレンタインコンサートの運営を偶然手伝うことになって、コンサート後にミュージックプレーヤーに入れたものを貰えたらしい」
「あら、その人良かったわね」
「でも、それをくれたやつ…女なんだけど、すごく自己中心的で高飛車で、そんな事することがその男には理解できなかったって言ってた。
だから、色々と調べたんだってさ、事の顛末を。そしたら彼女、とにかく主催者に一生懸命に頼み込んで、軽音楽同好会の責任者の了承も貰ってきて、
最終的にミス峰城大がそこまでするなら特別にって」
「ミス峰城大って…」
理奈の脳裏にある人物の顔が浮かんだ。あの娘もそういえばミス峰城大だったかしら…
「その男もあたしと同じで自分の気持ちに鈍いらしくって、その娘のことをいつの間にか好きになっていたことに気づいた時には話もしないくらいになってたって。
だから、この曲を聴くたびに自分の『届かない恋』を思って…だから手放せないって」
届かない恋…そう、いろんな人がこの歌を好きなのは、きっとその人に届かないけど大切な想いがあるから。理奈がそうであるように

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