雪菜Trueアフター「月への恋」第三十六話「夏と海とバンドと(9)」


8/5(火)朝 春希たちの泊部屋


 武也は寝ぼけ眼をこすり、春希に問いかけた。
「う〜、春希。今何時だ?」
「9時回ったぞ。チェックアウト10時だし早く飯食って帰り仕度しろ」
「ん〜。だりぃ。孝宏君は?」
「『だれとく』のメンツと朝からひと泳ぎしている」
「若いねぇ…」
「孝宏君が各部屋に朝飯置いてった。軽いから食っとけ」
 テーブルの上には、小さなココット皿にベリーソースのかかった可愛らしいパンプディングが置いてあった。
「そういや、孝宏君も今日から彼女持ちか。じゃ、帰りはやっぱりあそこに寄るか」
「どこだ?」
「昨日も行った所だよ」



恋人岬


 チェックアウトを済ませた一同が向かったのは、昨日海から結婚式を見た恋人岬だった。
「まさか、孝宏君とこの岬の話をした時はこんなことになるとは思ってなかったなぁ」
 武也にからかわれ、孝宏が照れて言い返す。
「やめてくださいよ、飯塚さん」
 孝宏が発行してもらったばかりの「恋人証明書」を手に、亜子と恥ずかしそうに顔を赤らめる。絵に描いたような初々しいカップルだった。

 武也と依緒も自分たちの証明書の発行を待っている。
 岬の先端の方では春希と雪菜が、昨日の結婚式でも鳴らされていた『愛の鐘』を鳴らしている。
 それを見てかずさは盛大な溜め息をついた。
「やれやれ…付き合いとは言え、何が悲しくて独り身でこんなカップルだらけの場所に…」
 千晶がそれにツッコミを入れる。
「何言ってるの。そのカップルを昨日一組増やした人間が」
「う、そうだったな」
 かずさが焚き付けなければ昨夜の亜子の告白はなかっただろう。

「まあ、世のため人のためさ」
 かずさは自嘲気味にそう言ったが、千晶はワザとかずさを煽るように言う。
「何言ってるの。そんなの完全に自己満足じゃん」
「そうかな? かなりお似合いカップルに見えるがな」
 虚を突かれたかずさに千晶がからかうように畳みかける。
「実は孝宏君には密かに想い寄せつつも話しかけられないでいる孤高の女がいて、でもって孤高の女も孝宏君を憎からず想いつつお互い話しかけられないでいたのが、亜子ちゃんの告白でその想いが永遠に断ち切られることになってしまった、とか、もしかしてあったらどうするの?」
「うっ…!」

 しばらくの沈黙の後に、かずさはようやく言葉を返した。
「…そんなの互いに告白しないのが悪い」
「はい、回答開始に要したイントロ時間17秒。意気地なしな子が逃げ出しちゃうには十分な時間かな? それとも再チャレンジしてみる気?」
「千晶、貴様…」

 かずさは手を伸ばし、千晶の右胸をつねる。
「痛っ! いたたたっ!」
 大げさに痛がるフリをする千晶にかずさは言葉をぶつけた。
「自分が諦めた舞台を煽って人に踏ませようとするな。この大根役者」
「!」
 千晶の顔が苦痛に歪んだ。

「面白がって観客のフリでもしてろ。どんな舞台を踏み、どんな舞台から降りるかはわたしが決める」
 かずさはもう片手の指を上に向けて続けて言った。
「共演者はありがたいが、脚本家は間に合ってる。観客なら黙って見てろ」
 かずさはそう言って手を離すと、春希と雪菜の方に歩き去った。

「ちぇ。痛いよ、かずさ」
 千晶は左胸を押さえてそうつぶやいた。




 愛の鐘の展望台から遊歩道を通ってばらばらと駐車場へと戻る際に、遊歩道の脇の別の展望台にいる老夫婦がかずさの目に留まった。
「ん? あれは?」
 見ると、老夫婦は二人で鐘を鳴らしている。愛の鐘とは違ってやや目立たない展望位置にあるが立派な鐘だった。

「すいません。そちらの鐘は何ですか?」
 かずさの問いに老夫婦が答える。
「ああ、これは『金の鐘』ですよ」
「『金の鐘』?」
「そう、向こうの愛の鐘は愛が実る。こちらの金の鐘は懐が実る。わしら夫婦、しがない商売をしとりますもんでな」
「ははは、そうですか。ありがとうございます。じゃあ私も鳴らそうかな」

 そう言ってかずさは鐘の側に寄ったが、ふと立ち止まり、振り返った。
「なあ、雪菜、春希」
「なんだ?」
「わたしの為に一緒に鳴らしてくれないか?」
「おやすい御用で」
「いいよ、かずさ」

 3人は鐘の両脇に立った。
「何回鳴らせばいいんだ?」
「向こうと同じでいいんじゃない?」
「じゃ、3回だね」
 3人は祈りを込めて高らかに鐘を鳴らした。
「かずさのCDがたくさん売れますように!」
 かーん
「かずさのピアノがもっとたくさんの人に聞いてもらえるように」
 かーん
「貧乏物書き君がわたしの記事でぼろ儲けできますように」
 かーん

 ちょっと遅れて後ろからついてきていた小春たちがその鐘の音を聞き、展望台にやってきた。
 小春はかずさたちが3人で鐘を鳴らしているのを見て、目を丸くした。
「ちょ、ちょっと!? 雪菜さん!? 3人で鳴らしちゃったんですか?」
「ああ、かずさの商売繁盛祈って。おれら2人ともかずさのおかげで稼がせてもらってるし」
「今度のCDもナイツから出るもんね」

 そんな様子の春希たちを見て、小春は引きつった笑みを浮かべた。
 春希たちがどんな勘違いをしたか小春は理解したが、真相を伝えることはできなかった。
 『金の鐘』はグアム島の恋人岬の『銀の鐘』を対をなす鐘で、『愛の鐘』と同じく愛の成就を祈って鳴らす鐘だ。名前で誤解される事があるが、金運上昇の鐘などではない。
「はは、そうでしたか…」
「? 杉浦たちも鳴らして行けば?」
「はは、そうですね…」

 後ろで話を聞いていた亜子がそれを聞いて孝宏に言った。
「私の家も自営だし、鳴らして行こうかな。ねえ、小木曽君。一緒に鳴らそ」
「おやすい御用で」
 小春はこわばった声であいづちをうった。
「そうだね、鳴らしていった方がいいよ…2人で」
 そこへ早百合も加わる。
「おー、仲の良いことで。小春、わたしたちも鳴らしてくか」
「…そ、そうだね」
 もはや真相を伝えて断る事すらできない。

 美穂子は小春にだけ聞こえるようにそっと言った。
「わたしは遠慮しとくよ。…この鐘の由来、昨日小春ちゃんから聞いたし」
「………」




 恋人岬の駐車場近くのレストハウスで昼食をとった後は、11人は3台の車に別れて東京への帰路につくことになった。

 早百合と孝宏が借り物のワゴンを運転して『だれとく』一同を乗せる。あとは、依緒の軽と武也のコンパクトだ。
 依緒が雪菜と春希を乗せる。そこで春希がかずさに聞く。
「なあ、かずさもこちらに乗ってくか?」
「遠慮するよ。こちらの車を部長と千晶の2人きりにできないだろ」
 そう言って、かずさは武也のコンパクトに乗り込む。
「あ、春希、雪菜、依緒」
「なんだい?」
「なに? かずさ?」
「なあに?」
「楽しかった、またな」
「ああ、また」
「うん! またね」
「じゃあまたね」

 各車に別れての帰路、最も騒がしかったのは『だれとく』のワゴンだった。
「♪ ワゴ〜ンマスタ〜、日暮れだ星空だ〜 ♪」
「ねえねえ、この歌の歌詞って、絶対結婚式間に合ってないよね」
「ははは、そうだよねぇ」
「ふたりの結婚式には絶対呼んでよね」
「ぶっ…おまえらな…」
「ほらほら、運転手は黙って運転」
「へいへい」
「ねえねえ、次はこのCDかけて」
「いいよ〜」
 新しく生まれたカップルを生暖かく包んで『だれとく』ワゴンは走っていった。

 依緒の車の中では、春希と雪菜が依緒と話をしていた。
「武也くんとも仲悪くないみたいで良かったね、依緒」
「うん、そうだね」
 依緒は満更でもない表情で答えた。助手席には発行したばかりの「恋人証明書」が置いてあった。
「本当、ゆっくりだけど、仲直りできたよ。みんなのおかげかな」
「みんな?」
「そう、みんな。高校入ったばかりの頃、本当に武也と縁切りになりそうだった時は春希がお節介してくれたし、和泉さんやかずさはこないだの仲直りをお膳立てしてくれた」
 そう言って依緒は少しだけ伸び始めたうなじをいじった。
「あはは、わたしだけ何もしてないね」
 依緒はそういう雪菜に答える。
「いや。雪菜も役に立ってくれたよ」
「わたしが? 何かしてあげられた? 何?」
「長い間春希と仲違いしてくれていたおかげで、わたしと武也が会ういいネタになってくれていた」
「…っ!」
「っ! もう! 依緒ったら!」
 ゆっくりと走る軽自動車の中にはゆっくりと回り始めた時間があった。

 武也の車の方では、帰路についてしばらくしてかずさの携帯に電話があった。
「はい、もしもし。はい、美代子さん、何?
 …え? その予定? うん、空けてよ。
 何? 空かない? ちょっと、私が先に…
 あ、ゴメン。 私が悪いのか。…いずれにせよ、今帰りの車だし、帰ってからで」
 かずさはそう言って電話を切った。
 一緒の車の武也と千晶が心配そうに声をかけた。
「なんかトラブってたみたいだけど大丈夫?」
「良ければ車、事務所の方に回そうか?」
 かずさは少し遠慮がちに答えた。
「ああ、すまない部長…じゃあ、事務所の方へ」

 かずさは都内の冬馬曜子オフィスの方に車を回してもらい、武也たちとビル前で別れた。
 かずさはイラついた様子でオフィスのドアを開くと、強い口調で抗議の声を上げた。
「母さん、美代子さん。雪菜たちの結婚式の日が空かないってどういう事さ?」



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