10 千晶の襲撃 ／ 2015年３月上旬
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ushigara_neko 2015年06月22日(月) 14:09:38履歴
帰国してから、春希は飯塚武也に会った。御宿で会って、例の居酒屋で飲んだ。
二年前の決別の日、武也は春希を軽蔑する、と言った。
しかし、再会した武也は、春希を一言も責めなかった。
本当に今でも「親友」なら、嫌なことを一番に言ってくれるはずではないのか。
春希にしてみれば、「どの面下げて帰って来た」と怒鳴りちらされた方が、救われた。
嫌な思いをさせたことを、謝りたかった。雪菜の側にいてくれて、「ありがとう」と言いたかった。
だが、武也は、春希を責めなかった。その代わり、未だに腹を割って話す、というところには到底行き着かない。当たり障りの無い昔話も、三人のことを抜いて話題を作るのは、それだけで不自然だ。笑っていても、武也の目は、笑っていない。お互いに緊張しているんだろうと、思う。
昔のような人間関係が取り戻せる、等という甘い考えは持っていなかったにせよ、春希にはやはり、少々、苦い感覚が積もっていった。
…………。
一方、かずさは、開き直っていた。
……少なくとも、そうしようと思っているように見える。
こういう時は、女の方が強い、と春希は思う。
それに、かずさは基本的に、春希のことしか考えていない。そして雪菜との関係が、どういう形かは分からないが、彼女の腑に落ちている以上、その他の人間関係は、気にする必要のないものなのだろう。
�爐任癲∨榲�にそれで大丈夫なのか？��
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
「それで、今日の打合せはもう終わり？」
その日の朝9時、岩津町の自宅で、かずさと春希は、ナイツ・レコード担当者と、雪菜、かずさ、それぞれのCD制作に関して、初めて打合せを行った。
「いや、まだ一件、美代子さんからどうしても受けてくれと頼まれたインタビューがある」
「春希、勝手にやっといて。練習の開始時間が遅くなると、就寝時間に影響して、お楽しみの時間が減る」
「午前中から何言ってんの」
「だって、そうなんだもーん」
「可愛くない」�牴聴Δき�
「ふんっ」
「同席だけでもお願いしたいんだって。あ、来たかな」
やって来たのは、量の多いセミロングの黒髪を両サイドに三つ編みにして垂らし、黒縁の分厚いメガネをかけた女性だった。前髪のせいで表情は伺えない。しっかりと着込んだ紺のスーツは膝丈で、背中にリュックを背負っていた。
「初めまして」
その女性は、頭のてっぺんから出る超音波のような声で挨拶し、不器用な手つきで名刺を差し出した。
「お、お待ちしていました。えっと、タウン誌『ミルディン』の、希亜水、知良さんでしたね」
「お忙しい中、恐れ入ります」
�牴供△海寮雫貅蠅性�
…………。
「冬馬かずさだ。で、今日はどんな話を聞きたいの」
「そうですね……、冬馬さんと北原さんは峰城大付高等部出身とお伺いしていますが、界隈のオススメのお店を教えて下さい」
「『グッディーズ南末次店』と『南末次駅前☆Burger』だね。はい終了っと」
「ちょっと待て。全部チェーン店じゃないか」
「だって、あたし外食しないし、付属時代も家政婦の柴田さんが作ってくれるか、コンビニで適当に買って済ますかしか、したことないし」
「では、最近食べた美味しい料理はなんですか」
「最近、夫の創作料理しか食べてないから、美味しい料理なんぞにありつけたことがない」
「お前、喧嘩売ってんのか」
「といことで、はい終了っと」
「じゃあ、最後の質問です」
「何？」
「小木曽雪菜さんとは、仲良くやってますか」
「なん、だと……」
「あー、あっつ、春希、この部屋、暖房効き過ぎだよ」
そういうと、�爐�あみず ちい�瓩藁�ち上がり、スカートのファスナーを降ろした。
「な、何してるんですか」
「何って、あたしは何時も、こんな格好っしょ」
スカートの下には、デニムの短パン。
ジャケットとシャツを脱ぎ捨てた下は、ライトグリーンの部屋着キャミで、豊か過ぎる胸が揺れた。
「君は……」
そして、眼鏡とかつらをとった下には、大学三回生の一時期、春希の生活を引っ掻き回した、友人の顔があった。
「ハロ〜、春希ぃ、元気だったか〜」
人懐っこい柔らかで心地よい低い声、そして、笑っているようで、真意の解らない瞳。
「和泉千晶……」
「千晶ぃ？」かずさが二人を交互に睨んだ。
本名、和泉千晶。
女優、脚本家としての芸名、瀬之内晶。
…………。
かずさと春希が、ウィーン国際空港まで、雪菜、曜子、美代子、高柳医師の帰国を見送った時、別れ際に曜子から、雪菜のデビュー・シングル『優しい嘘』を手渡された。
その帯には、当然の如く「ドラマ『届かない恋』エンディング・テーマ」と書かれており、驚く二人を尻目に、曜子はゲートの向こうに消えた。
そして、Sバーンで帰る途中、iPhoneで検索し、ようやく知った。
前年末の秋クール、冬馬曜子オフィスの全面協力により、自分たち三人の関係が、瀬之内晶という新進気鋭の天才脚本家によってドラマ化されていたことを。
春希は改めて認めた。雪菜と友達への自責の念から、自分が如何に日本の情報から逃げ回って来たのかを。
二人は、オン・デマンド配信のデータを探したが存在せず、東亜テレビのホームページで概要をチェックした。当然、かずさは激怒した。
春希は、西御宿のオフィスへ最初の出勤日、美代子からドラマ『届かない恋』の白箱Blu-Ray全巻を渡された。
持って帰って説明した時、かずさの怒りは全く収まっておらず、強い嵐が吹き荒れた。
しかし、その怒りの行方は、雪菜のCDを聴いた時と同じような結末を迎えた。ドラマを見進めるにつれ、共感から戸惑いが生まれ、感情移入し、作品を認め、最後は感動になって終わった。かずさは、自分の物語上の名前である榛名を演じた、橋○愛という高校生女優のツンデレ演技にすっかり魅了され、悶絶していた。
強がったり、怒ったり、泣いたり、笑ったり……。全く、春希はかずさという人間の感情の豊かさに驚かされ、その性格の可愛さに惚れ直すばかりだった。
そして二人は、脚本家の瀬之内晶をwikipediaで検索し、それが和泉千晶と同一人物であることを知った。
…………。
「うわー、間近で見る冬馬かずさは、やっぱり美しいなあ。眼福眼福」
「しょっぱなから呼び捨てとは失礼な奴だな」
「付属の頃から遠目に見ても恐ろしく美人だったけど、なんかもう、神がかった美しさになってきたね」
「付属時代のあたしを知ってるのか」
「和泉は、お前が三年の時、常にテストのワースト10を争っていた瀬能千晶と同一人物、だよ」
「春希、それを言うなら、峰城大付高等部の二大有名人、全国コンクール常連の天才ピアニストと、全国コンクール常連の演劇部部長で天才女優兼脚本家と言ってよね。
あ、そうそう。大学に入ってから母親の姓に変えたの」
「あたしは、お前のことなんか、知らない」
「うわ、なんと言う塩対応」
「俺も、付属時代の瀬能千晶と、大学時代の和泉千晶が同一人物だなんて知らなかったし、こいつが大学で瀬之内晶と言う芸名で演劇をやっていたなんて、知らなかった」
「あれだけヒントを与えていたのに、調べようとしない所が、春希の脇の甘さだよね。まあ、結局はあたしに興味が無かった、ってことなんだろうけど」
「おい、春希を呼び捨てにするな」
「いいじゃん。あたしと春希は大学時代の親友なんだよ〜」
「そうそう、三回生で転部した時、色々と世話をさせられたんだよ。一方的にたかられ、おごらされ……」
「時には味方、時には敵、恋人だったこともあったかな」
「……おい。嘘を言うな、嘘を」
「春希っ、お前は巨乳で美人なら、誰でも良いのかーっ」
「おっ、冬馬かずさに褒められた」
「だから、嘘だ嘘っ。和泉は、冗談でできてるような奴なんだよっ」
「千晶、とか言ったな。……冗談なんだよな」
「……そうそう、冗談、冗談。でも、数回部屋に泊まったのは事実だし、酒飲んでたから、何か間違いがあっても記憶に無いだけかもしれないね〜」
「春希ぃ」
「無い……。絶対に無い……。無いんじゃないかな……。いや、無い、無いって」
春希は自信無げに答える。
「あはははは。そうそう、それも冗談だよ」
「本当、だな」
「ホントホント、冗談というのがホント。あたしは何度となく迫ったのに、全く反応なしだったよ」
「迫るなよ！」
「あ〜あ。二人は熱々だね〜。そうか、二人の間には、もう雪菜は割り込む余地なしか。雪菜派のあたしとしては、ちょっと心残りだね〜」
「……和泉」
「やっぱりそうか……。ドラマのラストを観て、雪菜贔屓だと思ったよ」
「あたしは、冬馬さんのこと、よく知らなかったからね。CDとBlu-Rayは全部持ってるし、春希の書いた記事は、空で全文言える程、読み込んだけど。
でも、やっぱり冬馬かずさという人物が良く分からなかったんだよね。だから、あの脚本を補完するためにも、少し話を訊かせてもらって良いかな？」
「円盤、お買い上げありがとうございます。だが断る」と春希は言い放つ。
「うっわ〜。それがレポート提出のために一緒に頑張ってやった親友に言う言葉かよ〜」
「そのレポートはお前のだろう。第一、お前は親友じゃない。悪友が良い所だ。さあ、帰れ」と春希はつれない。
「えー、あたしは親友だと思っていたのに。傷つくな〜」
「さて、春希」かずさは手をパンパンと鳴らす。
「……何だ」
「小芝居はそこまでだ」
「そうだな。和泉、貢ぎ物はあるか？」
「クラブハリエのバームクーヘンでどう？」
千晶はリュックから取り出す。
「ありがとう。丁度糖分が切れて来たところだよ。千晶、さん」
「久しぶりだな、和泉」
「二人とも、千晶でいいよ」
「良い、のか？」
「なんであたしじゃなくて冬馬さんに尋ねるの」
「良いよ。その代わり、絶対に二人っきりでは会うなよ」
「ありゃ、背徳の熱い夜を共に過ごせると思ってたのに釘刺されちゃったよ」
「かずさ……、なんで千晶じゃなくて、俺を睨むんだよ」
「はぁ、まあ良いか……。
えっと、『開桜グラフ』の脚本家・瀬之内晶インタビュー、読ませてもらった。
……率直に言って、感謝している」
「うわ、誉められるとは思ってなかった」
「お前もうちの東京事務所とグルだったことについては、いささか言いたいこともあるが……」
「わはは。春希がこの二年間、冬馬さんのことしか見てなかったのが悪いんだよ。春希は、女を舐めすぎだよ」
春希は、曜子と同じことを言われた。
「その意味は、あたしにはよく分からないが……」
かずさは少し身を乗り出す。
「俺は、雪菜を軽視したことはない」
春希は言いにくそうに言う。
「それはまあ、おいおい、雪菜が態度で教えてくれるでしょう」
「……まあ、このざまだ。この前からあたし達は、雪菜に連敗中なんだよ。
二年も雪菜から逃げて、日本から逃げて……。何も知らなかったと言う訳さ。
あたしは雪菜を舐めてた訳じゃないけど、でも、こんな風にもう一度関わることになるとは、全く予想していなかったしね。衝撃的だった。
まあ、もう何があっても驚かないというか、ホント、あたしも段々、開き直るしかない気がしてきたよ」
「そうやって素直に気持ちを話せるところが良いんだよ。
あんだけ気合いの入った作品を聴かされたら、体面取り繕っても得ることはないからね。
春希は、そこんとこ、冬馬さんと同じくらい、分かってるの？」
「正直なところ、未だに戸惑ってる」
「まあ、大丈夫だよ。誠実でありさえすれば、あんた達の愛と青春と友情のストーリーは、まだまだ終わらないよ」
…………。
春希は以前と変わらない千晶との会話にほっとしていた。
雪菜に言わせれば、「雪菜に近づいた長瀬晶子」も、「春希に纏わり付いた和泉千晶」も、「劇団ウァトスの瀬之内晶」も全部別人格で、役に過ぎない、らしい。
今だって絶賛演技中かもしれない。
だが、「�爐匹Δ賛祐屬犬磴覆い發鵝Ｌ鮗圓世發鶚瓩箸いΤ笋砲蓮△錣燭恵�には優しいのよね」と雪菜は言った。
それに、芝居が一流ならば、こっちが乗せられれば良いだけだと考えていた。
というのは、二人とも、昨年11月下旬、ドラマ化に合わせて『開桜グラフ』に掲載された、ドラマ『届かない恋』に関する、瀬之内晶＝和泉千晶による長いインタビューを読んでいたからだ。
春希の開桜社時代の先輩、風岡麻理が聞き手と編集を担当した、そのインタビュー記事は、それが雪菜、かずさ、春希の物語であるとは名言しないものの、実際の物語の要点と、その分岐点で生じた個別の問題を、「純愛」という視点から解釈した上で、分かりやすく解説していた。
「このラヴ・ストーリーには、モデルがあるのですが、大人の打算、妥協が全く存在しない点が魅力です。
三人とも一生懸命で、内気で、誠実で、恋愛にとことん不器用で、親友を思う気持ちと愛憎により心を切り裂かれ、それでも真っ正面から悩んで傷ついて、血を吐きながら、抉られながら、一人と、一人と、一人に別れた」
「三角関係自体は、ありふれたSituationですよね」
「そうですね。でも、彼らは『失われた若者たち』なのです」
「それはどういう意味ですか」
「現在の日本は、誰もが早くから大人になることを、男になることを、女になることを社会的に強要され、甘酸っぱい記憶を持つことさえ許されない状況です」
「確かに」
「そんな状況の中で、打算、妥協をせず、痛々しくも決意を持って進む若者の姿が、純真さが、私の心を打ちましたし、視聴者の心を引っ掻くと思います」
「脚本を書くにあたって、苦労した点は何でしたか」
「あの躍動感と瑞々しさを保持しつつ、その純真さをどう脚本の中に落として行くか、その点を心がけました」
「このお話は、完結しているのでしょうか」
「いいえ。ドラマの結論は、途中経過に過ぎません。
その後、彼らは社会人となり、ラヴ・ストーリーとしては決定的とも言える選択が行われました。まあ、そこから先は、ひょっとしたら、大人のドロドロの三角関係に発展するかもしれません」
「バブルの頃は、そんなテレビ・ドラマがありましたが」
「でも私は、それを書く気はありません。
そんな陳腐で汚い物語を書く気にならないのです。私は、美しい物語にしか興味はありません。ですから私は、彼らが、試練を乗り越えて、美しい新しい物話を紡いでくれることを願っています」
そのインタビューを読んで、かずさと春希の心は、少し救われた。二人は、その記事の中に、千晶の誠実を見た。
だから、易々と千晶の侵入を許したのだ。
…………。
「どうだった。あたしの書いたドラマは」
「……橋○愛ちゃんが可愛かった」
「わはは。あんたね……」
千晶が突っ込もうとした瞬間、かずさは言った。
「あたしは、あんなに素直じゃなかった。あんなに美しくはなかった……。
あたしがもし、高三の夏休みに春希に告白していれば。
付属学園祭のライヴの後、しっかり告白していれば。
ウィーンに旅立つ前、春希とお互いの気持ちを確認した後、雪菜に二人で土下座して謝って認めてもらえば。
そうすれば、話はあんなにこじれなかった」
「それじゃ、物語にならないよ」と、千晶は言う。
「その後だって、機会はあったんだ。
母さんの来日年越しコンサートの日に春希に電話して、しっかり気持ちを伝えていれば……。
でもあたしは、春希を手に入れたいと思う気持ちと同じくらい、傷つくのが怖かった。
だから、母さんの病気のことを知って、あたしの人生の目標の半分が無くなった時、本当に春希が手の届かない存在になったらどうしようかって、激しく動揺して、春希を揺さぶって、春希に罪を被せて、雪菜から春希を引きちぎって、二人を深く傷つけ、奪ったんだ。
雪菜を傷つけたのは、全てあたしの自己保身の結果だ。
全部、あたしが悪い。
雪菜は何時も、自分から春希を求めたのに……。
あたしは、ずるいよ」
「かずさ……。俺が決めたことだ。雪菜を傷つけたのは、俺だよ」
「雪菜だって」千晶は、静かに話す。「今でも、悪いのは、汚いのは自分だって、後悔してる」
「雪菜は、悪くない……。あたしが、あいつの幸せを妬んだから、憎んだから。あたしこそ、汚いよ」
「でも、冬馬さんは、あの最悪のタイミングでしか、春希を得ることはできなかった、と、あたしは思ってる」
「そうかもね。あたしも、何度も考えた。
雪菜がいなかったら、ひょっとしたら、あたし達は穏やかに幸せを手に入れたかもしれない。
けれど、雪菜がいなかったら、雪菜が春希と会わなければ、あたしと春希はお互いの気持ちを確かめもせず、卒業と共に別れ別れになっていたんじゃないか、とも思う」
「その通りじゃないかな。雪菜があなた達に出会わなければ、あなた達三人の人間関係は、何も進展しなかったと思うよ。
春希、七年前、冬馬さんを見送りに、雪菜と一緒に成田エクスプレスに乗ったっしょ」
「ああ」
「その時、雪菜に『あの夕暮れの屋上で、出会わなければ良かったのかな』と訊かれて、『雪菜に出会わなかった未来なんて、絶対に嫌だよ』と言ったっしょ」
「ああ、言った」
かずさは、春希を見つめる。
「その言葉は、あの時によりもっと大きな存在感で、俺の心の中にある。雪菜に出会わなければ、俺は本当の俺を生きてはいなかった。かずさと本当には出会うことはなかった、と思う。だから、雪菜には、本当に感謝している。
こんなこと、雪菜には直接、言えないけれど」
「雪菜はあの言葉、大切にしているよ。どんなに傷つくことがあっても、冬馬さんと春希に出会えたこと自体は、自分にとって幸せなこと、なんだって。自分の誇り、なんだって。
あたしが雪菜派なのは、あの子のそういうところが好きだから、なんだけど……。
おっと、何。知らなかった……。冬馬かずさって、泣き虫なんだな」
やっぱり、かずさは泣いていた。
「うるさい。……それに呼び捨てにするな」
「はいはい。じゃ、時々かずさ派になってあげるから、かずさって、呼び捨てにする許可をくれるかな」
「……勝手にしろ」
「なんて可愛い生き物……。お姉さん、めっちゃ萌えるわ〜」
「可愛いだろ。無駄に突っ張ってばかりでクールに見えるけど、ホントは激情家なんだ」
「春希、うるさい」かずさはクッションを春希に投げる。
「わはは。誰も惚気ろとは言ってないぞ。ホント春希は嫌な奴だね」
言葉に刺はあるが、千晶の目は誠実だった。
「どう？
あたしなら、今みたいに、かずさと、雪菜と、春希の物語……、そうだな、あなた達の結婚に至るまでの最終章、CODAについて、話せるんじゃない？」
「また、脚本にするのか」
かずさは、未だ乾かない瞳で、じとっと見つめる。
「あたしは芝居バカだよ。人生の全てがネタなんだ。訊くだけ野暮だよ。
でもね、ゴシップ記者じゃないんだ。美しくない物語は書かないんだよ」
「それは、分かってる」と春希はつぶやく。
「だが、かずさが傷つくのは困る」
「あたしは良いんだ。一生、雪菜に負い目を感じて生きて行くという覚悟はしている。でも、春希はもう十分謝ったし、十分傷ついたんだ。だから……」
「はいはい。二人とも間違ってる」
「え……」
「第一に、雪菜とあたしは、あなた達を傷つけるつもりはない。
第二に、あなた達、お互いを甘やかし過ぎ。
自分の中の真実を見つめる時、傷に触ることはあるよ。
でも、放っといても、傷は直らないよ。あんた達三人の心の傷には、恐らく、時間薬は効かない」
「…………」
「手続的には、あなた達の話を脚本にする場合は、冬馬曜子オフィスを通すことになっているんだ。
それとね、あなた達三人は、あたしにとって既にネタ以上の愛すべき対象なんだ。
あたしは、あなた達の熱狂的なファン、なのさ。
それこそ、あたしの役者人生を狂わされたからね。
ミイラ盗りがミイラになっちゃって、ホントは不本意なんだけど、好きになってしまったから、仕方ないね。
どう、まだ不安？」
「春希、どう思う……」
「ふうー」春希はため息をついた。
「分かったよ。よろしく頼む」
「時々家に遊びに行かせてもらうから、その時に、そっちのペースで良いから、ゆっくり話を聴かせてもらうということでどうかな？
お礼は春希の作るジャワ・カレーで良いからね〜」
……これ程のストーリー・テラーに客観的に見てもらえるなら、自分たちの抱えている問題をゆっくり解きほぐしていけるかもしれない、と春希は考えた。
ただし、気になる点がある。
「俺たちから聴いた話は、いずれ雪菜も目を通すことになるだろうけど、許可するまでは、千晶の手元で秘密にしておいてもらえるか」
「良いよ。焦る類いの話じゃないからね」
「じゃあ、春希の悪友さん、気にせず家に遊びに来てくれ」と、かずさは言った。
「一応、恋人でないなら、親友のつもりなんだけどね」
千晶は落ち着いた目をして、再度、低く言った。
目次 ／ 前回 ／ 続き
♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡
二年前の決別の日、武也は春希を軽蔑する、と言った。
しかし、再会した武也は、春希を一言も責めなかった。
本当に今でも「親友」なら、嫌なことを一番に言ってくれるはずではないのか。
春希にしてみれば、「どの面下げて帰って来た」と怒鳴りちらされた方が、救われた。
嫌な思いをさせたことを、謝りたかった。雪菜の側にいてくれて、「ありがとう」と言いたかった。
だが、武也は、春希を責めなかった。その代わり、未だに腹を割って話す、というところには到底行き着かない。当たり障りの無い昔話も、三人のことを抜いて話題を作るのは、それだけで不自然だ。笑っていても、武也の目は、笑っていない。お互いに緊張しているんだろうと、思う。
昔のような人間関係が取り戻せる、等という甘い考えは持っていなかったにせよ、春希にはやはり、少々、苦い感覚が積もっていった。
…………。
一方、かずさは、開き直っていた。
……少なくとも、そうしようと思っているように見える。
こういう時は、女の方が強い、と春希は思う。
それに、かずさは基本的に、春希のことしか考えていない。そして雪菜との関係が、どういう形かは分からないが、彼女の腑に落ちている以上、その他の人間関係は、気にする必要のないものなのだろう。
�爐任癲∨榲�にそれで大丈夫なのか？��
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
「それで、今日の打合せはもう終わり？」
その日の朝9時、岩津町の自宅で、かずさと春希は、ナイツ・レコード担当者と、雪菜、かずさ、それぞれのCD制作に関して、初めて打合せを行った。
「いや、まだ一件、美代子さんからどうしても受けてくれと頼まれたインタビューがある」
「春希、勝手にやっといて。練習の開始時間が遅くなると、就寝時間に影響して、お楽しみの時間が減る」
「午前中から何言ってんの」
「だって、そうなんだもーん」
「可愛くない」�牴聴Δき�
「ふんっ」
「同席だけでもお願いしたいんだって。あ、来たかな」
やって来たのは、量の多いセミロングの黒髪を両サイドに三つ編みにして垂らし、黒縁の分厚いメガネをかけた女性だった。前髪のせいで表情は伺えない。しっかりと着込んだ紺のスーツは膝丈で、背中にリュックを背負っていた。
「初めまして」
その女性は、頭のてっぺんから出る超音波のような声で挨拶し、不器用な手つきで名刺を差し出した。
「お、お待ちしていました。えっと、タウン誌『ミルディン』の、希亜水、知良さんでしたね」
「お忙しい中、恐れ入ります」
�牴供△海寮雫貅蠅性�
…………。
「冬馬かずさだ。で、今日はどんな話を聞きたいの」
「そうですね……、冬馬さんと北原さんは峰城大付高等部出身とお伺いしていますが、界隈のオススメのお店を教えて下さい」
「『グッディーズ南末次店』と『南末次駅前☆Burger』だね。はい終了っと」
「ちょっと待て。全部チェーン店じゃないか」
「だって、あたし外食しないし、付属時代も家政婦の柴田さんが作ってくれるか、コンビニで適当に買って済ますかしか、したことないし」
「では、最近食べた美味しい料理はなんですか」
「最近、夫の創作料理しか食べてないから、美味しい料理なんぞにありつけたことがない」
「お前、喧嘩売ってんのか」
「といことで、はい終了っと」
「じゃあ、最後の質問です」
「何？」
「小木曽雪菜さんとは、仲良くやってますか」
「なん、だと……」
「あー、あっつ、春希、この部屋、暖房効き過ぎだよ」
そういうと、�爐�あみず ちい�瓩藁�ち上がり、スカートのファスナーを降ろした。
「な、何してるんですか」
「何って、あたしは何時も、こんな格好っしょ」
スカートの下には、デニムの短パン。
ジャケットとシャツを脱ぎ捨てた下は、ライトグリーンの部屋着キャミで、豊か過ぎる胸が揺れた。
「君は……」
そして、眼鏡とかつらをとった下には、大学三回生の一時期、春希の生活を引っ掻き回した、友人の顔があった。
「ハロ〜、春希ぃ、元気だったか〜」
人懐っこい柔らかで心地よい低い声、そして、笑っているようで、真意の解らない瞳。
「和泉千晶……」
「千晶ぃ？」かずさが二人を交互に睨んだ。
本名、和泉千晶。
女優、脚本家としての芸名、瀬之内晶。
…………。
かずさと春希が、ウィーン国際空港まで、雪菜、曜子、美代子、高柳医師の帰国を見送った時、別れ際に曜子から、雪菜のデビュー・シングル『優しい嘘』を手渡された。
その帯には、当然の如く「ドラマ『届かない恋』エンディング・テーマ」と書かれており、驚く二人を尻目に、曜子はゲートの向こうに消えた。
そして、Sバーンで帰る途中、iPhoneで検索し、ようやく知った。
前年末の秋クール、冬馬曜子オフィスの全面協力により、自分たち三人の関係が、瀬之内晶という新進気鋭の天才脚本家によってドラマ化されていたことを。
春希は改めて認めた。雪菜と友達への自責の念から、自分が如何に日本の情報から逃げ回って来たのかを。
二人は、オン・デマンド配信のデータを探したが存在せず、東亜テレビのホームページで概要をチェックした。当然、かずさは激怒した。
春希は、西御宿のオフィスへ最初の出勤日、美代子からドラマ『届かない恋』の白箱Blu-Ray全巻を渡された。
持って帰って説明した時、かずさの怒りは全く収まっておらず、強い嵐が吹き荒れた。
しかし、その怒りの行方は、雪菜のCDを聴いた時と同じような結末を迎えた。ドラマを見進めるにつれ、共感から戸惑いが生まれ、感情移入し、作品を認め、最後は感動になって終わった。かずさは、自分の物語上の名前である榛名を演じた、橋○愛という高校生女優のツンデレ演技にすっかり魅了され、悶絶していた。
強がったり、怒ったり、泣いたり、笑ったり……。全く、春希はかずさという人間の感情の豊かさに驚かされ、その性格の可愛さに惚れ直すばかりだった。
そして二人は、脚本家の瀬之内晶をwikipediaで検索し、それが和泉千晶と同一人物であることを知った。
…………。
「うわー、間近で見る冬馬かずさは、やっぱり美しいなあ。眼福眼福」
「しょっぱなから呼び捨てとは失礼な奴だな」
「付属の頃から遠目に見ても恐ろしく美人だったけど、なんかもう、神がかった美しさになってきたね」
「付属時代のあたしを知ってるのか」
「和泉は、お前が三年の時、常にテストのワースト10を争っていた瀬能千晶と同一人物、だよ」
「春希、それを言うなら、峰城大付高等部の二大有名人、全国コンクール常連の天才ピアニストと、全国コンクール常連の演劇部部長で天才女優兼脚本家と言ってよね。
あ、そうそう。大学に入ってから母親の姓に変えたの」
「あたしは、お前のことなんか、知らない」
「うわ、なんと言う塩対応」
「俺も、付属時代の瀬能千晶と、大学時代の和泉千晶が同一人物だなんて知らなかったし、こいつが大学で瀬之内晶と言う芸名で演劇をやっていたなんて、知らなかった」
「あれだけヒントを与えていたのに、調べようとしない所が、春希の脇の甘さだよね。まあ、結局はあたしに興味が無かった、ってことなんだろうけど」
「おい、春希を呼び捨てにするな」
「いいじゃん。あたしと春希は大学時代の親友なんだよ〜」
「そうそう、三回生で転部した時、色々と世話をさせられたんだよ。一方的にたかられ、おごらされ……」
「時には味方、時には敵、恋人だったこともあったかな」
「……おい。嘘を言うな、嘘を」
「春希っ、お前は巨乳で美人なら、誰でも良いのかーっ」
「おっ、冬馬かずさに褒められた」
「だから、嘘だ嘘っ。和泉は、冗談でできてるような奴なんだよっ」
「千晶、とか言ったな。……冗談なんだよな」
「……そうそう、冗談、冗談。でも、数回部屋に泊まったのは事実だし、酒飲んでたから、何か間違いがあっても記憶に無いだけかもしれないね〜」
「春希ぃ」
「無い……。絶対に無い……。無いんじゃないかな……。いや、無い、無いって」
春希は自信無げに答える。
「あはははは。そうそう、それも冗談だよ」
「本当、だな」
「ホントホント、冗談というのがホント。あたしは何度となく迫ったのに、全く反応なしだったよ」
「迫るなよ！」
「あ〜あ。二人は熱々だね〜。そうか、二人の間には、もう雪菜は割り込む余地なしか。雪菜派のあたしとしては、ちょっと心残りだね〜」
「……和泉」
「やっぱりそうか……。ドラマのラストを観て、雪菜贔屓だと思ったよ」
「あたしは、冬馬さんのこと、よく知らなかったからね。CDとBlu-Rayは全部持ってるし、春希の書いた記事は、空で全文言える程、読み込んだけど。
でも、やっぱり冬馬かずさという人物が良く分からなかったんだよね。だから、あの脚本を補完するためにも、少し話を訊かせてもらって良いかな？」
「円盤、お買い上げありがとうございます。だが断る」と春希は言い放つ。
「うっわ〜。それがレポート提出のために一緒に頑張ってやった親友に言う言葉かよ〜」
「そのレポートはお前のだろう。第一、お前は親友じゃない。悪友が良い所だ。さあ、帰れ」と春希はつれない。
「えー、あたしは親友だと思っていたのに。傷つくな〜」
「さて、春希」かずさは手をパンパンと鳴らす。
「……何だ」
「小芝居はそこまでだ」
「そうだな。和泉、貢ぎ物はあるか？」
「クラブハリエのバームクーヘンでどう？」
千晶はリュックから取り出す。
「ありがとう。丁度糖分が切れて来たところだよ。千晶、さん」
「久しぶりだな、和泉」
「二人とも、千晶でいいよ」
「良い、のか？」
「なんであたしじゃなくて冬馬さんに尋ねるの」
「良いよ。その代わり、絶対に二人っきりでは会うなよ」
「ありゃ、背徳の熱い夜を共に過ごせると思ってたのに釘刺されちゃったよ」
「かずさ……、なんで千晶じゃなくて、俺を睨むんだよ」
「はぁ、まあ良いか……。
えっと、『開桜グラフ』の脚本家・瀬之内晶インタビュー、読ませてもらった。
……率直に言って、感謝している」
「うわ、誉められるとは思ってなかった」
「お前もうちの東京事務所とグルだったことについては、いささか言いたいこともあるが……」
「わはは。春希がこの二年間、冬馬さんのことしか見てなかったのが悪いんだよ。春希は、女を舐めすぎだよ」
春希は、曜子と同じことを言われた。
「その意味は、あたしにはよく分からないが……」
かずさは少し身を乗り出す。
「俺は、雪菜を軽視したことはない」
春希は言いにくそうに言う。
「それはまあ、おいおい、雪菜が態度で教えてくれるでしょう」
「……まあ、このざまだ。この前からあたし達は、雪菜に連敗中なんだよ。
二年も雪菜から逃げて、日本から逃げて……。何も知らなかったと言う訳さ。
あたしは雪菜を舐めてた訳じゃないけど、でも、こんな風にもう一度関わることになるとは、全く予想していなかったしね。衝撃的だった。
まあ、もう何があっても驚かないというか、ホント、あたしも段々、開き直るしかない気がしてきたよ」
「そうやって素直に気持ちを話せるところが良いんだよ。
あんだけ気合いの入った作品を聴かされたら、体面取り繕っても得ることはないからね。
春希は、そこんとこ、冬馬さんと同じくらい、分かってるの？」
「正直なところ、未だに戸惑ってる」
「まあ、大丈夫だよ。誠実でありさえすれば、あんた達の愛と青春と友情のストーリーは、まだまだ終わらないよ」
…………。
春希は以前と変わらない千晶との会話にほっとしていた。
雪菜に言わせれば、「雪菜に近づいた長瀬晶子」も、「春希に纏わり付いた和泉千晶」も、「劇団ウァトスの瀬之内晶」も全部別人格で、役に過ぎない、らしい。
今だって絶賛演技中かもしれない。
だが、「�爐匹Δ賛祐屬犬磴覆い發鵝Ｌ鮗圓世發鶚瓩箸いΤ笋砲蓮△錣燭恵�には優しいのよね」と雪菜は言った。
それに、芝居が一流ならば、こっちが乗せられれば良いだけだと考えていた。
というのは、二人とも、昨年11月下旬、ドラマ化に合わせて『開桜グラフ』に掲載された、ドラマ『届かない恋』に関する、瀬之内晶＝和泉千晶による長いインタビューを読んでいたからだ。
春希の開桜社時代の先輩、風岡麻理が聞き手と編集を担当した、そのインタビュー記事は、それが雪菜、かずさ、春希の物語であるとは名言しないものの、実際の物語の要点と、その分岐点で生じた個別の問題を、「純愛」という視点から解釈した上で、分かりやすく解説していた。
「このラヴ・ストーリーには、モデルがあるのですが、大人の打算、妥協が全く存在しない点が魅力です。
三人とも一生懸命で、内気で、誠実で、恋愛にとことん不器用で、親友を思う気持ちと愛憎により心を切り裂かれ、それでも真っ正面から悩んで傷ついて、血を吐きながら、抉られながら、一人と、一人と、一人に別れた」
「三角関係自体は、ありふれたSituationですよね」
「そうですね。でも、彼らは『失われた若者たち』なのです」
「それはどういう意味ですか」
「現在の日本は、誰もが早くから大人になることを、男になることを、女になることを社会的に強要され、甘酸っぱい記憶を持つことさえ許されない状況です」
「確かに」
「そんな状況の中で、打算、妥協をせず、痛々しくも決意を持って進む若者の姿が、純真さが、私の心を打ちましたし、視聴者の心を引っ掻くと思います」
「脚本を書くにあたって、苦労した点は何でしたか」
「あの躍動感と瑞々しさを保持しつつ、その純真さをどう脚本の中に落として行くか、その点を心がけました」
「このお話は、完結しているのでしょうか」
「いいえ。ドラマの結論は、途中経過に過ぎません。
その後、彼らは社会人となり、ラヴ・ストーリーとしては決定的とも言える選択が行われました。まあ、そこから先は、ひょっとしたら、大人のドロドロの三角関係に発展するかもしれません」
「バブルの頃は、そんなテレビ・ドラマがありましたが」
「でも私は、それを書く気はありません。
そんな陳腐で汚い物語を書く気にならないのです。私は、美しい物語にしか興味はありません。ですから私は、彼らが、試練を乗り越えて、美しい新しい物話を紡いでくれることを願っています」
そのインタビューを読んで、かずさと春希の心は、少し救われた。二人は、その記事の中に、千晶の誠実を見た。
だから、易々と千晶の侵入を許したのだ。
…………。
「どうだった。あたしの書いたドラマは」
「……橋○愛ちゃんが可愛かった」
「わはは。あんたね……」
千晶が突っ込もうとした瞬間、かずさは言った。
「あたしは、あんなに素直じゃなかった。あんなに美しくはなかった……。
あたしがもし、高三の夏休みに春希に告白していれば。
付属学園祭のライヴの後、しっかり告白していれば。
ウィーンに旅立つ前、春希とお互いの気持ちを確認した後、雪菜に二人で土下座して謝って認めてもらえば。
そうすれば、話はあんなにこじれなかった」
「それじゃ、物語にならないよ」と、千晶は言う。
「その後だって、機会はあったんだ。
母さんの来日年越しコンサートの日に春希に電話して、しっかり気持ちを伝えていれば……。
でもあたしは、春希を手に入れたいと思う気持ちと同じくらい、傷つくのが怖かった。
だから、母さんの病気のことを知って、あたしの人生の目標の半分が無くなった時、本当に春希が手の届かない存在になったらどうしようかって、激しく動揺して、春希を揺さぶって、春希に罪を被せて、雪菜から春希を引きちぎって、二人を深く傷つけ、奪ったんだ。
雪菜を傷つけたのは、全てあたしの自己保身の結果だ。
全部、あたしが悪い。
雪菜は何時も、自分から春希を求めたのに……。
あたしは、ずるいよ」
「かずさ……。俺が決めたことだ。雪菜を傷つけたのは、俺だよ」
「雪菜だって」千晶は、静かに話す。「今でも、悪いのは、汚いのは自分だって、後悔してる」
「雪菜は、悪くない……。あたしが、あいつの幸せを妬んだから、憎んだから。あたしこそ、汚いよ」
「でも、冬馬さんは、あの最悪のタイミングでしか、春希を得ることはできなかった、と、あたしは思ってる」
「そうかもね。あたしも、何度も考えた。
雪菜がいなかったら、ひょっとしたら、あたし達は穏やかに幸せを手に入れたかもしれない。
けれど、雪菜がいなかったら、雪菜が春希と会わなければ、あたしと春希はお互いの気持ちを確かめもせず、卒業と共に別れ別れになっていたんじゃないか、とも思う」
「その通りじゃないかな。雪菜があなた達に出会わなければ、あなた達三人の人間関係は、何も進展しなかったと思うよ。
春希、七年前、冬馬さんを見送りに、雪菜と一緒に成田エクスプレスに乗ったっしょ」
「ああ」
「その時、雪菜に『あの夕暮れの屋上で、出会わなければ良かったのかな』と訊かれて、『雪菜に出会わなかった未来なんて、絶対に嫌だよ』と言ったっしょ」
「ああ、言った」
かずさは、春希を見つめる。
「その言葉は、あの時によりもっと大きな存在感で、俺の心の中にある。雪菜に出会わなければ、俺は本当の俺を生きてはいなかった。かずさと本当には出会うことはなかった、と思う。だから、雪菜には、本当に感謝している。
こんなこと、雪菜には直接、言えないけれど」
「雪菜はあの言葉、大切にしているよ。どんなに傷つくことがあっても、冬馬さんと春希に出会えたこと自体は、自分にとって幸せなこと、なんだって。自分の誇り、なんだって。
あたしが雪菜派なのは、あの子のそういうところが好きだから、なんだけど……。
おっと、何。知らなかった……。冬馬かずさって、泣き虫なんだな」
やっぱり、かずさは泣いていた。
「うるさい。……それに呼び捨てにするな」
「はいはい。じゃ、時々かずさ派になってあげるから、かずさって、呼び捨てにする許可をくれるかな」
「……勝手にしろ」
「なんて可愛い生き物……。お姉さん、めっちゃ萌えるわ〜」
「可愛いだろ。無駄に突っ張ってばかりでクールに見えるけど、ホントは激情家なんだ」
「春希、うるさい」かずさはクッションを春希に投げる。
「わはは。誰も惚気ろとは言ってないぞ。ホント春希は嫌な奴だね」
言葉に刺はあるが、千晶の目は誠実だった。
「どう？
あたしなら、今みたいに、かずさと、雪菜と、春希の物語……、そうだな、あなた達の結婚に至るまでの最終章、CODAについて、話せるんじゃない？」
「また、脚本にするのか」
かずさは、未だ乾かない瞳で、じとっと見つめる。
「あたしは芝居バカだよ。人生の全てがネタなんだ。訊くだけ野暮だよ。
でもね、ゴシップ記者じゃないんだ。美しくない物語は書かないんだよ」
「それは、分かってる」と春希はつぶやく。
「だが、かずさが傷つくのは困る」
「あたしは良いんだ。一生、雪菜に負い目を感じて生きて行くという覚悟はしている。でも、春希はもう十分謝ったし、十分傷ついたんだ。だから……」
「はいはい。二人とも間違ってる」
「え……」
「第一に、雪菜とあたしは、あなた達を傷つけるつもりはない。
第二に、あなた達、お互いを甘やかし過ぎ。
自分の中の真実を見つめる時、傷に触ることはあるよ。
でも、放っといても、傷は直らないよ。あんた達三人の心の傷には、恐らく、時間薬は効かない」
「…………」
「手続的には、あなた達の話を脚本にする場合は、冬馬曜子オフィスを通すことになっているんだ。
それとね、あなた達三人は、あたしにとって既にネタ以上の愛すべき対象なんだ。
あたしは、あなた達の熱狂的なファン、なのさ。
それこそ、あたしの役者人生を狂わされたからね。
ミイラ盗りがミイラになっちゃって、ホントは不本意なんだけど、好きになってしまったから、仕方ないね。
どう、まだ不安？」
「春希、どう思う……」
「ふうー」春希はため息をついた。
「分かったよ。よろしく頼む」
「時々家に遊びに行かせてもらうから、その時に、そっちのペースで良いから、ゆっくり話を聴かせてもらうということでどうかな？
お礼は春希の作るジャワ・カレーで良いからね〜」
……これ程のストーリー・テラーに客観的に見てもらえるなら、自分たちの抱えている問題をゆっくり解きほぐしていけるかもしれない、と春希は考えた。
ただし、気になる点がある。
「俺たちから聴いた話は、いずれ雪菜も目を通すことになるだろうけど、許可するまでは、千晶の手元で秘密にしておいてもらえるか」
「良いよ。焦る類いの話じゃないからね」
「じゃあ、春希の悪友さん、気にせず家に遊びに来てくれ」と、かずさは言った。
「一応、恋人でないなら、親友のつもりなんだけどね」
千晶は落ち着いた目をして、再度、低く言った。
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