静まりかえったその店の中では亜子の父、園田勝がグラスを傾けるカラカラという音だけが鳴っていた。
 あまりにゆっくりと飲んでいるので、愛人の恭子は心配になって話しかけた。
「ねえ? 美味しい?」
「…当たり前…やろが…12万の…酒やぞ」
 実のところ美味い訳がなかった。それでも彼がそう答えたのは愛する女の前での虚勢に過ぎなかった。
 だが、それも終わりだった。彼の限界は彼自身がよくわかっていた。そのわかりきっていた限界はついに訪れた。
 気力だけで保っていた手足から力が抜けていく。グラスが手から滑り落ちた時にはもう亜子の父の意識はなかった。

 恭子はそれを見届け、一つ大きな溜め息をつくと向かいの青年に言った。
「おめでとう。孝宏くん、だっけ? あなたの勝ちよ」

 声をかけられた孝宏はソファーから飛びあがった。
「ふぁひ? あ、おレのばんでスか? ねテない、ねてナぃですょ!? いゃはぁ、この酒、おぃしいっすょヨ? あれへぇ? おジさんのグらスはドこですか?」
 恭子は面倒くさそうに説明し直そうとした。
「だからぁ、あなたの勝ちだって…」

 ちょうどその時、バタンとドアを開け武也が飛び込んできた。
「孝宏くん! 無事か?」
 後から依緒に真理に千晶に小春に亜子、ミチコや亜子の母の吟子までが続いてゾロゾロ店に入りこんでくる。
「やっぱり表の車はあの人のだったね…」
「小木曽! 大丈夫!?」

「孝宏くん!」
 亜子はソファーに沈んで軟体動物になっている孝宏に真っ先に駆け寄った。
「ふぇ!? あ、亜子、ゴめン。おれ、無理シちゃって。でモ、スぎハらのおかゲで勝てタ。ヒック。
 まグれ。ホんとマグれのムちャだッたよ。ほンとごめン。
 …オれはこレからねェちゃんのおいわイ会ダカら、って言っタのに。ならハしのやつ、とっとトはらイモドせってむりやリワタしてきて…こんナたいキん、めいワく…」
 亜子はへべれけで要領を得ない答えを口にする孝宏に目をぱちくりさせた。
「何に勝ったって? 小春ちゃんのおかげ?」

 亜子には何が起こったのか全くわからなかった。
 孝宏と亜子の父の前のテーブルには何十本もの酒のボトル、そしてその中央にはうずたかく積まれた、恐らくは100万をゆうに超えるくしゃくしゃの万札の山があった。
 そんなテーブルの隅には封の切られた封筒が置いてあり、まだ分厚い紙幣が残っているその封筒には「ミス峰城2013予想 杉浦小春 58.0倍 100口 配当金 174万円 このくそやろう 奈良橋より」と書かれていた。



峰城大付属病院


 孝宏と亜子の父の2人が仲良く急性アルコール中毒で担ぎ込まれた病室では孝宏は亜子の手厚い、いや、熱い看護を受けていた。
「はい。あーん」
「あーん」
 キレイにカットされたリンゴを差し出された孝宏は大口を開けて幸せそうにそれをほおばる。孝宏の若い鉄の胃袋は先ほど受けた胃洗浄にめげることなくそれを受け入れた。
 
「よく…食えるな…このガキ…うっぷ」
 苦しげな声で隣のベッドから口をはさむ亜子の父はたちまち亜子の大声攻撃を受けた。
「お父さんは黙ってて! できれば一生!」
「ぐぁ…大声、だすなや…頭に…響く」

「亜子ちゃん。マサルちゃんも反省してるから、あまり邪険にしないであげて」
 恭子に言われて亜子は生返事で返す。
「はーい」

 そんな亜子の様子を見て、孝宏は聞いた。
「恭子さんって亜子さんの叔母さんだったんですか?」
 微笑むだけで答えない恭子の代わりに亜子が答えた。
「叔母さんじゃないよ。お父さんの愛人さん」
「へ? へ、へー…」
「?」
 予想の斜め上の回答に言葉を失う孝宏をからかうように恭子は口を挟んできた。
「亜子ちゃん。孝宏くんは父親が妾囲っているようなただれた家庭では嫌いだってさ」
「い!? いやいや! …珍しいとは思いますけど」
 そんな孝宏の様子を見て、亜子は低い声で言った。
「孝宏くん…ウチの家訓では愛人さんは一人だけだよ。そこのとこはちゃんと守ってよね」
「は? …はは…そうなの?」
 園田家の家訓はどれもよくわからないものばかりであったが、これはトドメだった。一人だけというのが弁明なのか、警告なのか、そもそも愛人は「さん」付けするものなのかと、疑問符で頭がいっぱいになっていた孝宏は一番突っ込むべきポイントを逃してしまっていた。

 孝宏がすでに園田家の一員扱いされていることを。



病院の中庭


 一方、武也や依緒、小春といった面々は携帯の使える病院の中庭まで出て「昨夜はどうもお騒がせしました」の電話行脚をしていた。

「徳永さん。昨夜はどうもお騒がせしました」
「月城さん。お帰りの後、孝宏君のことでお騒がせしてすいませんでした」
「綾瀬さん。すいませんでした。え? あの後ですか? はい、雪菜たちの方は2.5次会もその後も盛り上がって…」

「清水さん。どうも昨夜はお騒がせしました。申し訳ございませんでした」
『いえいえ、いいのよ。杉浦さん。ところで早百合の事だけど…』
「はい? 何でしょう?」
『…いえ。いいのよ。なんでもないわ』
「? はい。どうも失礼しました」

 早百合の母は小春のことを「友だちが心配だとここまでしてしまう女の子」と理解したので、自分の心配事については口にしなかった。

 小春もまた、家に帰ってなかった早百合からの返答メールが「ねてた」だったことの不自然さに、ついぞ思い至ることはなかった。



病室の外


「いえ。本当にすいません。うちの息子が…」
「いえいえ。ウチの人がむりやりやった話なので、お宅の孝宏くんは悪くありません。大したコトなくてなによりです」
 病室の外では孝宏の両親と亜子の母の吟子が互いに頭を下げあっていた。
 そんな3人の様子を見て、麻理と千晶は大あくびをした。
「ふああ、あ。瀬之内さん。今何時だい?」
「もう9時ですよ。徹夜しちゃいましたね」
「まあ、孝宏くんも無事でなにより。そういえば北原たちの方はどうなったんだろうな?」
「無事に終了。春希が酔いつぶされたほかは異状なしだってさ」
「ふん。まあ、こちらは面白い事件を追った有意義な夜だったさ」
「わたしも役者として貴重な経験ができたというコトにしますかね」

 2人はそんな話をした後、病室の皆に挨拶だけして病院を去ろうとした。
 が、その時、渡り廊下で見慣れた人物を目の当たりにした。
「あれ? かずさ?」

「なんだ? 千晶じゃないか。頭でも診てもらいに来たか?」
 かずさは言葉こそきつかったが表情はにこやかだった。
「うん、そんなとこ。かずさは?」
「わたしは母さんの見舞いだけど…」
「へぇ。曜子さん、ここの病院なんだ。ついでにお見舞いしていこうかな?」
 かずさはそんな馴れ馴れしい申し出に少し戸惑ったが、思い直して答える。
「ああ。母さんも退屈しのぎになっていいだろう。
 ちょっと待ってて。母さんに聞いてくる。すぐそこの病室だし」
 そう言ってかずさは一度引き返すと、すぐニヤニヤ笑いつつ戻ってきた。
「いいってさ。母さん、風岡さんにも是非会いたいって」
「わ、私もか!?」



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このページへのコメント

どうもありがとうございます
孝弘が小春に賭けてたことはさすがにみなさん忘れていたでしょうね
早百合については…頭の片隅にでも留めて戴ければ幸いです

0
Posted by sharpbeard 2014年11月10日(月) 20:46:09 返信

なるほど…。前回小春のことが浮かんだのはこういうことだったのですね。すっかり騙されました。
しかし毎回伏線の張り方がうまいですね。とすると、早百合のことも後に何があったのか判明するんですかね。
今後の展開が楽しみです。応援しています。がんばってください。

0
Posted by KOBU 2014年11月08日(土) 23:23:51 返信

孝宏は亜子と一緒になったら間違い無く尻に敷かれる未来が待っていそうですね(笑)。
次回冬馬曜子vs風岡麻里、和泉千晶でしょうか?両者共に原作では曜子さんと面識がありませんでしたから(麻里さんはありましたっけ?)、作者さんがどの様にみせてくれるのか期待しています。

0
Posted by tune 2014年11月07日(金) 19:31:11 返信

てなわけで孝宏の話はおしまいです。お楽しみいただけましたか?

あと、全世界の早百合派の皆さまごめんなさい。

0
Posted by sharpbeard 2014年11月07日(金) 19:06:29 返信

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