まえがき

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Date: 2012/02/01 19:12
「通夜」の大体1年後くらいです。



「難しいもんだな……。」
 ビールのグラスを下ろして武也がひとりごちた。
「うん? 何が?」
 依緒が問い返した。
「いやなに、あの二人のことだよ。……春希と、冬馬。」
 飯塚家のリビングで、座卓を囲んでいたのは武也と依緒の飯塚夫妻と、後輩の柳原朋だった。
 学生時代の延長で、機会さえあれば杯を交わし、わいわい騒いでいた仲間たち――かつては末次界隈の居酒屋がホームグラウンドだったが、皆社会人となり、そして家庭人となるにつれ、若者向けの居酒屋からは自然と足が遠のいた。それよりはそれぞれの家に互いを招き、ホームパーティーとしゃれ込む――いつの間にやら彼らの選択は、そこに落ち着いていった。そこにはもちろん、仲間内にメディアでの露出が激しい有名人――キー局アナでスポーツ紙や写真週刊誌をにぎわす柳原朋と、気鋭の美人ピアニスト、冬馬かずさが混じっている、という要因も強くはたらいていた。
 しかし今日の集まりには、当の冬馬かずさはいない。そしてまた、いつも彼らの中心にいた、北原春希と雪菜のカップルもいなかった。

 十余年来の仲間である北原雪菜が、不慮の事故で世を去ってから、もうそろそろ1年になる。むろん夫の春希、そして二人のもっとも近しい友人であったかずさも健在である。だがこの夜の集まりには春希もかずさも、顔を出してはいなかった。
 だからこそ武也は、酔いの勢いも手伝って、ついついこんな話題を切り出してしまうのだった。
「難しいよ……。」
 武也は繰り返すと、かぶりを振った。
「だから何がよ?」
 依緒はいつも通り、わざと物わかり悪く問い返した。いい加減酔いが回ってきたらしい二人を、唯一のゲストである朋はウーロン茶のグラス越しに見つめていた。少しばかり意地の悪い笑みを浮かべつつ。
「あの二人は想い合ってる。今ではお互いがお互いにとって一番大切な存在だ。あの二人はくっつくのが自然なんだよ。」
「ハイハイそれで?」
「なのにその自然な成り行きをたどるということがこんなに難しいなんて!」
 武也はガン! とグラスを卓に叩きつけた。といっても割れない程度に、酒がこぼれない程度に。
「……っ!」
 依緒は目をむいたが、無言を通した。グラスのビールがちょっとでもこぼれていれば、怒鳴りつけてやったものを。少しだけ口惜しかった。
 夫の――武也の言いたいことはわかる。わかるが、その虫のよさも今の自分にはわかってしまう。口を開いてそれを指摘すれば、喧嘩になってしまうだろう。「喧嘩するほど仲がいい」のが自分たち夫婦だと承知してはいるものの、それでもわかっていて、好き好んでするものではない。特に酒が入っていて、客もいる今。隣の部屋で小さな子供がすやすやと眠っている今は。
 その客――柳原朋はいよいよ意地の悪い笑顔で二人をねめ回して、言った。
「飯塚さん――いえ武也さん、ちょっと焦りすぎじゃないですか? まだたったの1年、言ってみれば喪が明けたばかりなんですよ? そんなに二人ともがつがつしてるわけじゃないんですよきっと。」
「ああ?」
「そもそもが気の長い人たちじゃないですか。北原さん――春希さんが雪菜を振り回して引っ掻き回したのって、3年間でしょう? それに何より冬馬さんなんて、5年も春希さんのこと、たった一人で引きずってたんですよ? それに比べればどうってことないじゃないですか、こんなの。」
 当の本人たちがいないこともあってか、今日の朋はいつもにもましてあけすけで、毒舌だった。
 ――それでも、一番きつい一言は、言わないでくれてるよね……。
 依緒は心の中で朋に頭を下げた。実際朋の言うことももっともであるし、そもそも10年以上腐れ縁を引きずった自分たちが、あれこれ言えるはずは本当はないのだ。

 ――と、ところが。
「――ま、実は雪菜の後釜に入るのは、実はこの私なんですけどね……って言ったら、どうします?」
と朋が爆弾を落とした。
「――!?」
「……なッ!」
 狼狽し、激昂して腰を浮かせた飯塚夫妻に、しかし朋は涼しい顔だった。
「ふふふ、あわてないでくださいよう。後釜ってのは、あれです。「冬馬かずさの〈親子のための〉ピアノコンサート」の司会を、私が引き継ぐってことです。雪菜の後をついで、私が「うたのおねえさん」をやるんです。」
 ドヤ顔で胸を張る朋に、武也が詰め寄った。
「本当か? ――ていうか、再開するのか! あいつら、やる気になったのか!」
「もちろんですよ。あの二人にはもともと、やめる気なんかさらさらなかったんです。ただ、今後どうするかでなかなか決めかねていただけ。それでも、あんまり愚図愚図してたもんだから、雪菜の元マネージャーとしましては、さすがに堪忍袋の緒が切れて、怒鳴り込んでやったんです。そしたら、いろいろ相談してるうちに、私も参加するっていうことになっちゃいました。」
「……そうか……そっかー。よかったあ。」
 武也は再び、ぺたんと座り込んだ。
「――そうか……結局、今度もあんたが、動かしたんだね。春希の奴を。」
 依緒も安堵のため息を漏らす。しかし朋はそこでもまだ止まらなかった。
「違いますよ。――「今度も」じゃありません。前とは違います。」
 気が付くと朋は真顔になっていた。
「依緒さんが言いたいことは、こういうことでしょう? ――雪菜がまた歌いだしたのは、そして北原さんと結ばれることになったのは、お二人の励ましがあったからじゃなくて、私の悪意あるいたずらがあったからこそだ、って。そして今回も、私の無遠慮で暴力的な突込みがあったから、北原さんと冬馬さんは動き出せたんだって。」
「朋……。」
「前者については否定しません。あの時あの二人に必要だったのは、肉親や友人の善意とか理解とかじゃなくて、外側からの暴力だったってこと。――まああたしはそこまで親切だったわけじゃ、ないんですけど。」
「――。」
「お二人は結局、あの二人に優しすぎた。甘すぎた。だから雪菜の抱える一番の問題、北原さんよりもずっと大きな問題、歌の封印に気付くことさえできなかった。あの二人の気持ちなんかどうでもよかった私の方が、それに気付けた。これって笑えますね。」
 久しぶりに朋は容赦なかった。だが、依緒はもちろんのこと、武也も黙って聞いていた。
「――でも、でもね。今回は違うんです。……今の私はもう、ここにはいない雪菜はもちろんのこと、北原さんに対しても、冬馬さんに対しても――あの時の雪菜と北原さんに対してのようには接することができない。あの時のあなた方お二人に近いんです。……どうも甘やかしちゃうんですよ。弱ったなあ……。」
 そう言って朋はかぶりを振り、ウーロン茶のグラスを空けた。
「あたしもお二人のことを言えないな。ほんと。でも、でもね、あの二人が一緒に動き出せば、きっとそのうち何かがある、と思うんです。外から何かが、隕石でもなんでもいいから降ってきて、二人の世界を揺り動かしてくれるんじゃないか、って。」
「隕石……?」
「そう、隕石とか、とにかく何でもいい。否応なしに走り出さなきゃならないような状況――ねえ、武也さん、依緒さん。お二人は、雪菜の、なんていうのかなあ、「本質」ってなんだったと思います?」
「本……質?」
 藪から棒に朋の口から出てきた言葉に、飯塚夫妻はきょとんとした。
「ううん、なんか変な言い方になっちゃったなあ。つまりね、雪菜はね、ただただ北原さんのことが好きで、愛してて、大切にしてて、ってだけの女じゃなかったってことです。ちびちゃんたちの母親だってことを抜きにしても。きっと雪菜は、たとえばあの時冬馬さんに北原さんを盗られちゃったとしても、つぶれちゃったりはしなかったと思う。落ち込んで、散々泣いて、何日も寝込んだかもしれない。でもきっとまた立ち上がって、歌い始めたと思うんです。北原さんのためにじゃない、他の誰のためでもない、自分のために。」
「……。」
「でね、冬馬さんの「本質」はやっぱりピアノ。――まあこれはさる人の受け売りなんですけれど。あの人は何をしても、何を思っても、何を経験しても、最終的にはそれが全部ピアノに跳ね返ってくる人なんですって。じゃあ……北原さん――春希さんの「本質」って、なんだと思います?」
「…………仕事?」
 しばらく考えてからこぼした依緒に、夫の武也は
「馬鹿かお前。」
と身もふたもなく切り返した。
「――っ! じゃあなんだってのよ!?」
 武也は酔いで濁った眼を精一杯見開き、ゆっくりとしゃべり始めた。
「もちろんあいつは、「社畜」って皮肉りたくなるほどの仕事の虫で、サラリーマンとして有能だ。今やってる仕事は編集で企画立てたり文章書いたりだけど、あいつなら経理でそろばん弾いても、営業やっても、トップを張れるだろう。人並み以上に稼いでくれる奥さんがいりゃ、専業主夫だってばっちりこなすだろうさ。――でもそういうのは違う。人から言われたこと、人に頼まれたことを一所懸命、誠実に確実にこなす、っていうのは、立派なことだけど、なんか違う。」
「で、でもさ、あいつさ、付属のころから、そうやって周囲のみんなのために身を粉にしてたじゃん? そういうところ、ずっと変わってないじゃん?」
「――もしそれがあいつの「本質」だっていうんなら、それは「あいつには自分ってものがない」ってことになっちまう……。」
「武也、あんた……。」
 武也はかぶりを振った。どうやら酔いは醒めてきたらしい。
「誤解すんな依緒。俺は何も、春希がそういう「空っぽの人間」だって言いたいわけじゃない。本当にそうだったら、雪菜ちゃんと冬馬の間であんなに苦しんだりしない。あいつが本当にそういう意味で「空っぽ」の聖人君子だったら、誰も好きになったりせず、坊さんになるか政治家でも目指してるさ。」
 真剣な顔つきで聞き入っていた朋がうなずいた。
「そうですよね。絶対あの人にも、何かあるはずなんです。でもそれがなんなのか、ひょっとしたら自分でもわかってないんじゃないかなあの人。だから他人に振り回されちゃうんじゃないか。でも、人並み外れて有能だから、大概の場合はそれでも何とかなる、というか、振り回す相手のために良かれと何でもしてあげて、それで丸く収まる。でも、恋愛の場合には、それじゃだめなんです。だからあの人の周りは、これまでこんなにもめてきたんですよ……。」
「語るねあんた。」
 依緒が茶化すように言ったが、目は笑っていなかった。
「男と女の間のことでしたら、この中じゃ私がきっと一番よくよくわかってますよ?」
 朋がいつもの意地悪な笑いに戻った。この顔にほっとさせられた自分が、依緒は悔しかった。
「今まではそんな感じだったけど、北原さんもいい加減、そういう自分の問題、わかってると思うんです。そこん所を解決しないと、先に進めないんじゃないかな……なあんてね? おかわり、いただけます?」
 朋はウーロン茶を一気にあおり、空になったグラスを振った。
「あいよ。ウーロンでいい?」
「ワインをください。1杯だけ。」





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読み返してみて、改めて脱帽。
伏線も張られてて、本当すごいな。
この書き手さん。

0
Posted by のむら。 2016年11月01日(火) 04:34:01 返信

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