……数日後。

「こんにちは」
「あらギター君、いらっしゃい」

 峰城大学病院の、とある病室。
 かつての春希達の学び舎の一角にある総合病院。
 春希はそこで、顔見知りの親子に挨拶をしていた。

「……お久しぶりです、曜子さん」
「こちらこそ」
「どうですか?気分は」
「まあ、一概にいいとは言えないけど、それでも一時期よりは持ち直してきてるわよ」
「そうですか。それで今日は」
「かずさのことでしょ?」
「はい。冬馬曜子オフィスに話は行っていると思いますが、またあいつの特集をやることに」
「あらあら。あのバカ娘、わたしの知らないうちにすっかり有名になっちゃって」
「……母さん。余計なこと言うな」

 そしてそのバカ娘(かずさ)は相変わらずの仏頂面で視線を合わせようともしない。

「全くあんたは、せっかく愛しのギター君が来てくれたのに、もっと喜べないの?」
「うるさい。『愛しの』は余計だ。雪菜に悪いだろ」
「そうね。これくらいにしときましょうか」

 曜子の本気とも冗談ともつかないノリもまた、春希にとっては相変わらずだった。
 とても不治の病に侵されているとは思えないその様子に、少しばかり安堵もしていた。

「まあ、またギター君が担当ってことになって一安心ね。この娘、あなたが相手じゃなきゃ未だにまともにインタビューもできないんだから」
「……かずさ」
「……し、仕方ないだろ?あたしはピアニストであって」
「ああはいはい、その言い訳ももう何度目かしらね」
「うるさいうるさい。ああもう母さんは黙っててくれ。どうしても調子狂う」

 そして、この親子のやり取りも、相変わらずの光景だった。

『あなたの……お母さん』
『かずさにだって……できたんだよ?』

 雪菜も、春希の母子の絆を修復しようとしてくれている。
 この親子のように、いつか自分もできるのだろうか。
 いや、やり遂げなくてはいけない。
 何度もふらついて不安を抱かせ続けてしまった自分を選んでくれた雪菜の為にも。
 そして、そんな雪菜を選んで本当によかったと思っている自分の為にも。
 春希は、冬馬親子のやり取りを目の当たりにしながら密かに決意した。

「そ、それはそうと春希。どうなんだ?最近雪菜とは上手くいってるのか?」
「ああ。上手くいってる」
「幸せになってねギター君。この間の件で雪菜さんにはずいぶん迷惑掛けちゃったし」
「平気ですよ。雪菜は迷惑だなんて思うようなことありません」
「ふう〜ん」
「……何ですか?」
「……信じてるんだ」
「もちろんです。俺は雪菜を、愛してますから」
「あらあら。かずさの前で言ってくれちゃってぇ」
「あ……」
「何であたしに気を使う?お前はもう雪菜にだけ気を使ってればいいんだ」
「かずさ……」

 妙にしんみりした空気に、かずさは照れ隠しに慌てて話題を逸らした。

「そ、そうだ春希。お前、もう雪菜にちゃんとプロポーズはしたのか?」
「あ、まだちゃんと言ってなかったか。
 ……ああ、したよ。お前が俺の背中を押してくれたからな」
「……で、雪菜は?」
「……受けてくれた。俺と、結婚してくれるってな」
「そうか。よかったな春希。おめでとう」
「ああ、ありがとうなかずさ」
「で、渡すべきものはちゃんと用意してあるのか?」
「ああ、今持ってるから見せてやるよ」

 そう言って春希は鞄をまさぐった。





「お疲れ様。久しぶりだけど楽しかったよ」
「まあ、わたしもこんな風に仕事の合間の息抜きができてよかった」

 今年から東亜テレビに入社した柳原朋は、新人アナウンサーとして多忙な毎日を過ごしながらも、相も変わらず雪菜のステージ活動を支援し続けている。
 今日も平日にもかかわらず、雪菜の所属するナイツレコードのスタジオを借りてレコーディングを眺めながらライブの打ち合わせを行っていた。
 二人はその後御宿に出て行きつけの居酒屋で酒を交わし、ほろ酔い気分で店を出たところだった。

「いや〜、やっぱり雪菜の歌は聴くの楽しみ〜」
「ありがと。でももうそろそろライブも出るの控えないとね」
「ええ〜?もったいない。雪菜なら人気あるし、組みたいバンドも多いと思うよ。
 それにせっかくレコード会社にいるんだし、CDデビューしてもいいと思うんだけど」
「わたしはプロになる気はないし、歌うのもただ好きなだけだし」
「はぁ〜。ほんっと雪菜って上昇志向ないよね。あんだけ歌えるのにさ」
「それに、わたしはそろそろ……」
「あ、そうだっけ。雪菜にとって大切な儀式がありましたっけ」
「まあ、今はその準備ってところだけどね……」
「ああもう、何そのしまりのない顔。『わたしは幸せ満喫してます』って丸出しの表情」
「だって、幸せなんだもん」
「はいはい分かりました。雪菜は今とっても幸せなんですよね」
「そうだよ。と〜っても幸せだよ」

 もちろん、朋にも分かっていた。
 雪菜にとって、ようやく掴んだ幸せがとてもかけがえのない大切なものだということが。
 出会ってからずっと変わらずに愛した男と、手を取り合って手に入れた幸せ。
 雪菜には、それを手にする資格がある。
 だから朋も、純粋に雪菜の幸せが嬉しかった。
 結婚という形のある幸せを手にした雪菜が眩しかった。

「雪菜……」
「何、朋?」
「よかったね……」
「うん。ありがとう」
「北原さんと、幸せになってよね」
「うん。なるよわたし。春希くんと、絶対幸せになるから」

 二人は駅の方へゆっくりと歩きながら、仕事やプライベートの話題に花を咲かせる。

「そういえば朋、こんな時間になっちゃったけど明日大丈夫なの?」
「大丈夫。いざとなったら局に泊まって仮眠するつもり。着替えも局に何着かあるし」
「そう。わたしも明日は早いからな〜」
「そろそろ北原さんと一緒に暮らしたら?婚約もしたんだしさ」
「でもうちは、ほら。お父さん厳しいし。婚約してるって分かっても同棲はどうかな……?」
「……何かそういったところでも雪菜って損してるよね。泊まりはOKでも同棲はNGなんて」
「まあ、もう少しの辛抱だよ。今のうちの親孝行ってことで」
「そうか……ん?」

 不意に朋が黙り込んだ。どこかに視線を向けたまま、歩みを止めてしまった。

「どうしたの朋?」
「あれは……そんな……」

 雪菜が問いかけても、朋には聞こえていないようだ。
 何か信じられないものを見た様子で微動だにしない。

「ねえ朋ってば。何見てるの?」
「雪菜っ、駄目っ!」
「え……?」

 朋の制止も間に合わず、雪菜はそちらに目を向けた。
 それは、駅の入り口近くの陰になる場所にある小さなホテル。
 ご休憩・ご宿泊併用可能な“いかにも”な感じのホテルである。
 しかし、二人の視線を釘付けにしたのはホテルそのものではなく。
 そのホテルから出てきた人物だった。

「春希、くん……」

 そう、一人は春希。かなり慌てた様子のようで、走り出す勢いで出てきたのだ。
 そして、その後ろからもう一人。

「あっ、ああっ!」
「あれは……」

 長く艶やかな黒髪をなびかせながら、春希の後を早足で追いかける女性は。

「冬馬……」
「かずさ……」

 ホテルから出た二人は、雪菜達には気付かずにそのまま駅の改札に向かっていった。

「な、何?これって、どういう、ことなのよ?」
「あ……あ……」

 正直、今見た光景が信じられないといった感じだった。
 雪菜も朋も、ただ茫然と立ち尽くしたまま二人の消えていった方向を眺めるだけだった。

「あ、あいつ。一体何やって」
「……」
「って、こんなことしてる場合じゃないか」
「……」
「ほら雪菜。追うよ!」

 しかし雪菜はがっちりと朋の腕を掴み、この場を動こうとしない。

「せ、雪菜……?」
「……」
「ちょっと雪菜!」
「……」
「雪菜ってば!」
「……」

 それから朋がいくら呼びかけても、雪菜は何も答えず、ただ朋の腕を掴んだまま動けなかった。

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