** かずさTrueエンド後の話です。



一日の仕事を終え、夕食をとり、風呂を済ませ、寝室のローテーブルに載せたノートパソコンで、メールの最終チェック。

これが締めくくり。

寝室を仕事部屋にせよという妻からの絶対命令によって実行された24時間公私混同体制。

したがって仕事終わりは必然として寝室になる。

メールチェックに勤しんでいる俺の鼻孔を、ふわりと甘い匂いが刺激する。同時に頬を黒絹の髪がさらさらと流れ、くすぐってきた。

背中越しに肩に乗る、妻の、かずさの顎。

当然背中には、脱力して押し付けられる、恐ろしいほど刺激的な柔肉が2つ。

風呂あがりに下着をつけるつけないで一悶着して、結局「脱がす楽しみを奪うなよ」と耳元でささやいて勝利したのが数分前。

なんとか下だけ履かせることに成功したものの、その上から俺のワイシャツ一枚を羽織っただけという姿はなんとも扇情的だ。

かずさは自分専用の夜着を持っていない。基本俺のワイシャツ、それも俺が一度は袖を通したものに拘る。なぜ拘るのかというのはもう今さらの話なので突っ込むこともないけれど。

仕事中は、せいぜい俺を枕代わりにする程度だが、仕事が終わりに近づいてくると、こうやって徐々に密着度を高めてきて、いやでも熱を伝えてくる。

俺としては、きちんと仕事を終えるまでは受け入れるわけにはいかない。 んだけど、これはもう拷問のようなもので…。

かずさはそこで耐える俺の顔が好きらしく、いちいちツボを抑えた攻めを仕掛けてくる。

決して中心には触れぬよう、けれどそこへ繋がるあらゆる回廊をゆるりゆるりと撫でつけ、口付けし、甘咬みする。

「ひゃぅ」だの「んふ」だの、情けない吐息とともに身体を跳ね上げる俺を見ながら、それはそれは楽しそうに、くすくすと悪戯っ子のように笑う。

俺が「やめろ」と言っても、ちっとも心のこもらない懇願など一切取り合ってくれない。

「何言ってるんだよ…春希があたしに教えたんじゃないか…」

ごもっとも。ええごもっとも。

彼女を散らしたのも俺。

彼女を咲かせたのも俺なんだから。

まあ、つまるところ、俺はかずさのこういう笑顔がたまらなく好きだって事実は揺るぎようがなくて。だから本気で拒むことなんか絶対無理なのはわかりきったことなんだけど。

そうこうしているうちに、かずさの手指の動きもどんどん熱を帯びてエスカレートしていくという悪循環。いや良循環というべきか。日本語、だんだん怪しくなってきたなあ…。

「春希…」

耳元で俺の名を囁く低く甘い声音。背筋がぞわりと震えてしまう。

さらに耳たぶを唇でついばむようにして何度も何度も愛撫してくるわ、背中の幸せが絶妙の加減で動き回るわ、ええい、このスキンシップ魔め。思わず「もっと」と言いそうになるじゃないか。

「こ、こら…」

「いつまで仕事してんだよ…」

情欲を隠し切れない、濡れ光る黒曜石のような瞳が覗きこんでくる。

いや、隠すつもりなんか全然ないよな、お前。

「今日来たメールは今日のうちに処理しとかなきゃだめなのっ」

危うく目隠しされそうな理性を総動員し、わざとらしく語気を強めてみたり。

「はぁ…その杓子定規なところ、一生変わんないよな、お前」

「お前が怠惰な分、バランスが取れてちょうどいいんだよ」

ずっと昔から変わらないやりとり。

そんな空気がちょっとだけうれしい。俺も、かずさも。

だからこそ、早く残りの未開封メールを確認し分類し、緊急度を割り振って…

「──っと…これ…」

一瞬身体を固くした俺に、かずさもイタズラの手を止め、俺の視線を追ってモニターを覗きこんできた。

「なに?」

「あ、ああ、取材の申し込みなんだが…」

「そんなのお前が勝手に……」

文字を追っていたかずさの言葉が途切れ、再び声に出したのはメールの最終部分。

「カイオウ……ニューヨーク…マリ・カザオカ?……………あっ! なあ、もしかしてこの人って」

見間違えるはずも聞き違えるはずもない、懐かしい響き。

「…………ああ、俺の元上司だ」

KAIOH NY GLAPH

Chife editor MARI KAZAOKA

その署名に、俺とかずさと、両方の視線が釘付けとなった。

それは捨ててきた過去からの呼び声であると同時に、かずさがピアノを弾き続け、表舞台に上がる限り、避けては通れない道でもあった。

いまやかずさは新進気鋭の若手という枠を飛び出し、遥か楽聖の集う頂への階梯を、三段飛ばしぐらいの勢いで駆け上がっている最中だった。磨きぬかれた技量と表現力はすでに別次元のステージに届きつつあり、憂いを帯びたミステリアスな美貌──単にものぐさで周りに興味がないだけなんだけど──と相まって、彼女の名声はいやが上にも高まりつつあった。それ故に、世界中から取材申し込みは途切れることがなく、今回の件も、その一環と言えた。

互いに沈黙を数秒数えた後に、先に口を開いたのはかずさだった。

「会いたい…か?」

━━━━━━━

特集タイトルは「現代芸術の20人」。月一で一人ずつ、現代芸術の最前線で活躍する若手芸術家を特集するものだった。これを20ヶ月にわたって続けていく。記事は世界30カ国に配信され、当然日本にも送られる。20ヶ月終了後、一冊の本としてまとめられることになっている、およそ2年がかりの企画ということだった。

大きなビジネスチャンスを伴う企画だった。芸術家といえど、受け入れてくれる人がいてこそ食っていける。宣伝はなにより大切なのだ。が…

ウイーンでの小規模リサイタルが続く期間で、来月にはフランスでの公演と目白押しのスケジュールの中、かずさが指定したのは10日以内、ウイーンの自宅での対面取材。写真はNG。自宅以外の場所で俺が撮ったものでいいなら後日後送で。というものだった。

つまり、俺の元上司、風岡麻理さん一人なら受けてもいい、こういうことだった。先方のスケジュール的には相当きついだろうが、現状これは妥当な線だった。かずさが指定しなくても、俺でもこのスケジュールにしただろう。この期間を逃せば、ほぼ対面取材に取れる日時は存在しない。ただプライベート空間に誘いながらプライベートの風景は晒さない、多少歪な条件に、含むものを感じないでもないけれど。それに、日本にも配信されるという部分が、チクリと針のように突き刺さった。

「いいのか? しかも直接取材って…」

「いいよ。それにお前だって、その人に、あ、会いたいんだ…ろ?」

「そ、りゃあ…まあ…」

ふたりとも歯切れが悪いことこの上なく。

「じゃあ、それでいいよ」

口調はあくまであっさり淡々と。けれど語尾が微妙に震えたのは間違えようのない事実で…。かずさの強がりなんて、俺に分からない訳がない。

かずさはいつの間にか俺の隣に座り肩に頭を乗せていた。一見穏やかに見えて、俺の腕を胸に掻き抱く力は痛いほどだった。

ひどく頼りなげな上目遣いで。

「な、なあ」

ほんの少し震える声で。

「えっと…だからえっと…」

その瞳に映るのは、不安と、怖れと、それを混ぜあわせた苦しさと。

だから俺は、かずさの気持ちを正確に受け止める。

不安になることなんかない。

恐れることなど何もない。

苦しむ必要なんてありはしない。

顔をっゆっくりと寄せ、額同士を軽く、コツンとぶつける。互いの瞳に互いしか映らないように。

「俺は、おまえのものだろ?」

そう、それが俺たちの血の契約。

全てに背き、全てを捨てて手に入れた、たった一つの契り。

「春希…」

不安も、恐れも、全てを拭い去ることはできない。でも、それにまさる喜びを伝えることは、どうにか成功したのだろうか。

かずさの顔にうっすらと浮かんだ微笑みは、どうしようもなく俺の心に染み入ってきた。

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どうも恋雪聖夜です。面白いですね(^-^) 続きが楽しみです。

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Posted by 恋雪聖夜 2014年03月04日(火) 21:45:17 返信

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