(承前)

 晩飯のことは気になるものの、その日は仕事が手いっぱいで、部下に仕事を押し付けたうえでどんなに急いでも帰宅は7時を優に回らざるを得ない。おまけに昼飯時にも、約束があった。

「――先輩。拝読しました……けど、これは……。」
「――どうだろう。愚作……かな。ええっと、以前からご要望の「エロ」にうまいことならなくって……。」
「うーん。」
 昼休みのサラリーマンやOLでごった返す、御宿のオフィスビル最上階のいつものカフェで、小春は腕を組んで、小首をかしげて見せた。テーブルにはきれいに平らげたランチプレートと、プリントアウトされた紙束。先に春希がメールした、新作小説の草稿だった。
 とにかく、何でもコツコツ続けないと、うまくならない。料理だけではない、ギターも、そして小説も、である。毎日少しずつ書きためた原稿がようやくまた少しまとまったので、「担当」杉浦小春に送ると、早速電話をかけてきて、本日のランチミーティングと相成った。
「何というかまた、直球の私小説、ですね。しかも素材は、何ですか、お二人が結ばれる前の、やもめ時代。――中年男女のラブコメというか、できるダメ男のウジウジ話というか……うーん。亡き妻の親友で、非常識だけどまっすぐで素敵な女性に想われていて、自分の方でも彼女のことが好きだけど、なかなか踏み切れない――こんな風に言っちゃうといかにも陳腐ですけど、でも、そういうよくある悩み、心の動きを、そこそこユーモラスに、丁寧に描いてらっしゃる。こういうの、嫌いじゃないですよ。嫌いじゃないけど……。」
「微妙、だよねえ……。何というか、試しに、ストレートに自分を、自罰的でなしに書いてみようと思ったんだけど、なんだか照れくさくって……。」
 頭をかく春希に、小春は思わず苦笑した。
「そうですか、照れますか。――まあ、結局案外自罰的になってますけどね。どうしても主人公を――ご自分を滑稽なダメ男として描かずにはいられないようで。仕事ができるし、女性にももてるし、シングルファーザーとしてがんばってるけど、でもやっぱりダメ男……。その辺のバランスが結構絶妙に書けてる、とほめて差し上げてもいいんですけど、まだまだ照れが残ってる、とクサしたい気分もありますね……。」
「――どこが、悪いんだろう?」
 春希は率直に問うた。
「――悪い、といいますか……この「照れ」は欠点であると同時に魅力にもなりえますから、一概に「悪い」とは言い切れないんですよ。――まずそもそも主人公が「ダメ男」である、ということ。これは、自覚的な、意図されてのものですよね?」
「うん。」
「――でも、ご自分を、本当に「ダメ男」だと思ってらっしゃいますか?」
「――うん。」
「――そうですか? むしろ先輩は心のどこかで、ご自分のことを「ダメ男」を通り越して、悪い男、邪悪な男だ、って、思ってらっしゃらないですか?」
「――!」
 ぴたりと言い当てられて春希は、思わずどきっとした。
「――やっぱりね。で、そう考えますとね、そういう先輩の邪悪さは、やっぱり前に書かれた二本――かずささんの話と、特に雪菜さんの話、あっちの方がよく書けてるんですよ。ただ単にダメなだけではなくて、邪悪な、恐ろしいものが、ね。」
 にこにこと容赦ない小春に、春希は感嘆を覚えた。
「そう、か――。」
「今回のお話は、ハッピーエンド、とは言い切れないけれど、何というかな、現実を反映して、未来に希望が残された、どっちかっていうと心温まる結末になってるじゃないですか。ですから、主人公も単なる、うじうじしてるけど心根のよい、やさしいダメ男になってるわけです。性根にゆがんだ邪悪さがあったら、こんな風な結末にはなりにくい……。でも、難しいけど、それができていたら、もっと面白い、って思うんです。そういう、ぞっとするような醜さ、邪悪さをどうしても克服しきれない男なんだけど、そんな彼にもやっぱり、救いは訪れる――そんな希望が描かれていたら、「ちょっといい話」を超えて、ほんとに感動する話になるんじゃないかな、とか。」
「……。」
 春希は上を向いてため息をついた。それを見て小春は、ちょっとあわてたように、
「――お気を悪く、されましたか……? 不躾すぎたとしたら、謝ります。」
「いえ、全然構わないよ。率直にズバズバ言ってもらえるのは、ほんとにありがたいから……。」
 春希は再び頭をかいた。
「ダメ男というより、悪人、か……。その通り、かもしれない。結局おれは小心者で、悪人にはなれなかった。その意味で、ダメ男っていうのは、偽らざる自画像のつもりなんだ。でも、たしかにおれには理想の自己像みたいなものが心の奥底にあって、それは一種の悪人というか、何もかもぶち壊して、破滅してでも自分の欲望を貫く――そんな生き方へのあこがれのようなものは、あったかもしれない。」
「――無礼なことを、うかがっても、よろしいですか?」
 小春が、遠慮がちに、聞いた。
「何だい?」
「――かずささんと再会されたとき、心が、動きませんでしたか?」
「――動いた、なんてもんじゃないよ。一歩間違えれば、どうなっていたかわからない。何もかも、それこそ、雪菜も、仕事も、日本も、何もかも捨てて、かずさと一緒に地獄に落ちていたかもしれない。――結局は、そうはならなかったけどね。悪人にはなれないダメ男で、雪菜にだらしなくすがりついて、救ってもらったけど。」
 何を思ったか、小春は、こよなくやさしい笑みを浮かべた。
「――それで、今回は、かずささんに、救われたんですか?」
「……うん、そうだ――そうだよ。かずさが、俺を、救ってくれたんだ。」
「――でも、先輩、かずささんに、すがりつきましたか? 甘えましたか?」
「――ん?」
「先輩、今回は、じっと黙って、痩せ我慢してたんじゃ、ないんですか?」
「――それは……ね。体にも心にも、たくさん脂肪がついた、中年男だから。――そういうとちょっと変――子供たちに悪いな。守らなきゃいけないものがある大人だから。自分の魂の救いより、家族や、仕事の方が大切な、俗物だから。……ますます、悪人からは程遠いよね。でも、そんな風に俗物だったから、我慢してたし、我慢できたよ。――そうしてたらあいつの方から、にっこりと手を差し伸べてくれたんだ……。」
「――はいはい、ごちそうさまです……。つまりはあれだ、先輩は、つまんない男になっちゃった、ってことですね。それとも、最初から、そうだったのかな。」
「うん、だから、ダメ男だって言ってるじゃないか。」
「いえ、「ダメ男」と「つまんない男」は、似てるようでちょっと違うんですよ、私に言わせれば。――「ダメ男」っていうのは、隙があって、そこが愛すべきところ、チャームポイントなんです。でも、「つまんない男」ってのは、違います。隙がなくて、非の打ちどころがない。だから魅力もない。「あたしがいて守ってあげなければ」って女に思わせない。それが「つまんない男」です。つまり先輩は、自分では、ダメ男という現実と、悪人という理想の間で引き裂かれてるつもりなんだけど、むしろ、つまんない男という現実と、悪人という理想の間で引き裂かれてるんですよ。」
「――なんだか、ややこしいな。わかるような、わからないような……。でも、そういえば俺、雪菜に「ずるくて汚くて卑怯な人」って言われてた、らしいんだよなあ。かずさが言ってた。」
「ええっ、そうなんですか? ――だとしたら、ますます納得がいきますよ。先輩、自分で思ってらっしゃるよりも、案外、本当に、悪人だったんですよ。雪菜さんも、そこんとこ、きっちりわかってらしたんですよ。先輩はダメ男として、欠けてるところ、隙を愛されたんじゃないんです。普段はつまんない男なんだけど、時々すっごい邪悪で、そういう過剰さが愛されたんです。――それとも、雪菜さんも、かずささんも、先輩を好きになる女の人っていうのは、ひねくれてて、隙のない、つまらなさが逆に最大の欠点、隙に見えちゃって、そこに惚れこんじゃうのかな? ――ああんしまった、こんなこと言ったら、墓穴掘っちゃう!」
 小春は頭を抱えた。しかし春希の方は、少しばかり頭の霧が晴れた思いであった。
「ありがとう、杉浦さん。――ちょっとばかり、次の展望が見えてきたよ。」
 快活に礼を言う春希を、小春はやや戸惑った顔で見上げて、息をのんだ。

 ――やばい。惚れ直しそうだ。イイ顔しやがって、こいつ、何を思いついたんだろう? 女の敵め……。

(続く)





作者から転載依頼
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このページへのコメント

曜子派ですか。私も年齢的には彼女に近いですが、若干かずさ派です。
雪菜を死なせて慚愧にたえないと仰いましたが、雪菜を傷つけず、かずさを幸せにするには、この設定しか無いのかな、と思います。高校時代であれば、『夢想』になってしまいますし。早く、かずさと春希の子供が見たいです。妊娠、出産まで書いて、グランドフィナーレにしてください。丸戸さんの某ヒロインの如く。

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Posted by bike 2012年11月22日(木) 07:23:19 返信

bike様

 励みになるお言葉、ありがとうございます。
 しかし自分としては、かずさ派、というつもりはなく、雪菜もCCガールズも好きで、あえていうと世代的にも近い曜子派、という感じです……。雪菜を殺してしまったことは実に何というか慚愧に堪えない。しかし春希以外にかずさを幸せにできる別の男を作れるのは、オリジナル作者の丸戸さんを措いてないでしょうし……。

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Posted by RCL/i8QS0 2012年11月21日(水) 18:49:42 返信

 かずさに対する愛情が文章から溢れていて、嬉しくて一気に全部読んでしまいました。本当に面白いSSをありがとうございます。本当にこのSSにボイスや音楽が入って欲しいなぁ。
 作者の方には、ぜひ、学園祭で、かずさが春希にキスした時に実は春希が目を覚ましていたなら・・・・・・、いちゃラブなSS、もしくはclosingの偽選択肢ルート(曜子さんのコンサートに春希が出席していたら・・・・・・というSSも書いて欲しいな、って思います。
 

0
Posted by bike 2012年11月20日(火) 06:33:11 返信

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