まえがき

Name: RCL/i8QS0◆17a7a866 ID:129b0297
Date: 2012/02/01 19:12
「家呑み」と同じころの出来事。季節的には晩秋かと。



 冬馬かずさはテンパっていた。

 ケチのつき始めは、定例の電話を、今日に限って入れ損ねたことからか。それとも、そもそも電話し損ねる結果を生み出した、自主練習の不調と延長のせいか。あるいは、練習中はスタジオに引きこもるのはもちろん、スタジオ外においた携帯の電源さえ切ってしまうという、己の貧乏性が悪いのか。電源さえつけておけば、自分が取らずとも母親かあるいは通いのナースかハウスキーパーが取ってくれた可能性もあったのだが。
 とやかく言っても仕方がない。いつもより30分長引いた自主練習を無理やり切り上げ、冬馬かずさは母とハウスキーパーへのあいさつもそこそこに、そして定例の電話を入れる余裕もなく、愛車のBMWに飛び乗った。そしていつにもまして華麗なハンドルさばきで住宅街を突っ切り、タイムカードの打刻に定刻30秒前のぎりぎりで成功した。
「すみません、おそくなりました、北原の代理の者でーす!」
「はーいご苦労様でーす。春華ちゃん、雪音ちゃん、お迎えですよー! 今日はかずさおばちゃんだよー。」
 保育士の先生がにっこりと呼ばわると、プレイルームの奥から二つの塊が突進してきた。
「おばちゃーん!」
「かずちゃーん!」
 かずさは飛び込んでくるちびたちをしゃがんで受け止めようとした。しかし二つの塊のうち大きな方、姉の春華はかずさの1メートル手前でいきなりジャンプし、そのままかずさの顔面に飛びついた。そして一拍遅れて妹の雪音が、バランスを崩したかずさのまたぐらに飛び込んできた。
「うわあああっっ!」
 必然的にかずさは後ろに倒れこむ羽目となった。おまけに齢のわりには大柄な春華に顔に飛びつかれたものだから、外出用の伊達眼鏡もふっとばされてしまった。しかし春華は委細構わずかずさの頭にすりすりし、アップにした髪をくしゃくしゃにした。
「おばちゃん、おばちゃん!」
「かずちゃん、かずちゃん!」
「う、ううわわわわ、わかった、わかったから春華、放してくれ、そこからどいてくれ!」
「やだあ!」
「やだあ!」
 ケタケタ笑いながら拒否する春華に、お腹の上の雪音も唱和した。
 悪戦苦闘するかずさを助けてくれる人は、もちろん誰もいなかった。いつもながら定刻前後の保育園というものは、先生も保護者もみんな忙しいのである。

 二人を落ち着かせ、着替えさせ、お荷物をまとめ、連絡事項を確認して保育園を引き上げるまで、結構な時間がかかった。ようようのことで二人を後部座席のチャイルドシートに落ち着かせ、自分はドライバーズシートにたどりついたかずさは、そこでようやく気付いた。
 ――まずい。小木曽のお母さんに、いつもの電話を入れてなかった。
 あわてて携帯を取り出し、雪菜の母をコール――しようとしてかずさは、そこで初めて、携帯の電源を切ったままだったことに気が付いた。あわてて電源を入れて画面が明るくなると、そこには「留守電」サインが赤々と灯っていた。

 1信目。
「冬馬さん……小木曽です。ごめんなさい、私今日、風邪をひいて熱を出してしまって……季節柄、インフルエンザかもしれないので、おちびちゃんたちにうつすわけにはいかないし、今日は行けません。代わりに孝宏をやりますから、お夕飯はそちらにまかせておいてください。――ただ、孝宏の方も少し遅くなってしまうかも……。春希さんにもお電話しておきましたから、予定よりは早く出張先から戻ってくださるはずです。」
「うっわー……。お母さん……。」
 ――大丈夫だ、孝宏君が来てくれれば何とかなる。少なくともあたしよりはましなはずだ。そう自分に言い聞かせてかずさは、次のボタンを押した。
 2信目。
「冬馬さん? 小木曽の孝宏です。先ほど母さんから連絡ありましたよね。それでですね、大変申し訳ないんですけど、ぼくの方で、勤務先の研究室でちょっと事故が発生しまして……いや、怪我人とかは出てないんですけど、後始末とか警察消防とかの事情聴取がありまして――本当に申し訳ない! できるだけ急ぎますけど、具体的に何時になるかは……とりあえずこちらで義兄さんにも連絡しときますので、よろしくお願いします。」
「――っっ?」
 まじかよ……「マーフィーの法則」という文字が頭にちらついたが、かぶりを振って最後の望みをつなぐ。
 3信目。
「かずさ? 俺だ。春希だ。お義母さんや孝宏君から聞いたと思う。俺はすぐにこっちで事情を説明して、新幹線に飛び乗る。何とか9時くらいにはそっちにつけると思う。もし何だったら、夕飯は外食にしてくれてもいいし、インスタント食品とか、パンとか果物の類で済ませちゃっても構わない。お風呂も今日はいいから。とにかく、無理はしないでいい。いや、するな。本当に、いつもいつもすまないが、よろしく頼む。」
「あっちゃー……。」
 絵に描いたようにアレな状況に、どっぷりはまってしまった。
 彼女の手元にあるのは、預かっている北原家の合鍵だけである。

 春希が言ったように、ここで素直に外食にしておけばよかったのだ。グッディーズあたりに連れ出して、お子様用メニューをあてがい、デザートになめらかプリンでもつければ、子供たちはむしろ大喜びだったろう。
 しかし今日のかずさはテンパっていた。だから、後部座席から
「どうしたのかずさおばちゃん?」
と問いかけてきた春華に、にっこり笑って、
「ごめんな、今日おばあちゃん、ご病気で来られないんだって。だから今日の夕ご飯は、おばちゃんがつくってやる。――カレーでいいよな?」
と答えてしまったのである。

 結婚、そして雪菜の出産後も、ずっと共稼ぎを続けていた春希と雪菜の北原夫妻は、小さな二人の子供を近所の保育園に預けていた。幸い雪菜の実家小木曽家は、夫妻の新居のマンションからは「スープの冷めない距離」にあり、孫たちを目に入れても痛くないほど溺愛する雪菜の母は、二人がとりわけ忙しいときには送り迎えや夕飯に尽力してくれていた。
 しかし当然ながら雪菜亡きあと、春希と小木曽家の負担は増えていた。三十を過ぎて、管理的業務が増えたうえに、自分の手を動かす現業の負担も減らない春希の忙しさはおそらく今がピークであり、子供たちの世話のために早く帰っても、子供らを寝かしつけた後で徹夜で持ち帰った仕事をこなすこともたびたびだった。
「――あの年増のいかず後家、もっと部下の家庭事情に配慮してくれないと困る……!」
 ある時ふと漏らした、自分を棚に上げたかずさの暴言に、春希はさすがに苦笑して、
「お前それセクハラだぞ……ともかく、麻理さんは十分に配慮してくれている。それでも抱え込んでしまう俺の問題だよ。」
と上司の風岡女史をかばったものである。
 そうなれば、同じ沿線に居を構え、雪菜が健在の頃からずっと互いの住まいを行き来していたかずさ、特にちびたちが生まれてからは、週に1、2回は訪れてピアノを弾いてやり、雪菜と一緒にお歌を歌ってやり、取っ組み合って転げまわってやっていたかずさが、もう一歩踏み込んで一肌脱いでやろう、となるのは当たり前のことであった。
 ――問題はかずさが、家事全般について人並み外れて無能だったことである……。

 ――問題は、だ。
 北原家の台所で、かずさは頭の中でやるべきことを整理していた。
 いつもならこの時間は、うまくいっていれば雪菜の母が作ってくれた夕飯をみんなで囲んでいるか、まずくとも、雪菜の母が台所で夕飯の用意をしている間に、子供たちと遊んでやっているか、あるいはお風呂に入れてやっているかのどちらかであるはずだった。
 かずさの北原家での仕事は、当面は週に2、3回、春希の代わりに子どもたちを保育園にお迎えに行って、家まで送り届けること、そして春希が帰ってくるまで子供らの相手をすること、である。(下の雪音はピアノに興味を示しつつあるが、まだレッスンを云々することもあるまい、とかずさは自分なりの教育的判断を下していた。)そのためかずさは、起床時間を朝5時に繰り上げ、夕方5時には練習を切り上げるようにしていた。
 肝心要の夕飯は、さすがにかずさには荷が重かった。そこで「スープの冷めない距離」にいる雪菜の母が、ほとんど毎日夕飯を作りに来るか、あるいは作ったおかずを届けてくれるか、のどちらかだった。(かずさも米のとぎ方くらいは覚えた。)
 しかしながら今夜はそうもいかない。子どもたちの夕食がどうなるかは、かずさの双肩にかかっていた。もちろん、夕飯を作りながら子供たちの相手をする、などという超人的な真似は、雪菜ならぬこの身にできようはずもない。(実際には雪菜にだってそれほどできていたはずはないのだが、かずさの視点からすればそうなる。)
 というわけで、大変心苦しいのだが、かずさは春希と雪菜の教育方針(テレビはなるべく見せない)をあえて破り、ちびたちに(春希と雪菜認定の)アニメDVDを見せておき、その間に夕飯を何とかすることにした。
 問題は、その夕飯をどうやって作るか、である。

 ――問題は、だ。あたしには味付けができないということだ。
 いつだったか春希の奴が「この世で最も手先が器用な人間の一人であるはずのおまえが、どうしてこんなに云々」と無礼千万なことをぬかしやがったことがあるが、あたしや母さんが料理が苦手――というよりできない理由は、手先や指先の問題なんかではない。
 言っちゃあ悪いが、あたしの手は、あたしの指はこの世界でもトップクラスの精密機械であり、あたしはそれを意のままに動かす訓練を日夜怠らない。そして手先の器用さがものをいう仕事であれば、ある程度の訓練さえ積めば、あたしはなんだってこなせる自信がある。
 昔のあたしが、何にもできなくて春希や雪菜や母さんにいろいろ迷惑をかけたのは、あたしが根性なしで臆病者の甘えっこだったからであって、あたしが不器用だったからじゃない。今のあたしは、車の運転は誰にもひけはとらない(そんなことはあのクリスマスの温泉旅行でわかっていたことだ)し、母さんのケアプランだって、みんなと相談しながらではあるが何とかやりくりしている。事務所全体のマネジメントはまだまだだが、コンサートやCD収録の取り回しといった個別事項については、少しずつ分かってきた。
 だからあたし(と母さん)が料理が苦手である理由は、手先の器用さの問題ではない。段取りの悪さのせいでもない。刃物を扱うことも、火加減を見ることも、タイミングを計ることも、本気になったあたしの不得手であるはずはない。結局問題は、あたしがどうやら世間標準から言えば相当ひどい味音痴である(らしい)、ということだ。あたしの舌と鼻は、少なくとも食べ物に関しては、ひどく偏ったはたらきしかしてくれない(らしい)。
 そんなあたしでもなんとかなる料理がある。それこそ、昔春希がよく作ってくれた「男の料理」の真骨頂たる鍋物であり、日本の子供が最初にその作り方を覚える料理(要調査)にして近代日本文明の精華、日本式のカレーである。出来合いのカレールーを放り込めば、あとは味付けの必要なんかない。肉や野菜とぐつぐつ煮込めばそれで終わり。阿呆にだってできる。いつ何を入れるかという順番や、どれくらい煮込めばいいかといったことは、ルーの箱に書いてあるから、知らなくても問題ない。
 そして、日本の子供は大体においてカレーが大好きだ。北原家のちびたちも例外ではない。二人の通う保育園には毎週必ず「カレーの日」があって、みんなそれを楽しみにしていることは、かずさも知っていた。

 ――カレーなら何とかなる。

 かずさのその判断は、それなりに正しかったとはいえる。しかしだとしても、なぜ帰りにスーパーかコンビニで、日本科学技術の粋であるレトルトカレーを買おうとはしなかったのか。いやそもそも、春希の許可が出ていたのに、外食しようとは思わなかったのか。
 やはりこの日かずさは、明らかにテンパっていた。そしてその結果は、しかるべきところに行き着いてしまうのである。

 もちろん現存人類の中でもトップクラスの精妙な指先を誇る美人ピアニスト冬馬かずさのことだから、しかるべき訓練を受けさえすれば華麗な包丁さばきを見せるであろうことは間違いない。しかるべき訓練を受けさえすれば。で、果たして、彼女はしかるべき訓練を受けていたか? 
 過保護な彼女の母、曜子は、彼女に料理を教えるどころか(自分もろくにできないんだからしようがないともいえるが)、ろくに刃物さえ持たせようとはしなかった。今でさえ、見舞いに来てリンゴを剥いてやろうとする彼女の手から、問答無用でリンゴとナイフを取り上げ、ぎごちない手つきで自分で剥いてしまう母親に、いったい何が期待できるというのか? 
 そんな母親の影響のせいで彼女自身も、学校の家庭科の調理実習は手抜きとずる休みでやり過ごしてきた。もちろん趣味で料理をすることもなかった。
 つまり彼女には、徹底的に訓練が欠けていて、これがぶっつけ本番だったのである。結果は推して知るべし。
 カレールーの箱には、「乱切りにした野菜と肉・魚介類を炒める」とは書いてあっても、「乱切り」とは何かまでは普通は書いてない。まあ大体の日本語を使える人間は、「乱切り」と言われればなんとなく正解にたどり着ける。かずさもそうだった。実際カレーを食べたことがあれば、あんな風に切ればいいんだ、とわかる。
 しかし「あんな風」とはあくまでも結果として野菜が「あんな風」になっている状態のことであって、刃物をどう使えば「あんな風」な結果が生まれるのかという過程、手順は全く別の問題だ。(それならば、今どきのスーパーならどこでも売っているであろう、カレー用のカット済み野菜セットを買えばいいのに、という意見もあるかもしれないが、そんなものの存在自体彼女は知らない。)
 開始10分でそのことに思い至ったかずさの成長を、まずは褒めてやるべきだろう。とにかく彼女は最初の10分間、どうすればうまくジャガイモの皮がむけるのか、懸命に試行錯誤していた。しかしどうにか結果が得られる前に、それは起こるべくして起こった。
「――っ、痛ーーっ! ……。」
 ぐらぐら頼りなく揺れる彼女の右手の包丁が、剥きとられたジャガイモの皮とともにするっと滑り、ジャガイモを握る左手親指の横腹に切り込んだのである。むろんおっかなびっくりで握りこまれた包丁のことであるから、大して深く切れたわけではない。翌日の練習にも差し支えはないだろう程度のかすり傷である。それでもれっきとした切り傷には違いない。痛みと、出血への戸惑いに思わずかずさは声を上げた。
 するとその声に
「なに? おばちゃん、だいじょうぶ?」
とリビングから春華が駆け込んできた。遅れて雪音も、
「おねえちゃん、かずちゃん!」
と台所に飛び込んできた。

「おばちゃん、だからね、ジャガイモやニンジンのかわをむくときは、このピーラーをつかうと、じょうずにできるんだよ。」
「……うん。」
「それでね、ほうちょうをつかうときはね、こうやって、ひだりてはまんまるねこちゃんにするんだよ。」
「……うん。こうかな。」
「うんうん、じょうずじょうず! ――たまねぎはそれくらいでいいよ、おはながつーんとしちゃうでしょ?」
 ――と結果こんな風に、かずさは姉娘、保育園の年長さんの春華の手取り足取りの指導の下、懸命にカレーに取り組んでいた。春華は踏み台を持ってきてかずさの横に立ち、自分も「左手はネコの手ニャン」の子ども用包丁を手にかずさを手伝っていた。
 ちなみに妹の雪音は、二人の後ろで「がんばれっ、がんばれっ!」とお気に入りのアン×ンマンと一緒にエールを送っていた。
「ねっ、かんたんでしょ? だからほうちょうをつかうときはきをつけてね。おばちゃんのてはせかいいちのてなんだからね。」
「――うっ……。」
「どうしたのおばちゃん?」
「……何でもない。玉ねぎが目に沁みた。――さっ、できた。じゃあお肉と一緒に炒めるよ。どうしたらいいのかな? 春華せんせい、かずさおばちゃんに教えてくーださい。」
「はーい。じゃあね、いつもおとまりほいくのときにえんちょうせんせいがやってるように、たまねぎとおにくからいきまーす……。」
 二人で協力してのカレーの完成までには、大体1時間半ほどかかった。春華はともかく、雪音もお腹がペコペコだったろうに、ハイテンションで応援を続けてくれた。その間リビングでは、もちろんテレビがつけっぱなしで、ジ×リの名作長編アニメはとっくに終わってしまっていた。

 ようようのことで春希が出張先から我が家に帰り着いたときには、時計の針は10時を回っていた。いつもであれば、子供たちはもう床に就いている時間である。マンションの玄関口にたどり着いてみると、リビングからの明かりが漏れていたが、特に物音はなく静まり返っている。子どもたちを寝かしつけたかずさが、一人でくつろいでいるのだろうか? 
 しかし10分ほど前に義弟の孝宏から届いた電話によれば、玄関口でチャイムを鳴らしても、誰でも出てこなかったらしい。自分は合鍵を持っていないから中に入れない、もうやすんでいるとしたら、起こすのもはばかられるしどうしようか……と聞いてきた孝宏には、自分がもうすぐ着くから帰ってよい、と言っておいた。たぶん孝宏とは帰路に鉢合わせするだろう、と予想していたのだが、どういうわけかすれ違ってしまったようだ。
 一息をついて、どのような惨状にも目を背けまいと覚悟を決め、春希はドアの鍵を開け、「ただいま」と小声で挨拶して中に入った。
 ――リビングは何というか、中途半端に片付いていた。食卓の上にも食器はない。しかし何だか小汚い。布巾をつかってないのだろう。おもちゃもちらかってはいない。
 ――台所も同様。流しにはカレーを食べた後の皿とシルバーが、まだ洗わないままに置きっぱなし。コンロの上にはカレーの入った鍋が、ふたを開けたままでのっていた。
 ――風呂は――使った形跡なし。
 となればいよいよ子供部屋である。春希は意を決して、子供部屋のドアをゆっくりとあけた。
 ルームライトの鈍い明りの向こうに、子供たちのベッドがある。一つのベッドを姉妹二人で使っている。二人とも大きくなってきて、そろそろ二段ベッドを導入しようと思っていたのだが、雪菜が亡くなってから軽く赤ちゃん返りして、甘えん坊になった雪音がいやがるので、そのままになってしまっている。
 こんな風に遅い時間に帰ってきたときには、以前は雪菜が、そして最近ではかずさが、ベッドの脇、散らばる絵本の中で、二人の枕元に寄り添って居眠りをしていることがしばしばだった。今日もそんなところだろう。どうやら無理やり夕ご飯を自力で作って、くたくたになったんだろう。
 ――ところが今日はちょっと様子が違った。かずさは確かに子供たち二人と一緒にいて、眠っていた。ただし枕元にではない。狭いシングルの、というより子ども用のベッドに、子供たちと一緒にぎゅうぎゅう詰めになっていた。ベッドからはみ出た右手の下には、春華お気に入りのビネッテ・シュレーダーの絵本が落ちていた。
 眠るかずさの頬にはうっすらと涙の跡があったが、唇は軽く笑みを浮かべていた。
 ――これでは起こせない。今日何があったか話を聞いて、丁寧に礼を言って、お土産のスイーツとコーヒーを振舞ってやる予定だったのに……。
 春希はため息をついた。とりあえず、曜子さんには電話を入れておかなければならない。

 なあ、春希――。
 今日は大変だった。
 あたしが、悪いんだけどな。自分で夕飯を作ってやろうなんて、考えたのがまずかったんだ。それについては言い訳しない。
 なんでそんなことしたんだ、って?
 よく、わからない。とにかく、なんでかわからないけど、あたしがやらなきゃ、って思い込んでしまったんだ。でも、その結果、ちびたちに迷惑をかけた。
 しかし、子供ってすごいな。
 ――あたしは、勘違いをしてた。
 日本に戻ってから、雪菜に救われてから、あたしは、自分さえその気になれば、何でもできる、って思ってたんだ。
 でも、違ってた。
 その気になっても、子供みたいに謙虚な気持ちがなければ、ダメなんだって。
 あたしは今日、ちびたちを助けてやろうと思った。でも、反対に、ちびたちに助けてもらったよ。
 お前、知ってたか? お前の――雪菜の子どもたちは、すごいって。
 それとも、子供ってみんな、こんなにすごいのか?
 子供の頃のあたしも、そうだったのか? 
 ――なあ、春希。





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