春希はずっと切ったままだった携帯の電源を二十四時間ぶりにオンにした。
 千晶と繋がることを恐れ切った電源。結局それはたったのワンコールが致命的となり彼女を召喚することになったのだが、結果的にはそれが春希の助けにもなった。
 
「あれ? 何だこの電話番号……?」
 
 ディスプレイを見て春希が首を傾げた。
 着信に合計四件の履歴が残っている。その内三件は友人の武也からだった。
 昨夜と今朝、そしてつい先程。
 ある意味今回の雪菜と春希のセッティングを目論んだ張本人なので、彼なりに春希を心配してのことだろうが、問題なのは残ったもう一件の履歴だ。
 それは春希の見覚えのない番号からの着信。
 頭の三桁を見れば携帯から掛けられたのが分かるが、登録されている番号ではないので当然発信者の名前は記されていない。
 
「時刻は……和泉と会えた頃? いや、もうちょい後か」
 
 コールバックしてみようかと春希は悩んだ。普段なら即座に折り返していただろうが、生憎と今は見知らぬ他人と関わるまでには心の方が快復していない。
 重要な用件ならまた掛かってくるだろうし、今コールバックして相手方に迷惑がかかってもいけない。
 そう結論づけて春希は携帯を仕舞いこんだ。
 
 ちなみに千晶は一時間ほど前に春希の部屋を後にしている。
 
「……帰るのか?」
「うん。もうあたしが傍にいなくても春希大丈夫そうだし。本当はもっとあたしにズブズブ入り込むかなぁって予想してたんだけどね」
「お前な……」
「えへへ。本当のところを言うと春希の思いの深さを知っちゃったからね。あたしみたいな女がいつまでもここに居るわけにはいかないっしょ」 
「そういう言い方よせよ。和泉には十分助けてもらったし感謝してるんだ」
「ならさ、最後にキスして欲しいなぁって言ったら春希どうする?」
「だから一々茶化すなって」
 
 別に茶化してないいんだけど、と呟き千晶が春希に向かって手を振る。
 
「またあたしが必要になったら呼んでいいよ。相談くらいなら乗ったげるから」
「あれ以上の出来事なんてそうそう起こらないって。……じゃあ、またな」
「うん。またね春希」
 
 唐突に現れたと思ったら、春希を癒してあっさり帰っていく。
 まるで鶴の恩返しみたいだ。
 そんな益体もないことを考えながら、春希は千晶が残していった空っぽのサンタ袋を見つめていた。
 
 この日の翌日、開桜社から春希宛に冬馬曜子のコンサートチケットが速達で送られてきた。
  
 
 
 
「おかえり、かずさ。珍しいわね。あなたがこんな時間まで外出なんて」
「別に遅くはなってないだろ?」 
 
 ホテルへ戻って来たかずさを曜子が迎える。
 確かにかずさの言う通り時間的には夜の九時を回ったあたりなので遅くはない。ただ最近のかずさの素行を見れば曜子がそう口にしたくなるのも頷ける。 
 
「じゃあ言い換えるわね。久しぶりに外出したようだけど、何処に行っていたのかしら?」
「うるさいなぁ。観光だよ、観光」
「観光ねぇ。今更あなたが見て回るようなところがあるとは思えないけど?」
「何処だっていいじゃないか。あたしにだって息抜きは必要なんだ」
 
 かずさが日本を訪れて以来、彼女はその時間の殆んどをホテルの中で過ごしていた。それは曜子が練習などで空けている時も変わらず、食事もホテル内で済ますかルームサービスを頼んでいる有様である。
 とても若い娘が旅行先で取る行動とは思えない。
 
「息抜きねぇ。でも結局はそれにも失敗した訳だ」
「な、何が言いたいんだよ?」
「彼に会えなかったんでしょ?」
「な……っ!?」
 
 開いた口を閉めるのも忘れ、かずさが絶句している。
 曜子がこういう風に直接聞いてくるとは思っていなかったのだろうが――惚けることもできない娘の反応を見て、曜子は小さく溜息を吐いた。
 
「あらら。鎌をかけただけなんだけど、当たっちゃったか」
「べ、別に……あいつに会いに行ったわけじゃない。ただちょっと、遠くからでも……一目見られれば良かったんだ」
「そんなことしといて未練がないですって? 笑わせるわね」
「……っ」
 
 俯いて唇を噛む娘の様子を見て、曜子は少し苛めすぎちゃったかなと反省する。
 反省はするが、かずさの反応が可愛いので改めようとまでは思わない。
 
「残念だったわね。ギター君、実家を出て一人暮らし始めたみたいよ?」
「え?」
「流石に何処に住んでるかまでは教えてもらえなかったけど。ねぇかずさ。やっぱり三年前の情報だけじゃ動き難いんじゃない?」
「……別に。たまたま近くに寄ったから顔見れたらなって思った程度だし」
「ふーん。偶々ねぇ」
 
 一ミリもかずさの言葉を信じていないとばかりに曜子の顔がにやけている。何だかその表情がムカついたので、かずさはぷいっとそっぽを向いて小さな反抗精神を示した。
 だけどこういう反応を一々相手に返すからこそからかわれるのだと本人は気づいていない。
 
「けど……そうか。あいつ実家出たんだな」
 
 春希が母親と不仲なのはかずさも周知の事実だ。
 実家を出るという行為からそれが改善されてはいないのだろうと当たりをつけ、人の事情には介入するくせに自分のことになるとからきしかよ、と心の中で毒づくことで小さな溜飲を下げる。
 
「……悔しかったらあたしに直接文句を言いに来いってんだ、馬鹿」
 
 かずさがウィーンで三年過ごしたように、春希も日本で三年過ごしている。
 時を経ても色褪せない思いはあれど、その事実は消せはしない。春希が一人暮らしを始めたという一点を見ても、情報の齟齬が互いの距離を隔てる要因になっていた。
 
「…………」
 
 電話を掛けても繋がらない。実家に行っても会うことは叶わない。
 これでは彼との接点が完全に切れてしまう。
 いや、実際は電話を拒否られたわけじゃないので、また掛ければいいだけの話なのだが、それががずさには出来ないのだ。
 もしまた繋がらなかったら。繋がっても気のない素振りを見せられたら。
 それよりも春希がかずさのことを忘れてしまっていたら。
 ――誰? なんて冷たい声で言われた日にはきっと彼女はその事実に耐えられない。
 
「……っ」 
「もう。そんなこの世の終わりみたいな顔してないの。たかが男のことじゃない」
「たかが? あんたがそれをあたしに言うのかよ?」
「そうやってすぐふくれっ面になるくらいならガンガン行動すればいいのに。待ってるだけじゃ辛いだけよ」
「待ってない! それにあたしはあんたとは違うんだ……。母さんみたいにはできない、よ……」
 
 世間をして曜子のことを色情狂なんて揶揄する人がいる。
 恋多き女なんだと。
 それはある意味真実で、その血はしっかりかずさにも受け継がれている。ただ曜子と違うのは、かずさはその愛をたった一人の男に注ぎ込んでしまうところ。
 後にも先にも北原春希という一人の男性しか想えないところ。
 曜子は難儀な娘に育っちゃったわね、と思うと同時にその一途な想いを少し羨ましくも感じていた。
  
「泣いたり怒ったり、私相手に百面相披露しても仕方ないでしょ。本当、折角の美人が台無し」
「……あんたに褒められても嬉しくない。というか馬鹿にしてるだろ?」
「してないしてない。やっぱり褒められるなら彼に直接言ってもらいたいわよねぇ」
「だからっ、そういうこと――」
「心配しないでかずさ。一応手は打っておいたから」 
「……え?」
 
 曜子はかずさに春希を自分のコンサートに招待したこと。そしてチケットの席がかずさの隣であることを告げる。
 その事実を聞いた当初、かずさは状況が理解出来ないのか暫しそのままの姿勢で固まっていた。けれどすぐにそれがどういう事態を引き起こすのかを把握すると、目に見えて慌てだす。
 それはもう傍目で見ていて面白いくらいの変化――萎んでいた風船が一気に膨らみ、そのまま許容量を越えて破裂したかのような変化だった。
 
「なっ、なな……なんてこと、してくれたんだ!?」
「あら、そんなに喜んでもらえると母さんも嬉しいわ」
「喜んでなんかないっ!」
 
 曜子は当初、この話をかずさには伏せておくつもりだった。
 送ったチケットを彼が素直に受け取ってコンサートに来てくれればいい。けれどもし彼が来てくれなければ?
 三年という時間の経過が両者の情報を著しく遮断している。
 早い話が行動が読めないのだ。
 彼が訪れなかった時の娘の落胆を思えば知らせない方がいいに決まっている。目論見が成功し春希がコンサートに来たら、それはそれでサプライズの成功だ。
 だから伏せるのが正解。
 それでも尚、曜子がかずさに知らせたのは単純に娘が不憫だったから。
 恋愛下手の癖にその想いだけは誰にも負けないくらい強くて、それなのに臆病だから震えたまま動けないでいる。
 まるで雪に埋もれてしまった仔ウサギのように。
  
「大体あいつがコンサートに来るわけないじゃないか。あたしに……会いにくるなんて……」
  
 会いたくて会いたくて堪らないのに、思いとは裏腹な言葉を口にしてしまう。
 思いとは裏腹な行動を示してしまう。
 まるで三年前のように、気のないふりをしてしまう。
 
「どうしてそう思うの、かずさ?」
「だってあれから三年も経ってる。あたしのことなんて忘れてるに決まってるじゃないか。新しい恋をしているに、決まっているじゃないか……」
 
 ツンデレからデレの要素を抜いたような態度を見せられては、春希じゃなくとも勘違いしてしまう。
 かずさの精一杯のアピールも、相手にはほとんど伝わってくれないのだ。
 そんな娘の行動が母としては愛おしく感じ、同時にとても歯痒く感じてしまう。
 
 ――もっと素直になればいいのにと。
 ――もっと前向きに考えればいいのにと。
 
 けれどそれが出来る人間なら現在こういう状況に陥っていないだろうし、そもそも三年前の時点で決着が着いているはずだ。
 
「とにかくもう賽は投げられたのよ。ギター君の元にチケットは届く。その意味が分からない子じゃないでしょ、彼は」
「……母さん」
「なによ」 
「来て、くれるかな……? あいつちゃんと、コンサート……来てくれるかな?」
 
 震える声でかずさが問う。
 唯一の味方である彼女から肯定の意味を引き出したくて。
 けれど曜子は静かに首を振った。
 
「分かる訳ないでしょ、そんなの。選ぶのは彼なんだから」
「そんなぁ。否定、するのかよ……」
「事実を客観的に言葉にしただけよ。私個人としては来て欲しいしと思ってるし、来てくれると信じてる。だって三年経ってもあんな記事を書いちゃうような子ですもの」
 
 アンサンブルの記事を見れば脈はある。そう曜子は確信していた。ただ離れていた時間と彼の性格を考えると誰かの後押しがなければ動き難いのではないか。
 そうとも思っている。
 曜子自身が動ければ動くのだが、彼女は目前にコンサートを控える身で自由が効かない。
 それに接点がまるでない今では無茶も通し難い。
 一度でもいい。かずさと春希が会えば何かが変わるんじゃないか。
 それを期待して、今彼女ができる精一杯のアピールを送ったつもりだ。
 
「かずさ。もしギター君に会えても嬉しいからって――なんだ北原じゃないか。どうしたんだお前? わざわざ大晦日に母さんのピアノを聴きにきたのか。暇な奴だな――なんて間違っても言っちゃ駄目よ」
「うっ……」
「素直に会えて嬉しいって。今でもずっと好きですって伝えなさい。男なんて単純だから案外それでコロっといっちゃうものよ」
「……あいつを馬鹿にするな」
「おぉ、怖い。けど少しは元気が出てきたようね。良いことだわ」
 
 今のかずさの表情は、この部屋へ戻ってきた時と比べ幾分明るさが増していた。 
 それを見て曜子はやはりコンサートの件を娘に伝えて良かったと安堵していた。

 

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