別のビルの地下


「ほれ、とっとと降りろ」
「降りますよ」
 孝弘は亜子の父に連れ出され、見知らぬビルの地下に連れて来られた。看板もかかってないドアが開くとそこは改装中のバーかクラブのようだった。
「なんや? 鍵かかってへんな? 誰かおるんか?」
 亜子の父の声に奥のカウンターから酒に酔った作業服姿にこじゃれたメガネの中年女が出てきた。
「なあに? マサルちゃん? 新しいホスト? こっちはまだ改装中なんだけど?」
「じゃかあしい。キョウコ。飲んどるんやったら立ち会え」
「立ち会えって、何に?」
「このガキと飲み比べする」

 『飲み比べ』と聞いて孝弘はほっとした。
「お酒の飲み比べですか?」
「そや。俺に負けたら亜子の前に二度と現れるな。どや?」
 孝弘も酒にはそれなりに自信がある。酔って潰れたことはないし、武也や大学の友人からは「ザル」と言われている。
 腕っぷしを試してやる、などと言われたならたまったものではなかったが、これならむしろ願ってもない条件だ。
「いいですね。やりましょう」

 中年女は面白がっているようだった。
「わお! でも何で『クレティシャス』とかじゃなくウチで?」
「いいから酒持って来い。まだあるやろ?」
「ま、2人で飲む分には十分。お金は払ってね」
「わかっとるわい。おい、ガキ。そっちに座れ」
 孝弘は腹を決めてソファーに腰掛けた。

「はいはい。お酒はこのコンテナとあっちの棚だけ。好きなの選んでね。ウィスキー、日本酒、焼酎なんでもござれ。あいにく種類はないしちょっと高いけど、良心価格にしとくわ」
 女が示した古びた保冷コンテナと棚には様々な種類の酒があった。
「好きなのでいいんですか?」
「ああ、いいわ。ルール決めとくで。まず、使うのはこのグラスや」
 亜子の父はそう答えて、容量を示す線の入ったバカラグラスを2つ、テーブルに置いた。説明されたルールは次のようなものだった。
『自分の番で新しいボトルを1つ選ぶ』
『選んだボトルから2つのグラスに酒を注ぎ、相手に好きな方を選ばせた後、互いに飲み干す』
『同じボトルから、次は相手に注がせ自分が選び、互いに飲み干す』
『最後にもう一度、自分が注いで相手に選ばせ、互いに飲み干し、相手の番になる』
『飲むグラスが決まってから3分以内に飲み干せないと負け。こぼしても負け』
『注げなくなっても負け。両方のグラスを線を越えて注いだら注ぎ損ねと見なす。注いだ酒を別のグラスやボトルに戻すのもなし』
『グラスを選んだ後、水割りにするのは自由。ただし、口を付けた後水を注ぎ足すのはなし』
『チェイサーはグラスをカラにした後、そのグラスで一杯だけ可』
『トイレは自分の番終了時に行っていいが、吐いたら負け』

「どや? 質問はないか?」
「なんで一つのボトルを最後まで飲まないんですか?」
「自分の得意の酒だけで勝負しようとするやつがおるからな。日本酒ならなんぼでも飲めるとかいうオカシな奴が中にはおるからな」
 そう言って、亜子の父はウィスキーのボトルを1本取った。
「あと、注いで飲むだけやとペース速くなって危ないからな。水で割るのもありにせんと。自分の加減もわからず飛ばして急性アル中やるやつおる…お前、自分の限界はわかっとるか?」
 孝弘は首を横に振った。亜子の父は顔をしかめた。
「ホンマにガキやな。救急車は自分で呼べよ」
「携帯ないんですが」
「…そやったな。キョウコに貸してもらえ。ただ、勝負の最中に助け呼ぶのはなしや。あと…」
 亜子の父は万札8枚を孝弘の前に置いた。
「携帯の弁償代や。足りるやろ? 勝負の前に貸し借りは無くしておかんとな。お前とはコレきりやろしな」
 内ポケットから無造作につかみ出されたその札はしわが寄っていた。財布に入れたくない金だ。孝弘はその金をテーブルの隅によけた。

 女が水さしを持ってくると
「じゃ、俺が先攻でやってみるわ。…これなんぼや?」
「オールドパー12年、5000で」
「ん」
 女の示した価格に応じ、亜子の父はテーブルの真ん中に5000円札を置く。
「これは?」
「『金を掛けないバクチはない』ウチの家訓や」
「あの人に払わなくて良いんですか?」
「お前が勝ったらな」
 女は苦笑しつつ。
「ま、マサルちゃんが勝ったら払ってもらうからいいけど。この勝負見るのも久しぶりよね」
 その言葉を聞きつつ孝弘は考えた。
 どうも、亜子の父はかなりこのルールの勝負に慣れているようだ。ルールがややこしいのも、勝負を繰り返すうちに必要になって作ったものだろう。
 しかし、ルールがどうあれ飲む酒の量が同じな限り勝機はある。
「わかりました。続けてください」

「ふん…」
 亜子の父が酒をグラスに注ぐ。
「ほれ、選べ」
 右のグラスの方がやや少ない。孝弘は迷わずそちらを取る。
「水割りはいいんですよね?」
「ああ」
 そう答えつつ亜子の父も水で割り、ちびちび飲み始める。どうも亜子の父も孝弘同様ゆっくり飲む方のようだ。
 マトモな勝負かどうか警戒していた孝弘もグラスを水割りにして飲み干した。ひさびさに飲むウィスキーは香りがヤケに甘く感じた。

「これで次は自分が注ぐ番ですね」
「そや」
 注ぐ時に勝負を焦って両方のグラスに注ぎ過ぎたら負けだが、よほど酔わないとそういうミスも有り得ない。孝弘は難なく注ぐ。
「はいどうぞ」
「ふん、こっちや。要領わかったか?」
「3杯目で余ったボトルの残りはどうするんですか?」
「それも勝負がついた時点で勝者総取りや」
「わかりました」
「で、やるんか? 今なら帰っても構わんぞ? 酒なんて飲めないやつはどうがんばっても飲めへんのやからな」
「やりますよ」
 孝弘は手早くグラスを空にし、ボトルを返す。

 続く亜子の父の3杯目もすぐ空になり、孝弘が酒を選ぶ番になった。
 コンテナの酒を見るが、酒の知識のあまりない学生の孝弘には種類以外ほとんど何が何かわからない。しかたなく、一番無難そうなラベルで容量も小さい日本酒を選んだ。
「栃木の辻善兵衛五百万石純米吟醸、2000円でいいわ。日本酒好きなの?」
 中年女に聞かれて孝弘はちょっと困った顔で答える。好き嫌いがあるほど酒を飲んだ経験はない。
「ま、まあウィスキーに比べれば飲み慣れてます」
「ゴメンね。この人がキライだからあまり置いてないの」

『ん!?』
 孝弘は驚いた。飲み比べ勝負の最中に『○○が嫌い』などという情報は亜子の父を不利にするものではないか?
 亜子の父も顔を渋くして答える。
「クラブで日本酒なんてそんな出るか。余計なこと言うなや」
 それに対し、中年女はクスリと悪戯っぽく笑う。
 どうやら、面白半分ではあるがこの女性は孝弘にそれなりに味方してくれているようだ。相手の土俵で勝負させられている孝弘にはありがたい。少しアウェイ感が薄れた。
 亜子の母親ではないようだし、どういう女性か解らないが幸いにも亜子の父と共謀して孝弘を陥れるような人では無さそうだ。

「日本酒お嫌いでしたか。すいませんがどうぞ」
 注がれたグラスを飲みつつ亜子の父は返す。
「勝負やししゃあないわ。ほれ、こんどはこっちや、貸せ」
 そう言ってビンを受け取った亜子の父は、グラスに四分の一、線よりかなり下までしか注がなかった。
「ほれ」
「……」
 なるほど。線を越えなければ良いわけだから嫌いな酒なら自分の注ぐ番にはこれもありか。しかし、自分の番に選べば2回注げるから、相手の嫌いな酒を選ぶに越したことはない。
 嫌いな酒イコール苦手な酒かは解らないが、少しでも有利になる可能性を選ばなくては…
 孝弘は勝負に頭を巡らせていた。しかし、この時点で仕掛けられていた罠には全く気づいていなかった。




 そうして何巡かするうちとうとう日本酒は品切れになった。さすがに孝弘も少しずつ酔いが回ってきた。
 しかし、亜子の父の方は傍目には何の変化も表れていなかった。だが、顔に出ないのは孝弘も同じこと。
 日本酒がないなら次は何にしよう? 同じ醸造酒の方がいいだろうか?
 動きの鈍った頭でそう考えた挙げ句孝弘はワインを選んだ。
「シチリアのネロ・ダーヴォラ。3000にしとくわ。ゴメンね、ワインもあまりないの」
「そっちはお前が飲んでまうからやろ。ちゃんと開店までには買っとけよ」
「シチリアってどこでしたっけ?」
「学のないやっちゃな。イタリアや」
 亜子の父は鼻白んで答える。

 ここで少し酔いの回っていた孝弘は思わずマヌケな問いをした。
「ん…おじさんはシチリア出身なんですか?」
 中年女は吹き出し、亜子の父は呆れて返した。
「はあ!? んなわけあるかい? …沖縄や。もう何十年も帰っとらんがな。亜子の生まれる前や」
「そうですか」
「それから福岡、神戸とか転々として、10年ほど前に東京へ出てきた…」
 亜子の言ってた夜逃げの件か、と気づいた孝弘だったが、詳しく聞くつもりはなかった。
 しかし、亜子の父の方からペラペラしゃべり始めた。
「震災の後もしばらく商売をしとったが、こらえられんようになってのう。亜子らには迷惑かけたわ」
「……」
「まあ、東京で一山当てられたから良かったわ…のう、わいがどうやってこうやってのし上がって来れたかわかるか?」

 孝弘は興味なさげに首を振りつつワインを注いだ。亜子の父はそんな孝弘に構わず、グラスを飲み干すと自分のウィスキーボトルを選びつつしゃべり続ける。
「発展せえへん駅のまわりにはなあ、ひとつ共通点があるねん。それはな…」
 それを聞くうちに孝弘は思いあたった。
 ひょっとして亜子の父の方も酔い始めているのではないか? 亜子も酔うとやたらしゃべる質だ。もしかして…
 孝弘は少しずつ見え始めた勝利の気配を慎重に探るべく、亜子の父の話に相づちをうった。
「へえ、それはまた幸運でしたね」
「幸運…まあ、そやな。でもな、そんなラッキーばっかり続く訳ないねん。人間万事塞翁が馬言うてな…」
「…へえ、何があったんですか?」
 間違いなく亜子の父が酔い始めていると確信した孝弘は嬉々とした心の内を悟られぬよう、相づちでごまかしつつ勝負を進めた。




 しかし、亜子の父はしゃべり続けつつも全くつぶれる様子を見せなかった。対して、孝弘は苦しくなってきた。平衡感覚が失われ、真っ直ぐ座っていられない。酒を均等に注ぐこともだんだんあやしくなってきた。

「おい。自分、さっきからふらふらしとるで。もうあかんのちゃうか?」
「まだ。まだまだいけますよ。僕の番ですね…」
 孝弘は棚の方に頭を向けた。もうワインもない。しょうがない、ウィスキーか焼酎だ。
「すみません。その響とかいうのを」
 棚からそのボトルを取った女は申し訳なさそうに言った。
「響21年、35000円」
「!? すいません。別のを…」
 高さに驚いた孝弘は別の酒、凝った装飾だが容量の少ない瓶を選ぶ。
「森伊蔵、楽酔喜酒。12万で出しちゃダメかな?」
「へ!?」
 驚く孝弘だが、亜子の父は呆れたように言う。
「値段の決まってる奴以外、原価割れてなかったらキョウコの好きにせえな」
「うーん。さすがにこれ以上は無理よね」
「あの、別ので!」
 慌てる孝弘を嘲笑うように亜子の父は告げる。
「てか、もうさっきので残った焼酎、プレミア焼酎ばっかになったんちゃうか?」
「てか、あんたたち飲み過ぎ。本気で店潰れるわよ」
「まあ、もう終わりやろ。こいつ、タネ銭尽きたみたいやしの。のう、残りで一番安いやつ、なんや?」
「ボウモア18年、15000円」
「……」
 さっきまで3000や4000、高くても6000、7000円までの酒ばかりだった。亜子の父のも最高で10000円程度のものばかりだったのに。
 いや、亜子の父もこちらの財布の中身を見越して安い酒から頼んでいたのだろう。孝弘は罠にはまったことを悟った。

 亜子の父はしたり顔で言った。
「『常に財布には金を入れとけ』ウチの家訓や。ま、正直お前がここまで飲むとは思ってなかったがな」
「…財布に入れときたくない金もあるんですよ」
「そうか? まあ、その金もなくなったみたいやけどな」
 先ほど亜子の父が渡した携帯代の8万はもうほとんどなくなっていた。

「で、どうするんや? 続けるか? 負けても亜子の前に現れへんかったらええだけやで。タク代あるうち帰った方がええんちゃうか?」
「あ、ちょっと考えさせて下さい」
 孝弘は立ち並ぶボトルを一瞥した後、顔を上げて思い耽った。
 なんで、自分はこんな勝負を受けたんだろう? 相手の土俵で勝負すればこれぐらいの目に遭うことくらい予想できたろうに。
 そもそも亜子とつき合うことだけ考えたにせよ、人にいきなり蹴りかかってくるような父親を相手取る事自体馬鹿げていた。
 では、何で自分はそんな大胆な、馬鹿げた真似をしてしまったか?
 酔って動かない頭で考える孝弘の脳裏に浮かんだのは亜子ではなく小春の顔だった。考え悩む事自体がばかばかしかったと悟った孝弘は考えるのを止めた。

「考えついたか? 何考えとったんや?」
「…運命についてですかね」
「そうか。で、荷物まとめて帰るか?」
 孝弘はけだるい口調で答えた。
「俺のカバンどこだったッスかね…」
 その目はもはや焦点を結んでいなかった。



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孝宏や亜子の名前が無ければWA2のssとは思わないかも。まだまだ途中段階の話の様なので具体的なコメントが書けませんでした。次回の更新待っています。

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Posted by tune 2014年10月28日(火) 18:37:45 返信

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