陽光注ぐ土曜日。講義もあるはず無く先輩の部屋へ遊びに押し掛けたのに私はなぜか一人掃除をしていた。
「うう…。先輩とお出かけしようと思ってたのに」
いくら激務で有名な出版業界だとはいえ就職二ヶ月目の新入社員を頻繁に休日出勤させるのはいかがなものかと
上司に小一時間程詰め寄りたい気持ちを抱えつつ掃除の手は休めなかった。

とはいえ普段から小奇麗に保たれている彼の部屋は一見すると掃除の必要性は感じない。
「先輩、身の回りのこと全部自分でしちゃうし料理の腕もあまり変わらないしなぁ」
お節介を焼くにもなかなか隙を見せない彼に思わず愚痴がこぼれる。
目に付いた電卓を収めようと、小物の収納位置を覚えていた自分に意味の無い満足感を覚えつつ、
引出しを開けると中は珍しく雑然としていた。
勝手に引出しの中まで整理することに抵抗は感じつつもやっと見つけたお節介の種を簡単に手放せるはずもなく
「変に移動させなきゃ整理しても大丈夫だよね?」
などと自分に言い訳をしつつ作業に取り掛かる。

そしてボールペンや乾電池の予備等日用品が収められたその奥で異彩を放つそれに気づく。
黒の直方体に横に切れ目の入ったそれは女の子にとって特別なものが収められているものに見えて…
「え…これは指輪?」
汚れては無いけれど、されど新品でもないその箱がどうしても気になった。
服装は清潔感重視で基本的にオシャレに無頓着な彼が自分用にこういったものを持っているとは思えない。
だからといって新品で無いそれが自分への贈り物である可能性も考えにくい。
「そもそもこんなところに指輪なんて置かないよね。きっと別の…」
かすかに震えるその手で箱を取り開いてみ…中身を確認するやすぐに閉じてしまった。
「あ…、ぅあ…」
見間違えるまでもなくそれは指輪、しかも一目見てそれは明らかに女性用サイズでそれ以上直視できなかった。
もし自分と関係の無いイニシャルやメッセージ等が彫ってあるのを見れば心が折れてしまっただろう。

彼の付属時代からの話は一応聞き及んでいる。むしろいらぬお節介を焼こうとして巻き込まれて…
あの4ヶ月は思い出すだけで今でも胸が苦しくなる。
去年の冬、大学受験の最終日に出会った女性のことを思い出す。
『小木曽雪菜』
ミス峰城大付3連覇、小木曽孝宏の姉、春希先輩を3年間苦しめた女。
泥棒猫と罵られてもいい私の状況を案じてわざわざ励ましに来てくれた人。
画像や映像で見たその人は実際に会うとものすごくきれいな人だった。
話してみれば優しくて、素敵で、ちょっといじわるで、やっぱりきれいな人だった。
正直女として敵う気はしない。
そんな「モトカノ」の影がちらつくとどうしても自信が持てない。
先輩が好きだと言ってくれることを疑うことはないけれどそれは別問題なのだ。

「そもそもあんな人に一途に思われていてなんで浮気なんてしたんだろう?」
今まで詮索してこなかった部分にまで思考を巡らせてしまう。
『冬馬かずさ』
国際的ピアニストの階段を上る新進気鋭、冬馬曜子の娘、三角関係の最後の一人。
近い世代のOGで1年生時からコンクールで優勝したりしていたなんて話を諏訪先生がしていた。
卒業旅行の打ち合わせではヨーロッパなら彼女に会えるかもなんて愚にもつかない話をしたのを覚えている。
付属にいづらくなる少し前ヨーロッパのあるコンクールで準優勝したことが開桜グラフで取り上げられ
それをきっかけに学内で話題になった。
その後発売された特集記事を載せた音楽雑誌は表紙のインパクトもありあっという間に全国的に売り切れ状態。
学内での人気の過熱ぶりも同じで回し読みで読んだその過激な内容の記事は今でも鮮明に覚えている。
そして気づいてしまった―――
「あの記事を書いたのは先輩?」
開桜社は先輩の就職先で大学時代からのバイト先だ。
なによりあの記事の内容は冬馬かずさの学生時代を隣で見てきたようなリアリティで溢れていた。
あんな不良少女を北原春希がほっとけおけないのも痛いほど理解できる。
写真の凛々しい姿からは想像できないそんな彼女は何を思って先輩と過ごしていたんだろう…
浮気が成立する以上彼女もまた先輩のことが好きだったんだろう…

「だめだめ!」
暗い情動を抱いて自己嫌悪する頭をリフレッシュしようと二度三度と振る。
しかし彼の過去の女性がどちらも高めの、言っては悪いが一見釣り合いが取れそうにない程であることが
どうしても頭から離れない。
私は先輩のことが好きで先輩が私を好きでいてくれる。けれどそれとは別に女としての勝負で
まったく勝てる気がしないことに落ち込む。……ということにしておく。
あの文化祭のDVD…子供みたいに笑って、カッコつけながらギターを奏でる私の知らない先輩。
自分では引き出せないあの表情をさせてた二人にどうしようもなく嫉妬してしまうのは気づかぬふりをする。
「彼女にこんな思いさせるなんて先輩はほんと非道い男ですね!
これは指輪の一つでも買ってもらったって罰は当たらないですよね」
などとひとり呟きながら今度こそ考えを中止する。
普段はデートでもなるべく節制するよう口を酸っぱくしているが今度ばかりは高価なモノを
おねだりしようかなと思いを馳せてると携帯のバイブレーションがメールの着信を伝えてきた。

From:春希先輩
件名:今日はゴメン
やっと仕事の目処が付いてきた。思ったより早く終わりそうで
3時過ぎには解放されそうだけどどうする?
いいお店を聞いたので外で落ち合って適当に時間潰してから夕食なんてどう

例え出社したとしても休日なのだから体を休めないといけないということと夕食でも仕込みながら
部屋で待っているという旨を打ち込み返信すると夕食の材料に使えそうなものをチェックするため立ち上がる。
そろそろ練習の成果を見せつけて先輩にいいこいいこってしてもらうのだ。
そしていつかは給料三ヶ月分の指輪に見合う女性に…
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