……自分の部屋に帰り着くまでの時間が、とても長く感じたのは久し振りだった。
 雪菜とともに部屋へ入るまでが、これほどもどかしく感じたのも。

「ん、ふぅ、あ……」
「ん、んん……」

 唇を重ねながら衣服を剥ぎ取るかのように脱がし、生まれたままの姿でベッドに横たわり。

「ふぁ、あふ、ううぅん……」
「んく、ちゅむ……」

 たっぷりと唾液を交換し、お互いの性器を愛撫し、心も身体も昂らせ。

「……いいか?」
「うん。きて」

 二人、一つに溶け合って肌を合わせても。
 何故か、雪菜は震えたままだった。

「……寒い?」

 雪菜が首を横に振る。

「じゃあ、ひょっとして痛い?」

 これも否定する。

「……どうしたんだ?」

 雪菜の表情は、何故か少し怯えているようだった。
 別に、今回が初めてではないのに。

「……怖い、の」
「怖い?俺が?」

 だとしたらまずいな。強引に進め過ぎたか?

「……終わっちゃうのが、怖いの」
「終わるのが……怖い?」
「あの時みたいに、楽しかった時間が終わっちゃうのが、すごく怖いんだよ」

『お祭りの後も、ずっと騒いでいたい。三人でいたい。
 お祭り前の日常に戻るのは、もう嫌。
 だけど、仲間外れは、もっと嫌、なの』

 ああ、そうか。
 祭りの後に、大切なものを何もかも失ったことが、雪菜にとってとても怖いことなんだ。
 中学の時に友人を失ったことが。付属の頃に俺を、かずさを、歌を失ったことが。
 雪菜にとって、かけがえのないものを失った過去の数々が、今でも癒えていないんだ。

「雪菜、大丈夫だよ。俺は、ここにいるから……」
「春希くん……」

 そしてそれは、かつて俺がつけてしまった傷。
 そして、これから癒していかなければいけないもの。

「あ、はぁ、ふあぁ……」
「う、く、つっ……」

 でも、それはやり方を間違えてしまえば。
 さらに傷口を広げてしまう。

「いぁ、は、春希、くん」
「せ、雪菜」

 同情や、憐みではなく。
 優しさ、愛しさで包み込まなければ。

「あ、ああ、ああっ」
「う、つぁ、ああっ」

 俺には、できるはずだ。
 雪菜を世界で一番愛している、今の俺なら。

「は、春希くん、わ、わたし、もうっ」
「あ、ああ、俺、も、もう」

 雪菜を、守っていける。
 雪菜を、ずっと守り続けたい。

「あっ、あああああああああああああぁぁぁぁぁっ!」
「くっ、あ、あああああ」

 ……雪菜も、そんな俺を、信じてくれているはずだから。





「……杉浦が?」
「うん、初日にね。
 ね、話してくれない?ステージに出なかった本当の理由」

 全く、本当にお節介が好きだな杉浦は。俺にまでこう思わせるなんて、筋金入りだぞ。
 でも、確かに今がいい機会なのも事実。ひょっとしたらまた雪菜を悲しませるかもしれないけど、俺の中の一つのけじめをつけるためには避けては通れない。

「じゃあ、聞いてくれるか?雪菜にとっては、嫌な話かもしれないけど」

 ……それからは、止まらなかった。
 俺がギターを弾かない本当の理由。
 俺のギターは、雪菜のためだけにある。
 他の誰にも、聴かせられない。
 だから、もう弾かない。かずさを、引き摺る訳にはいかないから。
 ……雪菜をもうこれ以上。悲しませる訳には。怖がらせる訳には。寒がらせる訳にはいかないから。

「……」

 雪菜はただじっと、俺の話を聞いているだけ。
 何も言わずに、ただじっと俺を見詰めるだけ。

「……だから、俺はギターは弾かない。おそらくもう、二度とな」

 話が終わり、ようやく俺は一息吐いた。
 雪菜は一度目を閉じてから俺の胸に顔を埋め、再び目を開けて俺を見詰めた。

「……春希くん」
「何だ?」
「聞かせてくれてありがとう。話してくれてありがとう」
「……ああ」
「ごめんね。無理なお願いしちゃって、春希くんを困らせちゃったね」
「いいんだよ。雪菜の気持ちも分かるし。
 俺の方こそごめんな。雪菜の気持ち分かってたのに結局断っちゃってさ」

 雪菜はふと、何かを考えるような仕草をし、腕を俺の首に回して囁いた。

「じゃあ、代わりに今からのわたしのお願い聞いてくれる?」
「ああ、いいよ。何でも言ってくれ」
「じゃあね、最後に一度だけ、もう一度だけ弾いてくれる?」
「え……」
「最後にもう一度だけ、春希くんのギターを聴きたい。
 わたしだけのために、もう一回だけ」
「雪菜……」
「春希くんとわたしの、二人で前に進みたいから。お願い」

 ……二人で、か。
 そうだな。二人で前に進むのなら、二人で決めなくちゃいけないか。バレンタインコンサートに出た時みたいに。

「じゃあさ、俺の頼みも聞いてくれるか?」
「弾いてくれるなら、ね」
「俺のギターで、歌ってくれるか?」
「春希くん……」
「俺のためだけに、俺のギターに合わせて、さ」
「うん。もちろん。
 わたしも、春希くんのギターで歌いたい」
「よし。じゃあちょっと待ってろ。今準備する」

 俺はベッドから起き上がり、ケースからギターを取り出す。
 雪菜も起き上がり、ベッドの縁に腰を下ろす。
 チューニングを済ませながら俺も雪菜の隣に座る。お互いの肌が触れ合う程の距離に。

「よし、準備できたぞ」
「うん。わたしはいつでもオッケーだよ」
「じゃあ、始めるか」
「隣の人、夜勤なんだよね?大丈夫?」
「ああ、大丈夫。心配ないよ」
「じゃあ、始めよう」
「ああ。観客は俺と雪菜の二人だけだけど」
「うん。やろう?わたしと春希くんだけのコンサートを」

 そして、始まった。二人だけの打ち上げが。
 もちろん、弾く曲は決まっている。
 俺と雪菜の、絆の曲。

「「『届かない恋』」」





 ……演奏が終わり、再び静寂が訪れる。
 雪菜はベッドに上がり、俺の背中から腕を首に回して抱きしめた。

「ありがとう、弾いてくれて」
「雪菜も、歌ってくれてありがとう。
 正直、半年以上も弾いてなかったから俺の方は全然だったけどな」
「春希くん」
「何?」
「……本当に楽しかった」
「そうか……」
「やっと夢がかなったよ。春希くんと二人でこうして大学祭回るの」
「そうか」
「こんなに充実した気持ちで終わることできて、本当に嬉しかったよ」
「ああ……俺もだよ」
「そうなんだ……」
「俺も、雪菜と二人で、こうした形で終わらせられて、本当に良かった」
「最初の年はぐだぐだで終わっちゃったもんね」
「ごめんな、あの時は」
「ううん、それはわたしもだから、謝らないで」
「じゃあ、おあいこってことで」
「うん、おあいこ」

 お互いに見つめ合い、くすくすと微笑む。

「……終わっちゃったね」
「でも、また始まる。俺たちの一日が」
「うん」
「そうだ、明日……っていうかもう今日かな?皆で集まろうか?」
「皆で?」
「ああ、武也たちも誘って」
「いいね、そうだ、なら朋のミス峰城を祝うのはどう?」
「そうだな。皆が集まるにはちょうどいいな」
「そうだね。そうしようよ」

 雪菜の鼓動が、温もりが、背中からしっかりと伝わってくる。
 雪菜がそばにいてくれる、そうすれば俺はまた始められる。
 そう、終わりじゃない。新しい始まり。
 それならまた前に進む力になる。
 俺たちは、一人じゃない。二人でいられるから。
 そして、そんな俺たちを今まで支えてくれた、これからも支えてくれる人たちがいる。
 武也、依緒、柳原。かつての俺たちを知る人たち。
 麻理さん、和泉、杉浦。かつての俺たちを知らない人たちも。
 俺たちと繋がっている人たちと一緒に、俺たちは生きている。
 そんな人たちに俺たちは支えられている。
 だから怖がることはない。
 俺も、雪菜も、二人で支え合っていけばいい。
 今の俺たちは、一番近くにいられるのだから。
 だから、大丈夫。そしてこの言葉を自分にではなく相手に伝えられる。
 俺たちは、もう、大丈夫なんだと。海の向こうにだって伝えられる。

 ――俺たちは、大丈夫だよ、かずさ……。
 ――俺と雪菜は、もう、大丈夫だ……。

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