７ ウィーンの小木曽雪菜 ／ 2015年３月8日
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ushigara_neko 2015年06月22日(月) 13:54:10履歴
複雑な思いを抱えたまま、練習を早めに切り上げて、かずさは、ハイリゲンシュタットの家を出た。
ウィーンに来て以来、一人で出歩くことは殆どなかった。
豊かな緑と、入り組んだ水路を眺めながら、地下鉄の駅へ向かう。
雪菜に会いたいのか、会いたくないのか、未だに分からない。だから、タクシーを呼ぶ気になれず、ゆっくり歩いた。
春希と二人、手をつないで歩いたなら、この道を歩くのは苦痛じゃなかった。だが、今は一人だ。素晴らしい景色を見ても、心は落ち着かない。
U-4に揺られて、シュテファン・プラッツへと、オフィスへと向かう。
本当は、春希と片時も離れたくなかった。だが、営業に必要な来客や、メールでは済まない打合せを行うために、中央駅側のオフィスが必要だった。
かずさが着いた、約束の二十分前、春希はまだ仕事をしていた。
春以降の、全ての企画を白紙に戻すことにした。昨日の夜、曜子が帰ってから、二人で相談して、そうすることにした。今の状態を、ハンパにやり過ごせると思えなかったから。その調整、だろう。
「悪い。お前が来る前には片付くはずだったんだが」
「良いよ……。何か、甘いものさえ食べられたら、チャラにするよ」
「了解。じゃ、行こうか。大聖堂まで、迎えに行くことになってる」
「うん」
二人は、少し抱き合って、軽くキスをする……。お互いの愛を確認するために。
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
既に春希は、雪菜の声を聴いていた。
「Guten Tag, ist es ein Touma Yoko Büro？」
そう語った声は、湿ったトーンをしていた。
「Ja」
「Ich bin Setsuna Ogiso」
「久しぶり、雪菜。と、呼んでも良いか」
「当然よ。ありがとう、春希くん……」
変らない、鈴を転がすような日本語を聴いた時、春希の心の抉られた場所、引き剥がせない想いが残る場所に、再び痛みが走った……。
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
「あれ、ひょっとしたら、冬馬かずさじゃない？」
「うわっ、そうだよきっと」
「なに、凄い美人……」
「髪、きれ〜」
「うわ、ホントきれい……。でも、きっつそうな感じ」
近頃は若い日本人の観光客が多い。きっと、卒業旅行のシーズンだからだ。
二人は、肩を並べて、シュテファン大聖堂へ向かう。数人の日本人観光客が、かずさを見つける。日本のクラシック・ファンには、ウィーン在住の冬馬かずさのことは、有名だから。
けれど、声をかけることはできない。何故なら、かずさが、頗る険しい目つきをしていたから。その気性の激しさも、また有名だったから。
「祭壇の前にいるそうだ」
春希が、かずさに声をかける。かずさは、緊張している。
二人は、大聖堂の中に入り、混み合う人の間を抜け、ゆっくりと奥へ向かう。
すぐに、分かった。
祭壇に向かって立つ、真っ赤なロングコートを着た、明るい色の、長髪の女。
二人は近寄る。
女は、振り向く。その視線が、一瞬、二人を射抜く。
唇が噛み締められていたようだった。
だが、瞬間に笑顔に変わる。
「Lange nicht gesehen……. Wie geht es Ihnen？
どう？ 上手でしょ？」
雪菜が小首を傾げるが速いか、かずさは雪菜に抱きついていた。
「雪菜……」
「ありがとう……、わたしの親友……」
雪菜は、かずさの背に手を回し、かずさの耳元で囁いた。
「……久しぶり、雪菜」
春希は、雪菜の目を見ることができない。
「ちょっと、痩せたみたいね。春希くん」
雪菜は、かずさの髪を撫でながら、言う。
「Medizin war zu sehr wirksam」
春希は曜子に言ったのと、同じ返事をした。
「ふふふ。まだまだ、だよ……」雪菜は、笑った。
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
「西御宿の事務所より、広いんじゃない？」
「そうだな。コート、貸して」
春希は雪菜から受け取って、クロークに片付ける。
かずさは、春希と並んで、自分のコートを片付ける。それから、事務机が見える方向の、二人用ソファーの定位置に陣取る。
大聖堂から帰る道すがら、かずさと春希はあまり話もせず、ケーキを五ピース買って、雪菜をオフィスへと案内した。
電話と、業務用windows|PC二台、来客用ソファー、ステレオ、冬馬曜子オフィス所属アーティストのCD、簡単なDTM用機材、Mac Book Proと NAS一台、お遊びのシンセサイザー、フェンダー・ローズ・ピアノ、小さなアンプ……。それらがオフィスの備品だ。
「コーヒー、入れてくる」
春希は、簡易キッチンに向かう。
「雪菜、そこの席で良いの？」
「うん。ありがとう」
雪菜は、その横の一人用のソファーに腰を下ろした。
ピンクの膝丈のスカートから、美しい足が伸びている。
「静かだね」
「時々、遊びで弾くことがあるから、防音はしてある」
「……ギターは、置いて無いのね」
「無いな。家にもね」
「……ふーん」
マグカップ二つと、客用カップ一つをトレイに載せて、春希が帰ってくる。
春希は、かずさの横に座った。
「かずさの甘党は、やっぱり変らないね」
三つ並んだケーキを見て、雪菜は微笑んだ。
かずさが、二つ平らげたところで、春希は「CD、聴いたよ」と言った。
かずさのフォークが、ピタッと、止まった。
春希のレモンチーズケーキは、あまり減ってなかった。
「かずさが、食べ終わってからでも、良いんじゃない？
もう、相変わらず、空気を読まないなあ、春希くんは」
雪菜は、ザッハトルテの小さな欠片を、口にする。
かずさも、三つ目に取りかかる。
「……二人とも、怒ったよね？」
食べ終わったかずさを見て、雪菜が静かに切り出した。
かずさが、口を開く。
「驚いた。何が何だか、分からなくて。
いきなり、胸ぐらをつかまれて、殴られた感じだった。痛かった。
だから、最初は怒ったよ、あたしは。
でも、何に怒っているのか、分からなくなって……。
それから、凄く、悔しいと、思った。噛んだ唇から血が出たよ。
曲を使われて、腹が立った。悲しかった。辛かった。
そして、恥ずかしい気持ちで死にそうになって。
でも、雪菜の声を聴くうちに、懐かしい気持ちと、誇らしい気持ちが湧いて来て……。
そして、『Twinkle Snow』を聴いて、泣いて。
『White Album』を聴いて、泣いて。
また、『優しい嘘』に戻って、泣いて。
二回目からは、ずっと、泣きっ放しさ。歌詞カードを読みながら、一緒に歌って。
三回聴いたら、もう歌詞は覚えていて、歌いながら、指が動いて。
四回聴いたところで、春希が帰って来て……」
かずさは、ストレートに言う。そうすると、決めていた。何も、強がる必要は無いと思っていたから。
「ありがとう……。ありがとう、かずさ……」
雪菜は、両手を握り、俯いた。スカートに、涙が数滴、落ちた。
かずさが手を伸ばし、雪菜の両手を包んだ。
「ごめん。わたしはまだ、正直、ありがとうとは、言えないんだ……。色々、思うところがあって。でも、これだけは言うよ。歌詞は、ちょっと色々痛いけど、雪菜の歌は、本当に素晴らしいよ。
おめでとう。もう少しでミリオン・セラーだってな。あたしは、雪菜のことを、誇りに思うよ」
「かずさは、わたしが、今、一番、聴きたい言葉を、言ってくれたよ。
ホントに、本当に、ありがとう……」
雪菜がソファーから降りて跪く。
かずさは、雪菜の頭を抱いた
「……二人とも、こっちに座れよ」
春希は、二人掛けのソファーから、腰を上げ、二人を誘い、正面に、座り直す。
「うん」かずさは、雪菜の手を引き、並んで座り直す。
一頻り泣いた後、雪菜は訊く。
「春希くんは、……どう思った」
「俺は、驚いた。でも、かずさが聴こうというから……。
聴いたら、一曲目からもうダメだった」
「春希は、ブルブル、震えてた」
「そう、だな。怖かった」
「何、が」
「自分の中に……」
�猝気�ならない罪の意識と、それを超える�瓠峇尭阿�湧いて来て、打ちのめされることが分かったから」
「春希くん……」
�爐�ずさの体温が上がって、泣き続けてるのが分かってて、俺も、泣きそうになって……。泣くのが怖くて、我慢してた。けれど……��
「『Twinkle Snow』を聴いたら、俺もダメだった。頭が真っ白になって……。
かずさと、二人で聴いてたら、俺たち、どうなってしまうのか、怖くなって、止めてくれって言ってしまった。
でも、嘘は言いたくないから、本当の気持ちを、言うよ。雪菜は、凄いよ。森川由綺を聴いて以来の感動だった。
おめでとう。かずさと、雪菜は、冬馬曜子オフィスの二枚看板だな」
「そんな、おこがましいよ。まだまだ、かずさの足下には、全く及ばないよ。
自分でも分かっている。でも、春希くんも、ありがとう。嬉しいよ」
雪菜は、本当に嬉しかった。
……でも、その気持ちの底に、少し暗い泉が湧いたのを感じた。
かずさと春希の、隠し事の無い、二人の愛を見せつけられた気がして。
�爐笋辰僂蝓△舛腓辰塙謀呂蠅世吻�
「二人には、特にかずさには、嫌な思いもさせたと思う。
でも、わたしは謝らないよ。
悪い、とは思ってる。でも、謝らないよ」
雪菜は、ゆっくりと、言った。
かずさと、春希は、雪菜を見て、そして、お互いを見つめて、二人で頷く。
「雪菜、俺達、この盤の評価について、嘘は言わない」
それは、そうしようと決めていた。
「雪菜というアーティストを心から認めるし、尊敬し、祝福する。
でも、何故、許可もなく、かずさの曲を使ったのかだけは、訊いておきたい」
「正直言うと、今となっては、使ってくれたこと自体は、問題ないんだ。
ただ……、その……、何故、不意打ちなんだ？」
「一年前、曜子さんから、かずさの曲に、わたしが詩を載せて、歌いたいと言ってるって、連絡していたら、許してくれたかな」
それは、かずさも考えていた。でも、「……分からない」というのが結論だった。
「春希くんは、どうだった？」
「俺も、……分からない」
「じゃあ、そういうことだよ。
わたしは、どうしても、かずさの曲で、歌いたかった。
曜子さんから、かずさの残した曲の断片の入った、MP3データをもらったの。
それこそ、何十回、聴いたかな」
それは、恐ろしい苦痛の続く、地獄巡りのようだった。
「レッスンの合間に、寝る間も惜しんで聴いて。全部、覚えて。メロディーが足りない所は、曜子さんと相談しながら、作ったの。かずさならこうするんじゃないか、って、言いながら、ね」
「何故、あたしの曲に拘ったんだ。母さんの知り合いに、良い曲を書く人はいっぱいいるだろ」
「だめだよ。それじゃ、意味がない。
だって、わたしは、あなた達と一緒に、音楽活動したいから、歌手になったんだよ」
�爐笋辰僂雖�
「そして、あなた達を日本につれて帰って、わたしの全国ツアーの企画と、二枚目の録音に、全面的に協力してもらうために、ウィーンまで来たんだよ」
想像してなかった、とは言えないが、実際に雪菜の口から語られると、二人には相当のインパクトがあった。
「ね、あのフェンダーローズ、弾いて良い？」
「えっ。あ、ああ」
あっけにとられる二人を尻目に、雪菜は慣れた手つきでセッティングする。
「さてと……」
雪菜が、弾きながら、歌いだす。
『Twinkle Snow』だ。
その生の声の豊かさに、かずさと春希は、恍惚となった。
素晴らしい……。
�燿� 雪に優しく……��
「っと、やっちゃった」
雪菜は、コードチェンジをミスした。
「雪菜、ピアノ……」
「そう、まだまだなんだよね。だから、かずさに教えてほしいなって」
そう言いながら、雪菜は小首を傾げ、微笑んだ。
「だめ、かな？」
目次 ／ 前回 ／ 続き
♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡
ウィーンに来て以来、一人で出歩くことは殆どなかった。
豊かな緑と、入り組んだ水路を眺めながら、地下鉄の駅へ向かう。
雪菜に会いたいのか、会いたくないのか、未だに分からない。だから、タクシーを呼ぶ気になれず、ゆっくり歩いた。
春希と二人、手をつないで歩いたなら、この道を歩くのは苦痛じゃなかった。だが、今は一人だ。素晴らしい景色を見ても、心は落ち着かない。
U-4に揺られて、シュテファン・プラッツへと、オフィスへと向かう。
本当は、春希と片時も離れたくなかった。だが、営業に必要な来客や、メールでは済まない打合せを行うために、中央駅側のオフィスが必要だった。
かずさが着いた、約束の二十分前、春希はまだ仕事をしていた。
春以降の、全ての企画を白紙に戻すことにした。昨日の夜、曜子が帰ってから、二人で相談して、そうすることにした。今の状態を、ハンパにやり過ごせると思えなかったから。その調整、だろう。
「悪い。お前が来る前には片付くはずだったんだが」
「良いよ……。何か、甘いものさえ食べられたら、チャラにするよ」
「了解。じゃ、行こうか。大聖堂まで、迎えに行くことになってる」
「うん」
二人は、少し抱き合って、軽くキスをする……。お互いの愛を確認するために。
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
既に春希は、雪菜の声を聴いていた。
「Guten Tag, ist es ein Touma Yoko Büro？」
そう語った声は、湿ったトーンをしていた。
「Ja」
「Ich bin Setsuna Ogiso」
「久しぶり、雪菜。と、呼んでも良いか」
「当然よ。ありがとう、春希くん……」
変らない、鈴を転がすような日本語を聴いた時、春希の心の抉られた場所、引き剥がせない想いが残る場所に、再び痛みが走った……。
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
「あれ、ひょっとしたら、冬馬かずさじゃない？」
「うわっ、そうだよきっと」
「なに、凄い美人……」
「髪、きれ〜」
「うわ、ホントきれい……。でも、きっつそうな感じ」
近頃は若い日本人の観光客が多い。きっと、卒業旅行のシーズンだからだ。
二人は、肩を並べて、シュテファン大聖堂へ向かう。数人の日本人観光客が、かずさを見つける。日本のクラシック・ファンには、ウィーン在住の冬馬かずさのことは、有名だから。
けれど、声をかけることはできない。何故なら、かずさが、頗る険しい目つきをしていたから。その気性の激しさも、また有名だったから。
「祭壇の前にいるそうだ」
春希が、かずさに声をかける。かずさは、緊張している。
二人は、大聖堂の中に入り、混み合う人の間を抜け、ゆっくりと奥へ向かう。
すぐに、分かった。
祭壇に向かって立つ、真っ赤なロングコートを着た、明るい色の、長髪の女。
二人は近寄る。
女は、振り向く。その視線が、一瞬、二人を射抜く。
唇が噛み締められていたようだった。
だが、瞬間に笑顔に変わる。
「Lange nicht gesehen……. Wie geht es Ihnen？
どう？ 上手でしょ？」
雪菜が小首を傾げるが速いか、かずさは雪菜に抱きついていた。
「雪菜……」
「ありがとう……、わたしの親友……」
雪菜は、かずさの背に手を回し、かずさの耳元で囁いた。
「……久しぶり、雪菜」
春希は、雪菜の目を見ることができない。
「ちょっと、痩せたみたいね。春希くん」
雪菜は、かずさの髪を撫でながら、言う。
「Medizin war zu sehr wirksam」
春希は曜子に言ったのと、同じ返事をした。
「ふふふ。まだまだ、だよ……」雪菜は、笑った。
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
「西御宿の事務所より、広いんじゃない？」
「そうだな。コート、貸して」
春希は雪菜から受け取って、クロークに片付ける。
かずさは、春希と並んで、自分のコートを片付ける。それから、事務机が見える方向の、二人用ソファーの定位置に陣取る。
大聖堂から帰る道すがら、かずさと春希はあまり話もせず、ケーキを五ピース買って、雪菜をオフィスへと案内した。
電話と、業務用windows|PC二台、来客用ソファー、ステレオ、冬馬曜子オフィス所属アーティストのCD、簡単なDTM用機材、Mac Book Proと NAS一台、お遊びのシンセサイザー、フェンダー・ローズ・ピアノ、小さなアンプ……。それらがオフィスの備品だ。
「コーヒー、入れてくる」
春希は、簡易キッチンに向かう。
「雪菜、そこの席で良いの？」
「うん。ありがとう」
雪菜は、その横の一人用のソファーに腰を下ろした。
ピンクの膝丈のスカートから、美しい足が伸びている。
「静かだね」
「時々、遊びで弾くことがあるから、防音はしてある」
「……ギターは、置いて無いのね」
「無いな。家にもね」
「……ふーん」
マグカップ二つと、客用カップ一つをトレイに載せて、春希が帰ってくる。
春希は、かずさの横に座った。
「かずさの甘党は、やっぱり変らないね」
三つ並んだケーキを見て、雪菜は微笑んだ。
かずさが、二つ平らげたところで、春希は「CD、聴いたよ」と言った。
かずさのフォークが、ピタッと、止まった。
春希のレモンチーズケーキは、あまり減ってなかった。
「かずさが、食べ終わってからでも、良いんじゃない？
もう、相変わらず、空気を読まないなあ、春希くんは」
雪菜は、ザッハトルテの小さな欠片を、口にする。
かずさも、三つ目に取りかかる。
「……二人とも、怒ったよね？」
食べ終わったかずさを見て、雪菜が静かに切り出した。
かずさが、口を開く。
「驚いた。何が何だか、分からなくて。
いきなり、胸ぐらをつかまれて、殴られた感じだった。痛かった。
だから、最初は怒ったよ、あたしは。
でも、何に怒っているのか、分からなくなって……。
それから、凄く、悔しいと、思った。噛んだ唇から血が出たよ。
曲を使われて、腹が立った。悲しかった。辛かった。
そして、恥ずかしい気持ちで死にそうになって。
でも、雪菜の声を聴くうちに、懐かしい気持ちと、誇らしい気持ちが湧いて来て……。
そして、『Twinkle Snow』を聴いて、泣いて。
『White Album』を聴いて、泣いて。
また、『優しい嘘』に戻って、泣いて。
二回目からは、ずっと、泣きっ放しさ。歌詞カードを読みながら、一緒に歌って。
三回聴いたら、もう歌詞は覚えていて、歌いながら、指が動いて。
四回聴いたところで、春希が帰って来て……」
かずさは、ストレートに言う。そうすると、決めていた。何も、強がる必要は無いと思っていたから。
「ありがとう……。ありがとう、かずさ……」
雪菜は、両手を握り、俯いた。スカートに、涙が数滴、落ちた。
かずさが手を伸ばし、雪菜の両手を包んだ。
「ごめん。わたしはまだ、正直、ありがとうとは、言えないんだ……。色々、思うところがあって。でも、これだけは言うよ。歌詞は、ちょっと色々痛いけど、雪菜の歌は、本当に素晴らしいよ。
おめでとう。もう少しでミリオン・セラーだってな。あたしは、雪菜のことを、誇りに思うよ」
「かずさは、わたしが、今、一番、聴きたい言葉を、言ってくれたよ。
ホントに、本当に、ありがとう……」
雪菜がソファーから降りて跪く。
かずさは、雪菜の頭を抱いた
「……二人とも、こっちに座れよ」
春希は、二人掛けのソファーから、腰を上げ、二人を誘い、正面に、座り直す。
「うん」かずさは、雪菜の手を引き、並んで座り直す。
一頻り泣いた後、雪菜は訊く。
「春希くんは、……どう思った」
「俺は、驚いた。でも、かずさが聴こうというから……。
聴いたら、一曲目からもうダメだった」
「春希は、ブルブル、震えてた」
「そう、だな。怖かった」
「何、が」
「自分の中に……」
�猝気�ならない罪の意識と、それを超える�瓠峇尭阿�湧いて来て、打ちのめされることが分かったから」
「春希くん……」
�爐�ずさの体温が上がって、泣き続けてるのが分かってて、俺も、泣きそうになって……。泣くのが怖くて、我慢してた。けれど……��
「『Twinkle Snow』を聴いたら、俺もダメだった。頭が真っ白になって……。
かずさと、二人で聴いてたら、俺たち、どうなってしまうのか、怖くなって、止めてくれって言ってしまった。
でも、嘘は言いたくないから、本当の気持ちを、言うよ。雪菜は、凄いよ。森川由綺を聴いて以来の感動だった。
おめでとう。かずさと、雪菜は、冬馬曜子オフィスの二枚看板だな」
「そんな、おこがましいよ。まだまだ、かずさの足下には、全く及ばないよ。
自分でも分かっている。でも、春希くんも、ありがとう。嬉しいよ」
雪菜は、本当に嬉しかった。
……でも、その気持ちの底に、少し暗い泉が湧いたのを感じた。
かずさと春希の、隠し事の無い、二人の愛を見せつけられた気がして。
�爐笋辰僂蝓△舛腓辰塙謀呂蠅世吻�
「二人には、特にかずさには、嫌な思いもさせたと思う。
でも、わたしは謝らないよ。
悪い、とは思ってる。でも、謝らないよ」
雪菜は、ゆっくりと、言った。
かずさと、春希は、雪菜を見て、そして、お互いを見つめて、二人で頷く。
「雪菜、俺達、この盤の評価について、嘘は言わない」
それは、そうしようと決めていた。
「雪菜というアーティストを心から認めるし、尊敬し、祝福する。
でも、何故、許可もなく、かずさの曲を使ったのかだけは、訊いておきたい」
「正直言うと、今となっては、使ってくれたこと自体は、問題ないんだ。
ただ……、その……、何故、不意打ちなんだ？」
「一年前、曜子さんから、かずさの曲に、わたしが詩を載せて、歌いたいと言ってるって、連絡していたら、許してくれたかな」
それは、かずさも考えていた。でも、「……分からない」というのが結論だった。
「春希くんは、どうだった？」
「俺も、……分からない」
「じゃあ、そういうことだよ。
わたしは、どうしても、かずさの曲で、歌いたかった。
曜子さんから、かずさの残した曲の断片の入った、MP3データをもらったの。
それこそ、何十回、聴いたかな」
それは、恐ろしい苦痛の続く、地獄巡りのようだった。
「レッスンの合間に、寝る間も惜しんで聴いて。全部、覚えて。メロディーが足りない所は、曜子さんと相談しながら、作ったの。かずさならこうするんじゃないか、って、言いながら、ね」
「何故、あたしの曲に拘ったんだ。母さんの知り合いに、良い曲を書く人はいっぱいいるだろ」
「だめだよ。それじゃ、意味がない。
だって、わたしは、あなた達と一緒に、音楽活動したいから、歌手になったんだよ」
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「そして、あなた達を日本につれて帰って、わたしの全国ツアーの企画と、二枚目の録音に、全面的に協力してもらうために、ウィーンまで来たんだよ」
想像してなかった、とは言えないが、実際に雪菜の口から語られると、二人には相当のインパクトがあった。
「ね、あのフェンダーローズ、弾いて良い？」
「えっ。あ、ああ」
あっけにとられる二人を尻目に、雪菜は慣れた手つきでセッティングする。
「さてと……」
雪菜が、弾きながら、歌いだす。
『Twinkle Snow』だ。
その生の声の豊かさに、かずさと春希は、恍惚となった。
素晴らしい……。
�燿� 雪に優しく……��
「っと、やっちゃった」
雪菜は、コードチェンジをミスした。
「雪菜、ピアノ……」
「そう、まだまだなんだよね。だから、かずさに教えてほしいなって」
そう言いながら、雪菜は小首を傾げ、微笑んだ。
「だめ、かな？」
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このページへのコメント
metaさま、ありがとうございます。
フェンダー・ローズが好きなので、書いてしまいました。
普段弾いている楽器とは趣の違うものが置いてある、みたいな感じで書いちゃいました。
…しかし、オフィスの備品をあそこまで書く必要はないですよね。すみません。趣味に走ってしまいました。
かずさTアフターとして新しい方向なので楽しみにしています。ただ一点だけ気になったことが一つ。オフィスにあるのがフェンダー・ローズというのはかずさ用としてはかなり無理があると思います。ピアノとは音もタッチもぜんぜん違うので。小説としての趣はなくなりますが，DTMがある状況を考えればMIDI出力付きの電子ピアノが自然でしょう。それか，かずさがローズを特に気に入っているという設定を付け加えるか。まあそれを言ってしまえば原作も音楽の面では首を傾げる描写もあったのでそもそも気にしないのも正解だとは思います。
tuneさま、ありがとうございます。私の妄想の中では、曜子さんと雪菜は、グルです（^-^）。曜子さんは、雪菜を、もう一人の娘位に、頼りにしているっていう、妄想です。かずさのことを思う程、雪菜のことを考えてしまうという、訳の分からない思考状態に陥ってしまい…、四六時中、例の三人のことしか考えていないという…。妄想の制御が効かなくて困っています。コメント、励みになります。宜しくお願いします。
ずっと雪菜のターンといった感じで話が進んでいますね。正直これ程早く三人の再会の場面が来るとは思いませんでした。良い意味で先の読めない展開が楽しみです。
最後に一つだけ注文付けさてもらいますと、冬馬曜子さんが雪菜をさん付けしないのは少々違和感があります。