最終更新: sharpbeard 2013年11月28日(木) 18:51:11履歴
失恋をしたわたしは自分を全否定して旅に出た。
バッグ一つで家を出て、歩いて遠くに出かけた。
そうすれば力尽きることができると思ったから。
生まれ育った街を離れてしばらく、何も耳に入らなくなった。
見知らぬ国道を歩き始めてしばらく、何も目に入らなくなった。
バッグに座ったまま朝を迎えしばらく、何も口に入らなくなった。
きつい坂道を登り続けてしばらく、とうとう一歩も歩けなくなった。
そこは夕焼けに照らされた、見渡す限りの黄金色のすすきの野原だった。
見とれるうちに方角すら解らなくなった。方角はもう不要だった。
ああ、こんな惨めなわたしがこんな綺麗な場所で死ねるんだ。
わたしはあの男を呪い、神に感謝しつつ、意識を失った。
次に目覚めたのは民家のベッドの上だった。
あの美しい一面のすすきは実は有名な観光地で、わたしはジョギング中の地元の洋菓子店の主人に助けられたらしい。
帰る場所も行く場所もないわたしを、この親切な洋菓子店の老夫婦は何も聞かず雇う事にしてくれた。
老夫婦はわたしにいろいろなケーキの作り方を教えてくれた。
老夫婦はわたしの熱心さに感心していたが、わたしは別に熱心だったわけではない。
ケーキ作りの他に何もすることはなかったし、外出するところもなかった。
寝て起きて働く以外に何もしたくなかった。
店のドアの外にある、あの男とそれに恋する自分のいた外の世界に何も触れたくなかった。
そうして自分が老いていなくなる日を待っていた。
ああ、それなのに。
なんということだろう。
隣のチャペルから一人の新婦がウェディングケーキの注文に来た。
その新郎の名はあの男ではないか。
運命はいったいわたしにどこに逃げろというのだろうか。
わたしは申込票の4文字の名に怯え、5文字の名の新婦が注文を終えて去るまでじっと耐えるしかなかった。
だというのに、この優柔不断な新婦はなかなか注文を決めようとしなかった。
その残酷な美貌をわたしに見せつけるために、わたしには何も勝てるものがないと知らしめるためにここに居座っているのだろうか、とすら疑った。
わたしは値段以上のケーキを特別に作るからと言って、やっとその新婦を追い払った。
わたしはその注文票にしばらく触れたくもなかった。
しかし、ふと思いついた。
このウェディングケーキを最初に口にするのは間違いなくあの男ではないか。
わたしはこのウェディングケーキにあらんかぎりの趣向を凝らしてやることにした。
自分の血肉を削って。
そしてとうとう、その日がやってきた。
ファーストバイトの一口でもあの男を懲らしめるには十分だろう。
わたしは特別に式場に入れてもらい、その瞬間を待った。
わたしの思い通りだった。
あの男は一口でわたしのケーキにまいってしまった。
うまいとしか言えなくなったあの男に、新婦も司会も客も呆れかえっていた。
新婦の前で新郎の心を奪ってやった。
わたしは胸がすくような思いだった。
あの男ののどを滑り落ち、わたしが血と肉を削る思いで作ったケーキがあの男の血肉と混じるのを感じた。
新婦や、ほかの参列客にも。
わたしは、わたしの血が、肉が、世界に広がっていくのを感じた。
わたしは、わたしを天職と巡り会わせてくれたあの男と神に感謝した。
グッディーズ某店
休憩中に新聞を読んでいた中川嬢は見知った名前を見て驚き、喜んだ。
「わお! 『箱根を代表する若きパティシエ、ウェディングケーキの魔女』だって。谷っち、しばらく見ない間に立派になって…」
バッグ一つで家を出て、歩いて遠くに出かけた。
そうすれば力尽きることができると思ったから。
生まれ育った街を離れてしばらく、何も耳に入らなくなった。
見知らぬ国道を歩き始めてしばらく、何も目に入らなくなった。
バッグに座ったまま朝を迎えしばらく、何も口に入らなくなった。
きつい坂道を登り続けてしばらく、とうとう一歩も歩けなくなった。
そこは夕焼けに照らされた、見渡す限りの黄金色のすすきの野原だった。
見とれるうちに方角すら解らなくなった。方角はもう不要だった。
ああ、こんな惨めなわたしがこんな綺麗な場所で死ねるんだ。
わたしはあの男を呪い、神に感謝しつつ、意識を失った。
次に目覚めたのは民家のベッドの上だった。
あの美しい一面のすすきは実は有名な観光地で、わたしはジョギング中の地元の洋菓子店の主人に助けられたらしい。
帰る場所も行く場所もないわたしを、この親切な洋菓子店の老夫婦は何も聞かず雇う事にしてくれた。
老夫婦はわたしにいろいろなケーキの作り方を教えてくれた。
老夫婦はわたしの熱心さに感心していたが、わたしは別に熱心だったわけではない。
ケーキ作りの他に何もすることはなかったし、外出するところもなかった。
寝て起きて働く以外に何もしたくなかった。
店のドアの外にある、あの男とそれに恋する自分のいた外の世界に何も触れたくなかった。
そうして自分が老いていなくなる日を待っていた。
ああ、それなのに。
なんということだろう。
隣のチャペルから一人の新婦がウェディングケーキの注文に来た。
その新郎の名はあの男ではないか。
運命はいったいわたしにどこに逃げろというのだろうか。
わたしは申込票の4文字の名に怯え、5文字の名の新婦が注文を終えて去るまでじっと耐えるしかなかった。
だというのに、この優柔不断な新婦はなかなか注文を決めようとしなかった。
その残酷な美貌をわたしに見せつけるために、わたしには何も勝てるものがないと知らしめるためにここに居座っているのだろうか、とすら疑った。
わたしは値段以上のケーキを特別に作るからと言って、やっとその新婦を追い払った。
わたしはその注文票にしばらく触れたくもなかった。
しかし、ふと思いついた。
このウェディングケーキを最初に口にするのは間違いなくあの男ではないか。
わたしはこのウェディングケーキにあらんかぎりの趣向を凝らしてやることにした。
自分の血肉を削って。
そしてとうとう、その日がやってきた。
ファーストバイトの一口でもあの男を懲らしめるには十分だろう。
わたしは特別に式場に入れてもらい、その瞬間を待った。
わたしの思い通りだった。
あの男は一口でわたしのケーキにまいってしまった。
うまいとしか言えなくなったあの男に、新婦も司会も客も呆れかえっていた。
新婦の前で新郎の心を奪ってやった。
わたしは胸がすくような思いだった。
あの男ののどを滑り落ち、わたしが血と肉を削る思いで作ったケーキがあの男の血肉と混じるのを感じた。
新婦や、ほかの参列客にも。
わたしは、わたしの血が、肉が、世界に広がっていくのを感じた。
わたしは、わたしを天職と巡り会わせてくれたあの男と神に感謝した。
グッディーズ某店
休憩中に新聞を読んでいた中川嬢は見知った名前を見て驚き、喜んだ。
「わお! 『箱根を代表する若きパティシエ、ウェディングケーキの魔女』だって。谷っち、しばらく見ない間に立派になって…」
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このページへのコメント
わたしも感想読ませてもらっている側ですし、作者「さん」くらいでどうぞ(^^)
作者様という表記にしたのは、自分としては作者だけだと上から目線な感じがしてしまうかなと思ったからです。書かれた物を読ませてもらう側ですから。
作者「様」はやめてくださいな(汗)
谷口さんについて妄想するに、真面目で説教くさい春希に惚れるのだから真面目で思い詰めるたちかなと推測、ミッション系出の地味女子の人物像が浮かびましたので、そのまま職人の道に進ませてみました。書きはじめて「失恋ショコラティエ」のパクリかと自分でも思いましたが(笑)
思いつくまでは長いけど、思いついたら深く考えず書くので、作後に谷口さんの歩いた距離測って、「これ歩くかよ」と自分で呆れたり(到達点は箱根仙石原を想定)
アニメでは前回温泉回、いろいろたのしかったです。アニメの絵のおいしさ、表現の利がありましたね。次回も楽しみです。
最初に読み始めてWA2の5人(かずさ、雪菜、小春、千晶、麻理)のヒロインの話ではないことだけはすぐに分かりましたが、じゃあ誰なのか全然分かりませんでした。ケーキ云々の下りでグッディーズの人かなと思い最初は中川さんかとも思いましたが、最後に登場してきたのでますます分からず、谷口の名を見ても思い出せなかったので、ゲームをプレイして見たら春希がグッディーズに助っ人に入るシーンの佐藤との会話でその名を見つけました。こういうほとんどというか全くと言ってもいいほどの出番の無かった人物からこういう話を創る作者様の創作意欲は凄いですね。後、アニメ#9のタイトルがネットのテレビ欄に載っていました。
『すれ違う心』いよいよタイトル名にも雲行きの怪しさが漂って来ました。