結婚して一年目の二月七日。
 誕生日の一週間前のこの日になって初めて、雪菜がこんな提案をしてきた。

雪菜「ねぇ、春希くん。新曲の歌詞、できてる?」
春希「……は?」
雪菜「は、じゃないよ。もう一週間前だよ?
   わたしたちのいつものペースから考えて、そろそろ合宿に入らないといけないと思う!」
春希「や、だから」
雪菜「わたし、ちゃんとかずさには連絡してあるからね。それでもうスタジオだって予約してあるんだから。
   準備万端だよ? ふふっ、これも春希くんの影響かなぁ。
   あとは春希くんが歌詞を作って、かずさが曲を作って、練習するだけ!」
春希「いやそれ、『だけ』じゃなくて曲作りのほぼ全部……」
雪菜「さ、頑張ろう? わたしの誕生日までもう時間ないんだよ?」
春希「…………」

 ……重ねて言うが、雪菜がこんな提案をしたのはこの日が初めてである。
 そして、これは俺自身もまぁどうでもいいといえばいいのだが、もう一つだけ。
 武也も仲間に入れてやってくれ。

 ◆◆

 とはいえ、新妻のやりたいことをできる限り応援するのは夫の務めではないだろうか。
 そう脳内で言い訳して、バックパックにこれでもかとばかり食品や生活用品や、そういったものを詰める。
 そしてそんな都内に不似合いな大荷物を担いでスタジオに行くと、既に待機していたかずさとの挨拶も
 そこそこに早速歌詞作りに入った。
 テーマは家族。愛しのお姫様のご指定だった。

春希「家族。家族か……」
かずさ「なんだ、雪菜との理想の家庭像でも想像してるのか?」
春希「あー。それもあるなぁ」
かずさ「どうせイチヒメニタローがどうとか、家は一戸建てもいいけどリスクを考えると、とか。
    そんなしょうもないことばっかりなんだろ?」
春希「そ、それのどこが悪いんだよ!
   どこかの誰かみたいにそれ一本で勝負できるものがないんだから仕方ないだろう。
   ……それより一姫二太郎なんて言葉、よくお前が知ってたな」
かずさ「う、うるさいんだよ委員長は! ったく、相変わらず安定志向な奴め。
    これじゃ、出来上がる歌詞も面白みがなさそうだ」
春希「いいだろ本職じゃないんだから……。そんなこと言うくらいならお前は雪菜と遊んでろ。
   そうだな、歌のお兄さんとお姉さんごっこがいいんじゃないか?」
かずさ「誰がお兄さんだ!」
春希「先回りして怒んなよ!」

 何故だろう。スタジオに入ると精神年齢まで高校時代に戻るような気がする。
 純粋に騒いでいられたあの頃と、色々――なんて言葉で片付けたら雪菜に申し訳なくなるくらいの頃。
 そしてうちの親まで雪菜が篭絡した後で、結婚。
 ……本当に、愛すべき妻だ。
 かずさが廊下に出て行くのを見届け、呟いた。

春希「妻……家族、か。俺になれるか分からないけど。でも……」

 家庭を作るなら、小木曽家みたいな幸せな家族になりたい。小さな幸せを大切にできる、そんな家族に。

?「なれるよ、春希くんなら」
春希「雪菜?」
雪菜「うん、わたしが保証するよ。春希くんならなれる」
春希「……ありがとう。テキトーな言葉でも嬉しいよ」
雪菜「テキトーじゃないよ? 当ててあげよっか、春希くんが何考えてたのか」
春希「間違ってたらオシオキだからな?」
雪菜「えっ!?
   …………、あ〜、うん。やっぱり分からないなぁ! わたしエスパーじゃないもん。
   あぁ〜、怖いなぁっ! どんなオシオキされちゃうんだろうっ」
春希「楽しみにしてんじゃねえよ! かずさと遊んでろ!」
雪菜「あぁん春希くんがいじめる〜! かずさぁ〜!」

 ……全く。可愛いすぎるんだよちくしょうっ!

 ◆◆

 そんなこんなのうちに一週間はみるみる過ぎ、六日目。午後六時。
 俺たちの前には、いつもより余裕をもって完成した楽譜があった。

春希「本番前日に完成して『余裕をもって』って……」
かずさ「お前がなかなか歌詞を作らないからだろ馬鹿」
春希「う……、ぐう」
かずさ「ぐうの音は出すな!」
雪菜「でもやっぱりすごいよねぇっ。これで何曲目だっけ? メロディが思い浮かばなくなることとかないの?」
かずさ「ま、まぁ、あたしくらいになると言葉を見ながらピアノに触れてるとさ、湧いてくるんだよ」
雪菜「へぇ〜! かずさかっこいい!」
かずさ「そ、そう、かな。別にそんな、難しいことじゃない……」
雪菜「仮に難しいことじゃないとしても、それを何度も何度もやってこんなにいいもの創れるのは才能だよ!」
かずさ「そ……そ、かな」
春希「素人に褒められてテレるなよ、プロ」
かずさ「……。雪菜、ごめん。春希には特別コースを受けてもらうことになったから。
    明日以降、春希が廃人になっても恨まないで」
雪菜「ううん、びしばししごいてあげて。わたしはたとえ春希くんが廃人になっても、ずっと愛してるから。
   だから安心してね、春希くん」
春希「もっと別の状況で聞きたかったよ、その言葉」

 今生の別れのように正面から抱きついてくる雪菜。
 俺はその柔らかい肢体をしっかりと受け止める。両手を彼女の腰に回し、至近距離から見つめ合う。
 雪菜が蟲惑的な双丘を押し付けてくる。ふわっとほんのり甘い匂いが鼻腔をくすぐった。

かずさ「んんっ、ごほん」

 雪菜が上目遣いで見上げてきて、甘えるように微笑した。そして瞼が伏せられ、顔が斜め上に向けられる。
 俺はゆっくりと唇を近づけ、躊躇うことなく雪菜の心に触れた。

雪菜「んっ……ふ、ぅ……んぅ……ちゅ、ちゅ……」

 優しく表面をすくうように。
 時間にして数秒。俺が何かに―ーいや、かずさに遠慮して唇を離すと、雪菜は俺の胸に顔を埋めた。

雪菜「いってらっしゃい、春希くん」
春希「……どこにだよ。同じ部屋で練習するんだろ」
雪菜「すぐそこにある戦場に、だよ」

 雪菜が顔を埋めたまま腕だけで示す。その先には、少し顔を赤くしたかずさが鬼の形相で立っていた。

 ◆◆

 そして当日、夜。世間的にはバレンタインで盛り上がっている頃、俺たちは誕生日で盛り上がっていた。

武也「いやー。もう何度でも言うぜ、俺。おめでとう、そしておめでとう!!
   なんつーかなぁ、こうして新婚一年目で無事雪菜ちゃんの誕生パーティもできて、ほんと……俺……っ」
春希「酒飲んで感極まってるとこ悪いけど、武也、お前の出番これで終了だから」
武也「はぁっ!? 出番ってなんだよ、俺とお前の漢坂はこれからだろうがよぉ!」
春希「いやほんといいんで。隅で衣緒と遊んでなさい」
武也「格は、格は足りてるはずなんだッ……!」

 宴もたけなわとでも言おうか。めんどくさい酔っ払いは置いといて、小木曽家リビングを見回す。
 雪菜の家族や麻理さん、杉浦たち四人に、和泉、柳原さん、武也、依緒。そして雪菜とかずさ。
 身内だけの、ささやかだけど大切なパーティ。
 ささやか、なんて言いながら余裕で十人を越える『身内』はきっと、雪菜が勝ち取ったものなんだ。

朋「雪菜、今日は歌うって聞いたんだけど。『お客様』をこんなに待たせていいの?」
雪菜「分かってるよ、もう。ちょっとくらい待てないの?
   それにわたし、朋は呼んでなかったのに……」
朋「はぁ!? さっすが小木曽雪菜、最大のライバルから逃げて結婚した挙句、
  ヌルいお友達と群れるしかできないのねぇ〜」
雪菜「北原雪菜」
朋「え?」
雪菜「だから、名前。き・た・は・ら、雪菜。間違えないでね、『柳原』朋さん」
朋「くっ……!」
依緒「雪菜、後輩いじめなんかしてないで歌の準備してきな」
雪菜「うん、ケーキでも食べてちょっと待っててね。着替えてくるから」
朋「男がいるからって、男がいるからってこいつら……うぅー!」
小春「あ、あのっ、おぎそせん……じゃなくて北原先輩……だとどっちか分かんないし……」
雪菜「雪菜、って呼んで。杉浦さん」
小春「はいっ! 雪菜先輩、わたしたちも期待してます! と、冬馬先輩も頑張ってください!」
かずさ「ああ。ま、あいつの歌詞じゃ、あたしの曲も雪菜の声も形無しだけどな」
麻理「後で独占インタビュー、お願いしますね」
かずさ「…………」

 雪菜とかずさが二階へ向かう。俺は五分おいて雪菜の部屋へ。
 扉を開けると、そこには着替えを終えた雪菜とかずさがいた。
 衣装は学園祭の時のアレ。
 俺も当時のアレ―ーつまり制服に着替えると、キーボードとギターを持って二人に向き直った。

春希「かずさ、いけるな」
かずさ「こんな余興でいけるも何もない」
春希「雪菜、いこうか」
雪菜「うん」
かずさ「春希、いけそうにないな」
春希「うるさいよ!」

 三人で部屋を出てリビングへ。ささやかな歓声を受けつつセッティング。位置につき、ギターを構える。
 不意に雪菜が振り返る。何だと思う間もなく、俺は雪菜に抱き締められた。

雪菜「春希くん」
春希「どうした?」
雪菜「……だぁいすき、だよ」

 雪菜が中央に戻り、マイクのスイッチを入れる。かずさの前奏が心地良く耳朶を打つ。
 遅れてなるものかと俺も弦を押さえてかき鳴らす。
 そして。
 鈴のような雪菜の声が響く――――。

 ◆◆

 数日後、俺は不思議な噂を聞いた。
 あの冬馬かずさの峰城大付軽音楽同好会の新曲がどこかの動画サイトにアップされている、と……。

<了>
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