「……………………はるき……春、希……春希……」

「おかえりなさい」

「うわあっ!」

「何よ、幽霊にでも出くわしたような声出して。ちゃんと『ただいま』くらい言いなさい」

「た、ただいま、母さん。……起きたの?」

「ええ。ギター君は?」

「今帰ったところ」

「なーんだ、残念。もうちょっとイジり――お喋りしたかったのに。それで頃合いを見計らって家を空けようと思ってたのに」

「本当に実行しようとしてたんならヴァンパイアにでもなって夜行性になるべきだったな」

「……妙に嬉しそうね。私が寝てる間に何かあったの?」

「なにもない。全然まったく」

「やけに顔がつやつやしてるけど」

「あたしはあんたと違ってまだまだ若いからな」

「その手に持ってる箱は?」

「郵便受けにあったんだ。宛名はあたしだったから母さんは全く気にしなくていい」

「ふーん」

「……」

「……」

「…………なに」

「んふふふふ」

「……なんだよ、気持ち悪いな」

「というか、実は見てたのよね。二人のキスシーン」

「んなっ!?」

「だってわざわざ見せつけるように家の前でやるんだもの。ものすごく可愛いかったわよ、かずさ。見てるこっちが恥ずかしくなるくらい」

「い、一階からじゃ見えないはずだろ!」

「そうね。だから二階から見てた」

「最初から見る気満々じゃないか! このヴァンパイア!」

「そのまま家に連れ戻しちゃえばよかったのに。あの雰囲気なら年頃の男の子なんかコロリよ」

「あたしの男を虫みたいに言うな! 春希はそんなやつじゃない!」

「…………」

「あ、いや、今のは……」

「はぁ……なんだか喜びを通り越して嫉妬しちゃうわ。今日のステージだって、私のこと完全に忘れてギター君といちゃいちゃイチャイチャ」

「してないっ!」

「してたわよ。バリバリに意識して、いちいちカッコつけたり、艶っぽさを見せつけたり」

「バリバリって……もう日本じゃそんな言葉使わないって」

「とても楽しそうに音で遊んでた。あなたの演奏の中じゃ久々のヒットだった。すごく、私好み」

「あのお遊びのポップスが? あんなの、今までやってきたことと全然関係ないじゃないか。やっぱりあたしを馬鹿にしてるだろ」

「どうかしら。少なくともあなたは楽しそうだった。そうでしょ?」

「っ……」

「ねぇ、かずさ。あなた大学行く気、ある?」

「……なんだよ、急に」

「私の出す条件を達成できれば、音大への推薦入学の斡旋、更にその後の演奏活動への惜しみないサポートを約束する」

「えっと……突然のことすぎて頭がついていかないんだけど」

「罠なんて何もないわよ」

「条件ってのが思いっきり引っかかるのはあたしの気のせいかな」

「そう構えなくてもいいじゃない。簡単よ。年明けに、とある出版社主催のコンクールがあるの。私の知り合いが編集長やってるから、今からでも潜り込める。そのコンクールの本選に出場すること。これが条件」

「ちょっと待てよ……もう年末だろ。練習時間もほとんどないし、滑り込みにも限度があるだろ」

「やっぱりやる気はあるみたいね。実を言うとパリから電話した直後に登録は済ませてあるの」

「じゃあ拒否権は最初からないじゃないか」

「拒否するとは全然思ってなかったから。電話口で嬉しそうにノロケ話をするあなたが、ね。八月に電話したときとは大違いだったわ。……まぁ、あの時は私の過失が大きいんだけど」

「……なんで今さら? 三年前は見捨てたくせに」

「今のあなたなら、伸びるかもしれないって思ったから。そして今日の演奏を見て確信した」

「……」

「それで、どうする? やるの? やらないの?」

「……やるよ。やってやるよ」

「そう言うと思ったわ。じゃあギター君とのちゅーはしばらくお預けね」

「ちゅっ!? ……って、なんでそうなるんだよ!」

「自分で言ってたじゃない。もう練習時間がないって」

「っ……」

「大丈夫よ。たった一ヶ月くらいの辛抱だから」

「一ヶ月……」

「というわけで、明日からは毎日――」

「あのさ、さっきの返事、撤回してもいいかな」

「…………ホント、妬けちゃうわ」

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