年明け早々、1年半ぶりの「冬馬かずさの〈親子のための〉ピアノコンサート」は、ブランクも、司会者交代もものともしない成功を収めた。
 近々局を離れてフリーになる予定の柳原朋の、雪菜とはまた一味違う、しかし水際立った司会ぶりはもとより、ゲストの橋本健二が意外なまでにいい味を出して、子どもたちには大受けだった。今回の目玉は「子供向けクラシック」としてはあまりにベタといえばベタなプロコフィエフの『ピーターとおおかみ』だが、ピアノ連弾アレンジと朋のナレーションによって、華やかで愉快なステージが展開された。成人男性たる春希にとっては、日本人女性としては長身のかずさが、橋本の隣に座れば小さく可憐に見えてしまうあたりも興趣を誘った。

 コンサートがはねた後の打ち上げは、いつもとは違い、冬馬邸でささやかに行なわれた。参加メンバーは冬馬親子、橋本、朋に、飯塚家――武也と依緒と赤ちゃん、そして北原姉妹と、保育園の同級生たちとその親たち――雪菜のママ友たち。コンサートスタッフの慰労はまた別の機会に行うことにして、今回はごく内輪で、コンサートの陰の功労者?たるママ友たちをもてなす会にすることをかずさが希望したのだった。春希としても異論があろうはずもない。雪菜を引き継いだナイツの新担当も、その他スタッフたちも快く了承してくれた。柊さんは仕事が忙しくて来られなかったが、二人の子ども、優君と友樹君は鈴木家に伴われてやって来た。漫画家とフリー編集者の坂部家、キャリア官僚夫婦の水野家というご多忙組も、今回こそはと勢揃いした。
 料理の方は、主(あるじ)には不相応に立派な設備の冬馬邸キッチンを縦横に使って、依緒と春希、それに亮君のママパパ――本田夫妻が腕を振るった。妻に無情にも「置いてこよう」と言われた本田さん(夫)だが、料理の腕を買われて急遽参戦となり、バラエティに富んだオードブルを用意してくれた。その間子どもたちの相手は、橋本健二が率先して引き受けてくれていた。人並み外れた彼の巨体は、子どもたちにとってはちょうどいい遊具であった。また、近々育休明けで職場復帰を控え、保育園を探していた依緒にとっては、雪菜のママ友たちはまたとない相談相手であり、初対面とは思えないほど打ち解けて、赤ちゃんはママたちにもみくちゃにされていた。赤ちゃんに夢中のママたちにちょっと気圧された様子の武也を、ここぞとばかりにからかう春希は、珍しく意地悪い顔をしていた。そして曜子とは言えば、「一杯だけ」とかずさに厳命されたワインのグラスを片手に、滞欧経験の長い水野夫妻と何やらどこかの古都の都市行政を罵倒しては盛り上がっていた。
 ――そんな喧噪の片隅で、ポートワインのグラスを片手に、冬馬かずさはほっとため息をついてもの思いにふけっていた。
 当然といえば当然のことだが、雪菜がいない「〈親子のための〉コンサート」は、何の問題もなく、あっさりとうまく行ってしまった。何だか変な気持ちだ。今までは、舞台の上に雪菜がいた。雪菜は図々しくも「お姉さん」を名乗っていたが、れっきとした母親だった。だからこその「〈親子のための〉コンサート」だったと、自分は思っていたけれど、今日のコンサートは違った。自分も、柳原朋も、橋本健二も、ひとの子の親ではなかった。それでも今日の「〈親子のための〉コンサート」はすんなりとうまく行った。それがまあ「プロ」の仕事だということなのだが、立派にやりおおせてみるとそれはそれで妙な屈託やら感傷やらが浮上してしまう。
 ――と、そこに、
「冬馬さん。」
と声をかけてきたのは、橋本健二と並ぶ本日の功労者、柳原朋だった。
「柳原さん――今日は本当にありがとう。お見事でした。」
「こちらこそ、ありがとうございました。楽しかったですよ!」

 帰国以来の間柄ではあるが、自分としてはそれほど親しく交わってこなかったこの柳原朋という女性は、この機会に少しつきあってみて初めてわかったが、何とも味わいのある人物だった。
 生前の雪菜はよく朋を評して「辟易させられる出世主義の俗物」と罵倒していた。二人が同席した際には、ほとんどの場合一方的に朋が雪菜をからかい、いじるのが常であったから、その鬱憤晴らしだったのだろう。ただその罵倒はいつも楽しげで、親愛の情にあふれていた。
 確かに柳原朋という女性は上昇志向の塊で、決して優雅でも上品でもないのだが、かといって品性下劣とも到底いえない。彼女には嘘がなく、裏がなく、一貫して真摯だった。今回のコンサートにおいても、やる気がないわけではないがやや腰の重かった自分と春希を「でもやりたくない訳じゃないんですね? じゃあやりましょう!」と追いつめ、具体的に準備段階にはいると、自分にできることとできないこと、そしてやったことはないががんばればできそうなこと、を早々にリストアップした上で、「というわけで、こんなわたしにやらせたいことを具体的におっしゃってください。今言った範囲内でのことでしたら、きっちり仕上げて見せますから。」と言いきり、事実その通りにやってのけた。その胆力と実行力は評価しないわけにはいかない。
(雪菜だってわかってたろうけど、たぶん本当は、この人は「俗物」なんかじゃない――胸の奥に、とても大切な何かをしまっていて、そのためにはなりふり構わず、何ものをも惜しまないんだ……それはいったい、何だろう?)
 屈託なく笑う朋に笑みを返しながら、かずさは思った。
(朋の大事なもの――? そんなの決まってるじゃん、自分だよ自分。あの子は自分がだーい好きなんだ。)
 不意に脳裏に、雪菜の声がこだました。なんだかこのところ、そう、ちょうど一周忌を過ぎたあたりから、やけに生々しく雪菜の思考や息づかいを感じることがある。亡くなった直後は、雪菜のことを思い出すことは苦痛だった。そこにいるはずの雪菜がいないことの欠落感、喪失感は、時にほとんど肉体的な苦痛をかずさに与えた。ことあるたびに襲いかかってくる雪菜との日々の思い出に、胸がふさがり、涙が溢れた。しかしそういう悲しみも、当然のことながら、時が経ち、日々の雑事に追われる中で、ゆっくりと薄らいできた。そうすると今度は、時折、雪菜があたかも生きているときと同じように、語りかけてくるような気がすることがあった。
 錯覚ではもちろんないし、幻覚ではない。しかしながら「ありありと思い出す」というのでもなかった。生前の雪菜のことを思い出しているのではない。自分でも意識しないうちに「雪菜ならこう考えて、こう言うだろう」という思考が、自分の中で自動的に走り出すのだ。まるで自分の脳内に、雪菜のシミュレーターが走っているみたいだ
(――なんて、まるであたしがコンピューターオタクかゲーム廃人みたいじゃないか!)
と、かずさが脳内で一人ノリツッコミをしていることなど、もちろん朋は夢にも思わないので、急に眉根を寄せたかずさに
「どうしました?」
と怪訝な顔で問いかけた。
「――い、いえ、何でもありません!」
 かずさはあわてて応えた。
(続く)




作者から転載依頼
Reproduce from http://goo.gl/Z1536
http://www.mai-net.net/

このページへのコメント

雪菜を失った喪失感がハンパない
どれだけ大きな存在なのかよく分るし
涙が止まりませんよ
続き待ってます。

0
Posted by 名無しさん 2012年04月16日(月) 15:47:32 返信

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

SSまとめ

フリーエリア

このwikiのRSSフィード:
This wiki's RSS Feed

どなたでも編集できます