「お疲れさまでした」

夏公演に向けての舞台練習も佳境に入った劇団ウァトス。
その日も長時間の練習を終えて、ようやく解散の挨拶がホールに響いた。
外気温より暑い練習ホールを我先に抜けようと劇団員達が素早く身支度を整える。

「おつかれー、おつかれー」

結局、冬公演は当初予定していたラブストーリーの内容を変更して行われた。
突然の変更にもかかわらず観客からは一定の評価を得て、ウァトスの名声は更に高まる事となった。
しかしそれ以上に高まったのが脚本兼主演女優・瀬之内晶の内外からの評価であった。
今まで乏しいとも言われていた愛情表現が脚本、演技ともに緻密で繊細となり、より多くの人を魅了していた。

「姫、ちょっといいか」

そんな瀬之内晶こと和泉千晶に帰り際、団長が声をかける。

「何、私も早くここから出たいんだけど」
「いや、前にも言ったんだがやっぱ冬に書いてた本はまだ表に出せないのか」
「それこそ前にもいったじゃん、あれは未完だって」

その内容は冬に本来公演するはずだった作品のこと。
千晶は構わず帰る準備をしながら不機嫌そうに答えるが、団長も食い下がる。

「そうは言うけどあんなに熱心に取り組んでいたのに今は目も向けないだろ」
「この糞暑いなか冬の物語なんて書けるわけないじゃん。また寒くなったら取り組むよ」
「もちろん今やっているものが悪いっていうわけじゃないんだ。冬に公演したものも好評だったし、間違いなく成長している」
「…」
「ただ俺は姫の一番のファンだと自負している。だからこそあんな無茶な役作りまでしたあの作品がこのまま陽の目を見ないっていうのは…」
「それ以上言わないで。これ以上言うと私、降りるよ」

不機嫌を越えて怒りの表情まで出す千晶。

「わかった、わかった。すまなかった」
「じゃあね、お疲れ」
「ああ、お疲れさん」

団長もついぞ引き下がり、足早に去る千晶の背中を見届けるしかなかった。

実のところ冬公演本来の演目『届かない恋』は完成していた。
しかし個人的な心情から千晶は未完ということで他のものを準備して変更。
だから千晶の団長への態度は理不尽とも言えるのだが、これも個人的な心情であった。

「触れられなくないものに触れようとするほうが悪い!」

なお心穏やかでない千晶は最近ずっと避けていた文学部棟へと無意識に足を進めていた。
そのことに気付き歩みを急停止させる。

「危ない、危ない」

もちろん避けている理由はある男に会わないためだ。
近くにある学食にも近づかない徹底用で少しお高い南館のカフェテリアが最近の行きつけであった。

「あぁ、お腹減った」

いつものサークル帰りのように大盛りパスタを2人前頼み食事にありつく。
空腹が満たされようやく怒りも収まってきた頃、突然声をかけられ再び心音が乱れた。

「もしかして晶子さん?」

「やっぱり晶子さんだ。久し振り、覚えてる?」

そこには小木曽雪菜の姿があった。


「半年ぶりくらいかな。もしかして痩せた?」
「そうなの、今サークルが忙しくて。だからこんなに食べても全然で」

内心の動揺を隠して明るく振る舞う千晶。
しかしそんな芝居がかった明るさなど霞むくらい雪菜は輝いて見えた。

「そういう雪菜は何かあの頃より明るくなったね。良い事でもあった?」
「良い事か〜。うーん、簡単には言えないかな。あったというかなかったというか。まぁでもなんていうのかな、日々良い事があるように過ごしているって感じ」
「へー、随分前向きになったじゃん」

もちろんその理由を千晶は知っていた、そしてそれを確かめるために思わず口にする。

「…もしかして前に話してた彼氏と進展した?」

そして雪菜はその質問を予想していたかのように、しかしハニカミながら答えた。

「本当晶子さんは何でもお見通しだね。」
「あれからいろいろあったんだけど、冬に一緒にスキー旅行に行ってね。あっ、もちろん二人きりじゃないよ」
「それがきっかけになってまた連絡とるようになって。今度の夏休みは皆で海に行こうって」

雪菜の口から語られるあれからの二人の出来事。それを聞きながら千晶は生まれて初めて自身の演技に懐疑的になった。
ちゃんと笑顔でいられているのか、相談にのる友人のように振る舞えているのか、そして嫉妬を表に出さずにいられているのか。
それでも感情を押し殺し、時々合いの手を入れながら聞き続け…、

「これも全部の晶子さんのおかげかも」

最後の予想外の一言で馬脚を露わして思わず雪菜を見つめる。

「だって春希君のことを立ち直らしてくれたのは晶子さんでしょ。ううん、和泉千晶さん?」


「…雪菜って意外と意地が悪いね」
「やっぱりそうだったんだ。間違ってたらどうしようかと思った」
「…おまけに役者だ」

おどけて返す雪菜に、参ったとばかりに質問を投げ返す。

「どうやって私のことを知った?」
「…春希君が全部教えてくれた。千晶さんのことも、二人の間であったことも全部」
「相変わらず度を越す真面目だな、春希は」
「私、以前から千晶さんのこと知ってたんだ。春希君のそばにいつもいる女性、いることができる女性。それが凄く羨ましくて、眩しくて、はっきり目を向けることができなかった。
 だからコンパで会ってからも気づかなかった。でも春希君に全部打ち明けられてた時にはすぐわかったよ。晶子さんが千晶さんだって」
「で、どうするの。ひっぱたく?よくも騙したわねって。それとも勝ち誇りに来たの?あなたが寝取った男は自分の元に帰ってきたって」
「ううん、まさか。さっきも言ったけど春希君を立ち直らしてくれたのは千晶さんだもん。千晶さんがいなければ今の関係だって築けなかった。
 むしろ感謝しているぐらいだよ」

笑顔でそう答える雪菜に器の違いを見せつけられたようで千晶はカチンとくる。

「ふーん、そこまでいうなら教えてあげる。どうして私が春希や雪菜に近づいたか。何もかも全部」

そして今度は私の番とばかりにすべてを話す、少し自分を悪女に脚色して。


「そっか、私たちの劇を…」
「どう、怒った?むかついた?でもこれが本当の私。演劇のためならなんだって犠牲にできる」

興奮気味に語る千晶だったが、雪菜は平静に受け止めていた。

「ふーん、でも結局どうしてその劇をやらなかったの。私を騙して春希君を騙して作ったその劇を」
「…それは、それはまだ完成していないから。何年の準備してきたのに、中途半端な形では世にだせない」
「でも完成の見通しがたったから春希君から離れたんじゃないの。もし不完全だったならまた私達の前に姿を見せればよかったのに。
 完成には私たちが必要でしょ。少なくとも春希君はさっきの話を全く知らないわけだし、暖かく迎えてくれたと思うよ」

あなたならわかるでしょとばかりに雪菜は話す。

「私が思うに実は完成してるんじゃないかな。でも演じるわけにはいかなかった。なぜなら幕が引くと同時に終わってしまうから。
 千晶さんが傾けてきた情熱が、想いが、そして春希君との関係が」
「さっき聞いた話だけでわかる、千晶さんが私たちのことをどれだけ気にかけてきたか。そして春希くんのことをどれだけ愛しているか。
 そばにいるために春希くんが求めている女性を演じた?傷ついて帰ってきたから優しく癒してあげた?春希くんの周りは振り回して傷つけるばかりだったものね。
 劇のために抱かれた?主役を愛する女を演じるために?悪いけど私は春希くんに抱かれたことはないよ。それでも私を演じることができるの?」
「あなたは劇の終幕より春希君との絆を選んだんだよ。劇が終わったのに、そのモチーフを想いつづけるなんてあなたにとってはおかしいから。
 演じ終わらない限りあなたは春希君のことを想い続けられる。すべては春希くんの…」

「やめて!もういい!」

今まで自分自身さえも騙してきた千晶の本当の想い、それを白日のもとに晒されて思わず声を荒げる。

「ううん、止めない。これだけは言わせて。実際は演じ終わったところで何も変わらないよ。それは勘違いだってこと。
 千晶さんはもうすでに舞台を降りたつもりかもしれないけど、当の主役が想いつづけている限りあなたは劇中で生き続ける。
 あなたと春希くんとの関係が切れることはないんだよ。その関係をきちんと描写せずに終わる舞台をあなたはどう思う?」

言わずともわかる答え。それをお互いが心の中に反芻させ、しばらくの沈黙の後、千晶は問う。

「雪菜は結局私にどうしてほしいの」

「どうしてほしいのかな、正直自分にもわからない。同じように舞台から勝手に降りたつもりの人を知っているからその八つ当たりかも。
 知ってる?私って結構根に持つタイプなんだ」

再び笑顔で言う雪菜に千晶は演技ではなく久しぶりに心の底から笑った。



帰宅後、千晶はPCを立ち上げ完成したはずの脚本に新たな一人のキャラクターを書き加える。

文化祭ライブをステージ下から鑑賞し、ギター担当の少年に恋する3人目の少女を。


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