３　アコースティック・ギター　／　2015年１月中旬

　「あのね。弾けてるってことと、聴けるってことは、全然違うんだよ。
　エレキとアコギは、全く違う楽器なの。形だけ弾けてても、弦がしっかり鳴ってなかったら、アコギ使う意味ない。雪菜は弦をビビらせ過ぎ。キュキュ音がうるさいし」
　「確かに……」
　「雪菜にはアコギは無理。握力が弱いんだから。だから諦めろ。はい、おしまい」
　「そんなこと言わないで～。もう少しだけ、付き合って下さいよ、純夜さん」
　「可愛い顔したって、ダメだよ」
　「え～、お願いしますよ～」
　「それに、根本的な問題として、そのゴミみたいなアコギ捨てて、Martinか、Gibsonでも持ってきてよ。Taylorでも良いかな。シングルの印税で買えるだろ。
　もうその、ゴミみたいな音聴きたくない。耳が腐る」
　「このギターじゃないとダメなんですよ～。ね、もうちょっとだけ、教えて下さい。ね」
　「とにかく、今日はもうダメ。時間切れ。俺、会社に戻らなきゃいけないから。
　その、ビデオ・レターだっけ。それ録画する日だけ、そのゴミ使えばいいだろ。
　冗談抜きで、ちゃんとしたアコギ買って、練習はそれ使えって。そんなネックの反った、音程の怪しいギター使ってたら、耳が悪くなるよ。いや、マジで」
　「あはは……。やっぱり。わたしも前から、いくらチューニングしても音程が怪しいな～、思ってたんですよね～」
　〝やっぱり、良い耳してるな。子どもの頃から音楽やってれば良かったのに〟と彼は思う。
　「分かってるんなら、今すぐ捨てちまえ」
　「嫌です」
　雪菜はにっこり微笑みながら言った。
　「……ホント痛い女だよな」
　彼は、少しイライラした声で返す。
　「クズ野郎が、たかだか一万円そこらで買って、ただ部屋に転がしてただけのゴミを後生大事に使ってるなんて、痛くて見てらんない。はい、さよなら」
　「…………」
　「……何？」
　雪菜は一転、少しきつい目で彼を睨んだ。
　「分かったよ。悪口言ったのは悪かった」
　「一万円じゃなくて、一万五千円ですから」
　「いや、やっぱりそれじゃゴミだよ」
　「スタジオでの純夜さんはホント、容赦ないですね」
　「容赦してたら、俺が良い音楽をやるための時間が無駄になるからね。それじゃまた」
　「明日の練習も、宜しくお願いします」
　「お前こそ、よく寝とけよ。喉の強さを過信するんじゃないぞ」
　「分かっています。今日も本当に、ありがとうございました」
　雪菜は立ち上がり、お辞儀をして彼を見送った。
　彼は、振り返らず、右手で挨拶して、スタジオの重い扉を開けた。

　…………。

　定例の、ギターの練習日。場所は岩津町・冬馬邸の地下スタジオ。
　雪菜は、ギターの師匠に、細部まで自分のパートの点検をしてもらったあと、個人的に取り組んでいるアコースティック・ギターの演奏を聴いてもらい、批評を受けていた。
　アコースティック・ギターのスチール弦は、やはりエレキのそれとは違う。しっかり押さえないと鳴ってくれないのだ。しっかり押さえてると、指の腹に食い込む。
　「わたしの指も、かずさの指みたいに固くなってきたかな？」
　雪菜は、自分の左の掌をしみじみと見ながら独り言ちた。
　〝しかし、純夜さんの言う通りだ。このギター、ホントに良い音が鳴らない〟
　二年前のヴァレンタイン・ライブの時、そして、その前の数週間、春希が毎晩弾いてくれたギターは、今、雪菜の手の中にあった。
　その頃、自分を優しく包み込んでくれた、このギター。
　だが今は、抜け殻のようなギスギスした音しか奏でてくれない。
　〝ふふふ。お前も、捨てられた悲しみで枯れ果てたの？
　まあ、わたしの耳が肥えた、ということなのだろうけど。
　でも、わたしはこのギターを弾きたい。
　2月14日は、わたしの誕生日会。
　そこでわたしは、家族と友人達に囲まれながら、あなたに捨てられたこのギターで、あなたに捨てられた自分が、弾き語りで歌う姿を録画する。
　そして、わたしは、二人だけの世界に閉じこもっているあなた達に、「宣言」する。だから〟
　雪菜はまた、左手でネックを握る。
　〝辿々しい演奏にはしたくない。例えギターが安物だろうが、あなたが捨てたギターをしっかり弾いて、「わたしは今でも歌っている」ことを、心に刻んでもらうわ〟

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