少し時間を遡って、数時間前の園田宅


 亜子を送りに行った孝弘は度胆を抜かれた。
「こ、ここは?」

 エレベーターから降りるとそこは高級ホテルのロビーのようであった。
 靴を脱ぐ場所やソファー、テーブルがあるがフロントのようなものはない。
 ここは何だ? この中に亜子の家があるのだろうか?

 孝弘には、その9階全体がペントハウスになっており、自分はその玄関にいるのだということがわかっていなかった。

「中に入って」
「あ、ああ」
 孝弘は訳も分からず靴をぬいで中に入る。
 亜子はふらふらと奥の部屋に向かった。

「すげえ…」
 そこは応接室だった。
 革張りのソファー、高級木材のテーブル、豪華なシャンデリア、幾つものグラスが並べられたバーカウンター、ブロンズの裸婦の置物、高そうな観葉植物
 そのどれもが孝弘が目にしたことがないようなものであった。
 
「座って」
「え? いいの?」
 思わず聞き返してしまった孝弘に構わず、亜子はバーカウンターに向かう。
 そして、グラスと水さしを孝弘の方に持ってきた。
「い!? お、俺!? いや、俺はいいよ。亜子が飲みなよ」
 驚く孝弘に亜子は言い返す。
「いいから座って。『男の前には飲み物を欠かすな』がウチの家訓なの。お客さん優先なの」
「あ、ああ。わかった」
 すっかり場に飲まれてしまった孝弘は『妙な家訓だな』と思いつつ、素直に亜子に従った。

 亜子は孝弘が席につくと、自分のグラスにも水を注ぎ、何杯か一気に飲んだ。
「ふう、どうも送ってくれてありがとう。おかげでだいぶ落ち着いたよ」
「いえ、どういたしまして…ここが亜子の家?」
 ここに至ってようやく孝弘はこのペントハウスが亜子の自宅、さっきのは玄関で、今自分は応接間にいると悟った。
「そう、ここがわたしの家。驚いた?」
「いや、亜子がこんなお金持ちのお嬢様だなんて知らなかった…」
 呆気にとられる孝弘に亜子はクスリと笑って答える。
「全然お嬢様なんかじゃないよ。こんなお金持ちになったのはわたしが中学生の時からかな?
 昔はすごく貧乏だったの。小学校の時とか家族で夜逃げしたことまであるんだよ。ボロボロの車でさ」
「そ、そうなんだ。大変だったんだね…全然知らなかった」
 顔をひきつらせながら答えた孝弘は今まで亜子の事を何も知らなかったことに思い至り、声を落とした。

「ううん。わたしが悪いの。孝弘君に何もかも秘密にして何も話してないくせに『孝弘君は私のこと何もわかってくれない』なんて思ってて…」
 そう言うと亜子は孝弘の隣に腰掛けた。
「家のコトとか知られるのが嫌で、小春ちゃんたちにもウチのコトずっと秘密にしてて」
 孝弘にはその理由がなんとなくわかった。
「亜子の家の商売って、あの…変わった商売なのかな?」
「そう。水商売。表向きは不動産とか飲食とかアミューズメントとかってコトになってるけど」
「そうだったのか…」

「この街であちこちの、その、遊ぶところを経営してるの。
 カラオケとか、パーティールームとか、お酒飲む所とか、あと…風俗とか、ホテルとか…あ、ホテルっていってもアヤシい方のね。
 …幻滅した?」
「全然」
「そう、良かった…もっと早くに話せばよかった…」
 孝弘の即答に亜子は涙ぐみ始める。
「ごめん」
「ううん。わたしが黙ってたのが悪いの。
 今日話してたヒトにも言われちゃった。
『ダメになっちゃうカップルって、大抵お互いのこと話さないから』って」
「いや。俺も『内緒にしてることならいいか』って思ってた。
 よく考えれば、相手のことちゃんと知ろうとしないのって彼氏失格かな」
「わたし、ウチのコトとかちゃんと話すね。孝弘君も教えて」
「うん」

 そうして2人は長い長い自己紹介のやり直しを始めた。家族の事、大学の事、小春達以外の友人のこと、バンドの事、バイトの事、幼少期の話からつまらない好き嫌いの話まで。普段あまりおしゃべりでない亜子も酒が入ると饒舌になるようで、それまでつまらない理由で隠してきた事まで打ち明け始めた。

 そして、話は小春たちの方に移った。
「へえ、杉浦たちとはそんな風にして知り合ったんだ」
「そうなの。ところで…」
 そこで亜子は事も無げに聞いた。
「ところで、孝弘君。以前、小春ちゃんのこと狙ってた事があったんだって?」
「!?」
「どうなの?」
 孝弘はすまなさそうに答えた。
「うん…。前は…。もうバンドの始めぐらいの時のことだけど…」
「ふうん」
「信じてよ」
「信じてますよ〜だ」

 それを聞いてホッとした表情の孝弘に亜子は不思議そうに問いただす。
「なんであきらめちゃったの?」
「あきらめたというか、最初から勘違いしてたのに気づいたというか…これ話してもいいのかな?」
「隠し事はなしだよ。まさか…北原さんのコト?」
 亜子のその言葉に孝弘は驚いた。
「!! あれ? 亜子たちも気づいてたの?」
「うん。たぶん、美穂子も」

 そう答えつつ、亜子も遠い目をした。
「北原さんも結婚しちゃったもんね。小春、大丈夫かな?」
「大丈夫じゃなきゃ結婚式とか1.5次会の司会とか引き受けないだろ?」
「大丈夫じゃないから進んでやってたのかも知れないよ?」
「ふうん」

 気のない返事の孝弘に亜子は追及を加える。
「あ、まさかもう『小春はお姉ちゃんの敵! どうにでもなれ』ってカンジ?」
「いや、『敵』とかないから。北原さんとの事知ったときに引いちゃったのは事実だけど」
「あやしいな〜。孝弘君、夏の旅行の時、冬馬かずささんまで疑って探り入れて、危うく殴られるとこだったじゃない」
「……」

 痛いところをつつかれて黙ってしまった孝弘を亜子が調子に乗っていじる。
「このシ・ス・コ・ン♪」
「…っ!? ちょ、ちょっとそれはヒドいっしょ?」
「あ・や・し・い・な〜♪ 小春ちゃんとのことよりシスコンの方がずっと心配〜」
「やめろよ亜子。もう。酔っ払ってるだろ?」
「うんっ♪」
「はあ、亜子って酔っぱらうとこうなるんだな。またひとつ知っちゃったよ…」
 その後も2人は飽きるまで「隠し事なし」のおしゃべりを楽しんだ。

 ひとしきり話した後で、亜子はおどけて言った。
「ふう、もう話すネタなくなっちゃったかなあ。
 これにて園田亜子の秘密は一つ残らず孝弘君に知られてしまいました…なんてね」
 それに孝弘は問い返す。
「え? まだ残ってるんじゃ?」
「え? え?」
 亜子は赤面して声を細くした。
「あ、あの。確かにそろそろとは思うけど。今誰もいないけど、心の準備が…」
 誤解に気づいた孝弘は慌てて訂正する。家族が留守であることにも今ごろ気づいて孝弘も顔を真っ赤にした。
「い、いやそうじゃなくて! ほら、家族の事で! 妹さん、お母さんの事は聞いたけど…」
「あ、ああ。そういうことね」
 亜子はホッとしたような少し残念なような表情をした後、口を開いた。
「あのね…」

 その時だった。

 ばたんっ!
 応接室のドアが乱暴に開けられた。
 亜子がびっくりした声を上げる。
「お父さん!?」



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このページへのコメント

どうも
明日更新予定です。お待ちください。

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Posted by sharpbeard 2014年10月19日(日) 23:21:45 返信

亜子の家の設定が思いの外大胆だったのにはちょっと驚きました。控え目な所は知られたくなかった事の裏返しでしょうか?ここから壊れた携帯電話の事にどう繋がるのか楽しみに次回を待ちます。

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Posted by tune 2014年10月14日(火) 04:50:57 返信

今回も楽しく読ませていただきました。
亜子の家が云々ってのは確か、合宿の時にちょっとだけ触れられてましたよね。
警察云々のトラブルで無さそうなのはホッとしましたが、これから孝宏の携帯が人為的に壊されるところにどう繋がるか、楽しみにしています。

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Posted by いーぐる 2014年10月14日(火) 00:01:55 返信

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