雪菜Trueアフター「月への恋」第三十七話「眺めの良い部屋(1)」


8/12(火) 某結婚式場


 かずさは美代子を連れ、小春の案内で結婚式場の下見に来ていた。
 ピアノの配置や借りる予定のピアノなど、小春は上機嫌で説明したが、始終うかない表情のかずさに何かひっかかるものを感じていた。

 その疑念は、かずさと美代子が口論をしているのを目撃してしまった時に決定的なものとなった。
「やっぱりダメですね。ヘリでも間に合いません。もとより、天候が悪ければヘリは飛びませんし」
「そこを何とかしてくれよ!」
「いえ。わたしも社長と同意見です。あきらめてください」
「そんな…!」

 そこへ小春がトイレから戻って来たので、その場ではそれ以上の話にならなかった。
 小春は美代子が席を外した隙に、思い切ってかずさに聞いてみた。
「冬馬さん。あの…」
「なんだい?」
「すいません、さっきマネージャーさんと口論していたのを聞いてしまって…何かお力になれることありませんか?」
「うっ…まあ、仕方ないか…。春希たちにはまだ言うなよ」
 かずさは隠していても仕方ない、と言った様子で話し出した。
「結婚式の11/30に仕事が入っていたのを忘れてたんだ…」

 普段、かずさの予定は事務所での週末のミーティング時に確認され、かずさもその際に手帳に記入する。
 しかし、11月末のその仕事を受けた際、話自体をうわのそらで聞いていた上に、直後に千晶に会い、劇「届かない恋」を見せられてそのショックで週末はミーティングどころでなかった。
 雪菜たちの結婚式の予定もプライベートなので、自分の手帳と自室のカレンダーにしか書き込んでなかった。たまたま曜子がかずさの部屋のカレンダーを見て問題発覚したわけだ。

「契約のキャンセルはできないんですか?」
「契約上はまだキャンセルできる。しかし、共演者さんの機嫌を損ねることを母さんが問題視しているんだ」

 11月末の「シルクロード・コンサート」は、トルコからインド、中国、韓国、日本のクラシック音楽家が集まるコンサートでトルコのトップピアニスト、ナーセル・サイ氏の肝煎りで行われる。
 神がかったテクニックを持ち、クラシックのみならずジャズ等多方面にパワフルな活動を続けるサイ氏は日本でも影響力が大きい。
 何よりサイ氏の優れているのはその新人発掘手腕だ。サイ氏の目にかかったクラシック音楽家は必ずヒットすると言って良いくらいだ。

 そんなサイ氏がかずさのキャンセルの打診に酷く気分を害し「かずさが出ないなら自分も来日しない」と言っているらしい。冬馬曜子オフィスは今後のかずさの音楽活動への影響を考え、かずさのコンサートのキャンセルをまだ保留している。

「そうですか…先方さんとの話し合いでなんとかならないんですか?」
「それが…先方さんはアメリカで部外との連絡を断って行動していて…招聘会社通じた連絡はできるんだが、直接は話し合いさせてもらえないんだ」
 直接やりとりされては招聘会社も形無しだし、かずさはおろか曜子もコンサートのキャンセルでは悪名高い。口さがない彼女らが余計にサイ氏の気分を害することを恐れ、直接の話し合いを断られるのもむべなるかな、である。

「ツアーが終わる頃にはキャンセルが効かなくなる。なんとかしたいんだが、母さんや美代子さんも協力してくれないんだ…」
「ひどい…雪菜さんたちの結婚式の方をあきらめろと言うんですか!」
「まあ、そういうことだな…だが、まだ打つ手はあるさ。雪菜たちにはまだ内緒にしてくれ」
「…はい」
 そうこうしているうちに美代子が戻ってきて、話はそこで打ち切られた。



同日、冬馬曜子オフィス


 美代子の報告を受け、曜子はかずさにピシャリと言った。
「ダメね。諦めなさい。もともとふられた男の結婚式なんて行くの悔しいでしょ?
 わたしもかずさ派として、あなたが雪菜ちゃんの結婚式に出るだけでも悔しくて『何、その大団円のご都合主義エンディングは!?』って文句つけたくなるわ」
「何それ? ここで行かない方が100倍寝起きが悪いさ」
「わたしはもとよりそんな友人の結婚式にピアノ安売りするのも反対。仕事の方を優先しなさい」
「春希は言うまでもなし。雪菜のナイツからもCD出すだろう。もう仕事上でも無関係じゃない」
「彼らとサイ氏じゃ仕事上の重要度は比べものにならないわ」
「そもそも、母さん。母さんのコネがあれば直接サイ氏に調整なんてたやすいだろ?」
「ええ。でも、正直そんなことしてまでチャンスを潰す気になれない。『シルクロード・コンサート』は今後のあなたの活動に非常にプラスになるはずだから」
「わたしの意志は無視なのかよ」
「少なくとも仕事の予定を押さえてなかった故のトラブルの尻拭いまでして新しい仕事の芽を潰すことはない」
 曜子はあくまで冷淡にそう言い放った。

「…もういい! 自分でなんとかするさ!」
「ええいいわ。でも、なんとかならなかったらキャンセルはしないからね」
「…くっ!」
 かずさは憤懣やるかたないといった表情でオフィスを出て行った。

 かずさが出て行った後のオフィスで美代子は怪訝な顔をして曜子に聞いた。
「社長。よかったんですか?」
「ええ、たまにはワガママを抑えておかないとね」
「わたくし、社長ならサイ氏とやりあってキャンセルぐらいペロリと飲ませると思いました。
 もとより向こうから持ちかけられた仕事ですし、今回キャンセルしても、後からフォローとか簡単でしょう。いけ好かない招聘会社なんてまたいでナンボって、社長いつもおっしゃっていたじゃないですか」
「それはそうだけど…あの人苦手」
「そうなんですか? …まあ、わたしは社長に従いますが」

 曜子は昨年、最後にナーセル・サイに会った時の事を思い出していた。
 ナーセル・サイ氏の異才はその演奏技術のみではない。最も恐るべきはその神がかった観察力だ。
『やあ、ヨーコ。今日の演奏も素晴らしかったよ』
『ところで、最近体調を崩したりしていないかい?』
『どこも悪くない? そうか、それならば…』
『医者に行って詳しく調べてもらった方がいい…』

 ナーセル・サイが今の自分の声を聞けば、例え電話越しでも自分の病状を知られてしまうだろう。曜子はそれを恐れていた。



8/15(金)峰城大のカフェテリアにて


 夏休みで人気の少ないカフェテリアの端の席で、小春はノートを前にうなっていた。
「う〜ん、これでも駄目か…」
 かずさの苦境を聞いた小春は式や披露宴のプログラムの組み換えで何とかならないか検討してみた。しかし、移動時間が絶対的に足らない。小手先では、何ともならない。

 ノートを前に悩む小春にひとりの友人が話かけてきた。
 東欧系の彫りの深い顔に、スカーフを頭に巻いている。トルコからの留学生、ソヘイラだ。

「コハル、こんにちわ」
「メルハバ(こんにちわ)、ソヘイラ」
「コハル、おまつりのけいかく?」
「ああ、これは…結婚式の計画。わたしのアルバイト」
「おお、それはいいアルバイトですね」
 ソヘイラは笑顔を返してきた。いつもこの留学生には癒される。
 と、そこで小春はふと思い出した。ソヘイラはトルコ人、ナーセル・サイ氏もトルコ人。何か良い知恵を貸してくれるかもしれない。
「ねえ、ソヘイラ」
「なあに? コハル」
「ナーセル・サイってピアニストの人、知ってる?」



8/18(月) かずさの自宅


 かずさの携帯に小春から電話がかかってきた。
「やあ、杉浦ちゃん。なんだい?」
「かずささん! サイ氏の予定わかりました!」
「ええっ?」
「サイさんと一緒に行動しているチェリストの方が知り合いのお姉さんだったんです! サイ氏は今ニューヨークです!」
「でかした! ありがとう」
「といっても、あと宿泊予定のホテルしかわかりませんが…」

 小春が転送してきた予定表は8月中のホテルの予定を網羅していた。ホテルを転々として行方をくらましながら行動しているらしい。事務所を通じてしか連絡を受けていないらしいが…
「妹さん通じて連絡できるかい? 携帯とかは? あと、親族ならホテルに電話かけても連絡取り持ってくれるだろうし」
「それが…。ソヘイラはお姉さんと仲があまり良くなくって。今度の予定もたまたまお姉さんからかけてきたので教えてもらえただけで…」
「…ん。わかった、ありがとう」
 その妹からさらにチェリストのお姉さんを経由してサイ氏に連絡をつけてもらう線は諦めた方が良さそうだ。

「アメリカか…英語もいるな…。ニューヨークも行ったことないし…」
 美代子も曜子のいいなりだ。協力は望めない。
「あの…」
「なんだい?」
「マスコミ関係者でかまわなかったら、ちょうどニューヨークで勤務している方で協力してくれそうな人がいます。口も堅くて信用できる方です。
 北原さんの元上司の方なんですが…」



8/20(水) 冬馬曜子オフィス前


 友近浩樹は汗を拭いつつ、今日13件目となる訪問に足を向けた。
 母の病などで苦労しつつもなんとか大学を卒業、学費を稼ぐ為に働いていたバイトの運送会社にそのまま就職できたものの、営業に配属されてからは苦労ばかりだ。
 特に、今担当しているサービスは彼の目から見ても「どうやって売れというんじゃ! こんなもん!」と思えるほどニッチなものだった。
 取り敢えず手当たり次第、もしかしたら需要のありそうな企業等を巡ってはいるものの、今日も12件全て外れ。今週まだ1件も注文を取れていない。

「外れクジだよなぁ…」
 友近は己の境遇を呪いつつ「冬馬曜子オフィス」のチャイムを鳴らした。
「誰だい? 開いているよ」
 中から若い女性の声がした。
「角下通運の友近と申します。おじゃまします」

 勧められたとおりに中に入ると、中にいたのは今を時めくピアニスト、冬馬かずさであった。来客用のソファーで休憩中のようだ。友近はやや緊張して話しかけた。
「あ、どうも、冬馬さん。はじめまして、わたくし…」
「美代子さんも母さんも今席を外している。適当にそこらで」
 そういって冬馬かずさはこちらに眼を向けもせず、空いているソファーを指差す。

 友近は冬馬かずさの斜向かいに腰掛け、ちらりとかずさの視線をうかがった。かずさは目の前のノートに目を落として何やら作業中で、こちらに全く興味がない様子だ。
 友近は軽く声をかけてみた。
「そういえば、冬馬かずささんも峰城大付属卒なんですよね。わたくしも峰城大の卒業生でして…」
 友近は注意深くかずさを観察する。聞き流している様子だが、嫌悪感をもたれた様子もない。友近は続ける。
「只今、当社では汎用の大型機器輸送台車を開発しまして…」
 まずは押しつけがましくない程度に資料を机に置く。
 かずさはノートから目を離さない。が、拒否感を示されたわけでもない。友近は続ける。
「事務機器や精密機器を短時間、低コストで積み卸し輸送できます。もちろん、ピアノ等大型楽器も楽々トラックまで」
 かずさの眉がぴくりと動くが、興味を示されたのか、疎ましく感じられたかは友近には判別できなかった。
「ゴムキャタピラの輸送台車なので、積み卸しも移動も衝撃は最低限。ピアノを縦にする必要もなく、梱包開梱は1〜2時間あれば十分です。搬入口さえあれば…」
 と、そこまで口にした時、かずさがガタリと席を立った。
 しまった、立ち入り過ぎたかと思った次の瞬間には怒りの言葉をぶつけられた。
 友近浩樹、営業配属以来顧客からこれほど理不尽な文句をつけられたことはなかった。
「そんなものがあるなんてなぜ早く教えない!」



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