……数日後。週末。

『姉ちゃん、飯できたぞ』
「……ごめん、今日もいらない」
『ああそう』

 孝宏の呼びかけに、雪菜は取り付く島もなく追い払う。
 正直、頭の整理ができていない。
 ホテルから出てきた、春希とかずさ。
 どうしても、悪い方向へ考えが進んでしまう。
 雪菜には分かっていたから。
 春希の想い。かずさの想い。
 かつて自分にはどうしようもできなかった、二人のお互いの想いを。

「春希くん……」

 もうすぐ、結婚だというのに。
 春希はまだかずさへの想いを拭いきれていないのか。

「かずさぁ……」

 かずさも、春希への想いを捨てきれないのだろうか。
 五年前からずっと。去年再開してからもずっと。





「……雪菜、いらないって?」
「ああ。やっぱ本当なのかな?」
「でもそんな、北原さんが……」
「だよなぁ。冬馬さんとホテルから、なんて……」
「でも朋ちゃんもこの間同じこと言ってたし」
「こうなったら本人から直接問いただした方がよくない?」
「……そうね。間違いなら謝ればいいし」
「本当ならば説明してもらえばいいしな」





 ……春希が来たのは、それからしばらくしてからだった。

「こんにちは」
「いらっしゃい北原さん」
「急にお呼び立てしてごめんなさい」

 昼食を済ませ、二人は早速本題に入る。

「実は北原さん、最近雪菜の様子が変なんですよ」
「え?どうしたんですか?」
「何でも北原さんが冬馬さんとホテルから出てきたところを見たって」
「え……?」
「あ、違ってたらごめんなさい。
 でも今日北原さんが来るって言ったらあの子出てっちゃったし」
「こないだ柳原さんも同じこと言ってたんだけどさ。ねえ北原さん、そこんとこどうなの?」

 春希の表情は硬いままだった。何とか安心したい二人だが、春希の様子から何かを感じることはできたらしく、春希からの言葉を今か今かと待っている。

「そんな。まさか……」
「で、ですよね。そんなことないですよね」
「一体、いつ……?」
「この前の、水曜日かしら?」
「じゃあ、あの時……」
「え……?」

 春希の言葉に、母も孝宏も一瞬耳を疑った。

「じゃあ、本当、なんですか……?」
「北原さん、どうなんだよ?」
「それは……」

 二人は何とか真意を聞こうと春希に詰め寄るが、春希は言葉を濁すだけで詳しく話してはくれなかった。

「雪菜の様子は……?」
「え、ええ。この間から会社から帰ってきたら部屋に閉じこもる、の繰り返しで」
「そうですか……」
「だからどうなんだよ北原さん。本当のところは」
「ごめん、今時間がないから。詳しくは後で」
「え、ええ?そんな」

 孝宏がさらに何かを聞こうとした矢先、春希は荷物をまとめて玄関へ向かってしまった。
 母が何とか引き留めようとするが、間に合わずに春希はリビングを出て行ってしまった。

「ちょ、ちょっと北原さん」
「本当にごめん。終わったら必ずちゃんと事情は話すから」
「じゃあ北原さん、これだけは答えて」

 孝宏は春希の前に立ちはだかり、しっかりと春希を見据えた。

「……信じて、いいんだよね?」
「ああ。俺は雪菜を、雪菜だけを愛している」
「……分かった」

 孝宏が道を譲ると、春希は怒濤の勢いで小木曽家を退出した。





「……すみません、急に呼んじゃって」
「なに、気にするな」
「あの二人の危機とあればあたしらはいつでも駆けつけるからさ」

 ……彼等の行きつけの居酒屋。
 飯塚武也と水沢依緒が、恐縮している孝宏を労った。

「しっかし、春希が冬馬とねぇ」
「話聞いた時は何かの冗談かと思ったけど……」

 二人も、春希とかずさの間に何があったかを知っているだけに、不用意に笑い飛ばすことができない。

「冗談じゃすまないわよ!だってわたし、本当に見たんだから!」

 そして、ヤケ酒としかいえない勢いでジョッキを煽る朋は、最初からテンションがピークに達していた。

「でも、北原さん、信じてくれって。姉ちゃんだけが好きだって」
「そんなの、どうやって信じろっていうの!
 だって結局否定しなかったんでしょあいつ!」
「ま、まあ。でも肯定もしなかったんだよな、孝宏?」
「それは、時間がないからって。後でちゃんと説明するって」
「逃げたに決まってるじゃない!そうやって何度も雪菜を泣かせたんだから!」
「おい、よせ朋。孝宏の前で」
「落ち着きなって。あたしらがここでまくしたてたって解決なんてしないんだから」
「ああもう二人とも、少しは雪菜の気持ちになってくださいよ!
 あの時の現場見たらきっと落ち着いてられませんよ!」
「で、でもさ。春希だって雪菜にプロポーズしたんだよね?」
「雪菜ちゃんも受けたんだろ?」
「じゃあどうして二人でホテルなんかにいたんですか!」
「それは……分からないよ」
「今のあの二人を邪魔しちゃ悪いと思って、俺たちも最近はご無沙汰だったからなぁ」
「ああもう、冬馬かずさめ!北原さんを惑わすようなことばっかりして!
 そのせいで雪菜がどれだけ苦しんでると思ってるのよ!」

 朋はダンッとジョッキをテーブルに叩き付け、鼻息を荒くする。
 追加のビールを頼みながらシーザーサラダを頬張った。

「確かに、こうなったら直接問いただした方が早いな」
「どうするの武也?」
「決まってるだろ?冬馬に聞くんだよ」
「そうするしかないか」
「仕方ねえって依緒。春希は捕まらねえし、雪菜ちゃんは部屋にこもりきりだし」
「すみません、姉ちゃんが迷惑かけて」
「だから気にすんなって。俺たちはしたくてしてるんだからよ」
「そうそう。春希と雪菜が上手くいくのはあたしらにとっても嬉しいことなんだしさ」
「ほら朋、いい加減機嫌直せって」
「うるさい。こうなったら今日はとことん飲みまくってやるんだから!」

 姉に対してこれほど本気になってくれる先輩達に、孝宏は胸が熱くなるのを感じた。
 姉に何があっても、この人達はいつも力になってくれる、それがとても心強かった。
 そんな姉が選んだ相手だ。だから自分は春希を信じよう。
 孝宏は、そう心に誓った。

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