小木曽雪菜が北原雪菜となり、「北原家」なるものが構築されるにあたり必要不可欠な作業が今、ようやく終わろうとしていた。
 
「よいしょっと、せい!」
 雪菜の気合いの声とともに最後の衣装ボックスが押し入れの中に押し込まれる。その直方体はパズルのピースのように、押し入れの最後のスペースに収まった。
 雪菜が歓喜の声を挙げる。
「入った! 入ったよ! 春希くん!」
 一方の春希も空きダンボール箱を今たたみ、紐で縛り終わったところだった。
「こっちも、よっと。終わったよ」
 二人の前に「狭いながらも何とか片づいたふたりの愛の巣」があった。
「やっと、終わったね…」
 力尽きたようにその場でへたり込む雪菜に春希は声をかけた。
「本当に大変だったよな…」
 春希はここまでの長い道のりを振り返った。




 ハネムーンから帰ってきた二人がまず取りかかったのは雪菜の部屋の引っ越し準備からだった。
 小木曽一家+北原家が、雪菜の「あれは持って行く」「これも持って行く」と言った指示に振り回され、どんどんとダンボール箱を組んでいったが、その量はすぐに「明らかに春希の部屋に入らないだろ、コレ」とわかる量になった。
 春希がやんわりと雪菜を諭しにかかろうとしたところで、タンスの奥から出てきたのは「大正浪漫喫茶」の衣装だった。

「わ! 懐かしい! これ、峰城祭の時の喫茶店の衣装だ!」
「あらら。その格好でウェイトレスさんしてたのね」
「それがね、春希君が…」
「雪菜。その話は長くなるし、また今度にしてくれないか…」
「え!? なんで? 内緒にしなきゃいけないような話じゃないでしょ?」
「それはそうだけど…」

 この衣装の登場により花開いた思い出話で貴重な時間が浪費された。
 そういった被害が最小限にくいとめられたのは、早い段階で「本と思い出アルバムは危険物」と目を付け、聞かれる前に素早く箱詰め封印を執行した孝弘の隠れたファインプレーがあったからだが、この働きは地味に過ぎて誰にも気付かれることはなかった。
 結局は、母秋菜の「ちゃんとお部屋は残しておくから、足りないものは後から取りにきなさい」との説得でなんとか作業はけりをつけられた。
 春希の耳に重かったのは、義父晋の「いずれまた引っ越すことになるんだろうからな」の一言だった。学生の頃から住んでいる春希の今の部屋は、一人暮らしには十二分だが二人暮らしにはいかにも手狭であった。
 晋の一言は「いつまでも娘をあんな狭い部屋に住まわせておくつもりではないだろうな?」と変換されて春希に突き刺さった。




 春希の部屋に荷物が運ばれたのは1.5次会の翌々日の月曜日だった。

 その開梱も大変だった。
 春希は雪菜を迎え入れる為に前もってクローゼットや押し入れにスペースを確保していたが、雪菜の荷物量の前には焼け石に水であった。
 春希は自分の見積もりの甘さを嘆きつつも素早く対応した。孝弘と協力して部屋の家具を再配置し、衣装ボックスを置くスペースを確保した。更に、玄関の上や洗濯機の上に突っ張り棚を設け、一気に増えた靴や一部衣類に充てた。

「よっと。これで洗面所は何とか形になったかな…」
「春希義兄さん。このブーツ。買ってきたコンテナボックスには入らないっすよ」
「えっと、雪菜。どうする?」
「ねえ、ちょっと春希君! 見て見て! これ、わたしの小学生の時の運動会の写真だよ!」
「このころの雪菜って、おてんばで男の子みたいだったわよねえ」
「もう! お母さんったら!」
「……」

 男達が忙しく働く中、アルバムの入っていた箱を開梱してしまった雪菜と秋菜はまた思い出話を始めていたが、もはや春希らに対応する余裕はなかった。
 夜になり、小木曽家の皆が帰った後も北原家で作業は続けられ、全作業が終了したのは日付が変わる頃であった。

「はあ、大変だったね。春希君」
 雪菜は春希にお茶を淹れつつそう言った。
「ああ。無理して休み長めに取ってて良かったな…今日から仕事だったら大変だったよ」
「あっ! もう日付変わってたんだ…早く寝なきゃね。じゃあお風呂いただきます」
「ああ、どうぞ」

 


 雪菜が風呂に入っている間、春希はお茶を飲みつつ思いにふけっていた。
 今日から一緒に暮らす、というのは不思議な気持ちだ。今まで雪菜を泊めた事は何度もあったが、今日からは雪菜が「家族」となる。
 「帰る所がある」充実感がより確かな重みを伴って春希の胸を暖めた。
 春希はたまらず、風呂の雪菜に呼びかけた。
「なあ、雪菜?」
「なあに、春希君?」
「一緒に入っていいかな?」
「うん。いいよ」
 雪菜は何気なく答えたが、その声には嬉しさの色が満ちていた。




 次の日、寝ぼけ眼の春希は雪菜に叩き起こされた。
「もう、春希君ったら! いつまで寝てるの? ほら、もう朝ご飯できてるから食べてよ」
「…う、むう。」
 もう少し幸せの余韻とともに惰眠を貪りたかった春希であったが、テーブルに並んでいる味噌汁と焼魚の匂いに釣られてフラフラと布団から這い出た。

「いただきます…ん? この味噌は?」
 春希は汁椀をひとすすりしていつもとの違いに気づいた。
 雪菜に朝飯を作ってもらった事は何度かあるが、今日の味噌汁は春希が使っている安い合わせ味噌ではなく、やたら濃い色の赤味噌だった。
「あ、それ? 岐阜の大伯父さんが送ってくれた味噌を使ってみたの。口に合わなかった?」
「いや、おいしいよ。でも、珍しい味噌だね」
 香気を強く感じる豆の個性の強い赤味噌は寝ぼけた舌にはちょうど良かった。昼食より朝食向きだろう。
 美味しそうに食べる春希を見て、雪菜は満足気に言った。
「これからはわたしが毎日朝ご飯を作るからね」
 『無理しなくていいよ。共働きなんだし』と言いかけた春希だったが、雪菜の眩しい笑顔の前には感謝の言葉しか出なかった。
「ありがとう。雪菜」
「いえいえ。旦那様」
 おどけて返す雪菜もまた惚れ直すほど魅力的だった。

「ごちそうさま」
「おそまつさま。それじゃ、行こうよ」
「…? どこへ?」
「もう! 春希君ったら、決まってるでしょ? ほら、着替えて準備して」

 雪菜が始めたのは「引越の挨拶まわり」だった。
「引越して来たんだから、当然の礼儀じゃない。蕎麦だって用意したよ。乾蕎麦だけど」
「……」
 一人世帯の多いこのアパートで律義に引越の挨拶をする者は多くはない。春希もしなかったし、されたこともない。そもそも、雪菜の持つ蕎麦の束は多すぎる。
「雪菜…何軒回る気かい?」
「え? このアパートってわたしたち抜いて21世帯じゃないの?」
 雪菜にとっては皆『同じ屋根の下の住民』らしい。
「それは違ってないけど…」
 隣上下で十分では、と思った春希だったが、まずは雪菜のやりたいようにやらせることにした。春希の予想だとこの挨拶まわりは雪菜の思うようにはいかないと思ったが…



30分後


「あはは…。師走だし、みんな忙しいのかな?」
 一人世帯が多いこのアパートは平日の午前、留守宅ばかりになる。全てのドアをノックしたものの、用意した蕎麦は数束しか減らなかった。家族住まいの雪菜はそこまで気づかなかったのだろう。
 留守でなかった入居者には『ありがとさん。どうもこちらこそよろしく』と快く応対してはもらえたが。
「そうだね。日曜の夜とかに出直すか」
 春希がそう言って部屋に戻る事を促すと、雪菜が予想外のことを言い出した。
「むー…あ、そうだ! お向かいさん! お向かいさんを忘れていたよ」
「お向かいさん?」
 春希のアパートは全戸同じ向きの一棟建てだ。『お向かいさん』に首を傾げる春希をよそに雪菜はアパートの入口を出ていった。

「お、おい! そっちは…」
 春希が理解したときには雪菜は道路を渡った向かいにあるちょっと大きな一戸建てに向かっていた。
 冬馬邸よりはやや小さいが堂々とした豪邸のレベルに入るその家は春希などは気後れするほどの風格をたたえていた。が、雪菜は臆面もなくその門前に立つ。
「春希くん、はやくー」
「ふう、わかったよ。雪菜」
 このアパート住まいでこの豪奢な一戸建てに引越の挨拶に来たのは自分たちくらいだろうなと予想しつつ、春希は雪菜に従いインターホンの前に立った。

 ぴんぽーん
「はい。どちらさまかな?」

 チャイムの音に現れた還暦近い人物に春希らは見覚えがあった。
「あ、あなたは…」



<目次><前話><次話>

このページへのコメント

どうもありがとうございます
ミニアフターに負けないよう頑張ります

0
Posted by sharpbeard 2015年03月02日(月) 21:49:56 返信

更新お疲れ様です。
読んでいてこの辺りはミニアフターの影響かな?と思うところが何ヶ所かありましたがやはりそうでしたか、でも別段おかしく感じる事も無かったので作者さんは上手くミニアフターの設定を取り込めていたと思います。次回も楽しみにしています。

0
Posted by tune 2015年03月02日(月) 02:06:47 返信

更新の遅れた言い訳ではありませんが一言言わせてください
ミニアフター、色々と楽しませていただきました。
おかげさまでそれまでの作品の中から勝手に考えていた内容について色々考え直さざるを得ない機会をいただいたものと感涙する次第であります。

0
Posted by sharpbeard 2015年03月01日(日) 23:16:21 返信

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